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日本人にわかるキリスト教を求めて

26May2012+011_convert_20120623181132_20120623222548.jpg井上洋治神父は、遠藤周作氏と共に、日本人の感性で正直に受けとめられるキリスト教を一生をかけて模索し、1986年「風の家」をはじめました。このサイトでは、「風の家」運動を引き継ぐ平田栄一が「求道俳句」ほか、日本人キリスト者の道を模索する試みを紹介していきます。お問い合わせ 略歴 著書

求道俳句誌「余白の風」第202号-2013年5月発行  

*日本人の心の琴線にふれるイエスの顔を求め、福音を生きる

会員作品とエッセイ(*主宰コメント)

片岡惇子(名古屋)
雪柳激しく燃えて帰天する
白木蓮歓喜の形で散りにけり
花びらの掌に積りゆく痛さかな
寂しさの人に触れては桜散る
(三月四日急逝された友人に)

 六日の内に、私に縁のある人が、三人亡くなった。ホスピスで十二日間、最後の時を過ごした友人は、信仰の厚い方でした。イエス様を深く知りたいと、多くの福音講座を受け、行動に移された。忍耐強い方でした。耐えられないぎりぎりのところで、友人を呼び、ホスピスへ入られた。薄れゆく意識の中で、突然のことで驚く方たちに、感謝と、神様のもとに行くことの喜びを伝えられた。私が彼女を見舞ったのは、亡くなる前日。私の話し掛けににっこりとされ、「ありがとう」と言って下さった。安らかなお顔でした。

次の日は、昏睡状態の中で、激しく苦しんでおられた。イエス様と共に十字架を担って、その夜亡くなられた。そして、復活の喜びを迎えられた彼女。翌月四月は、八十歳の誕生日。なんと幸いなこと。波瀾万丈を生きた彼女。最後は、神様の御許に、感謝と喜びのうちに帰天された。

彼女の蒔かれた種。妹さんがカトリックの勉強をしたいと、私たちに語って下さった。

*「激しく苦しんで・・・十字架・・・復活の喜び」。どうにもならない苦しみの中で、イエス様も神の「しかり」をお聞きになったのでしょう。


佐藤淡丘(豊田)
神ありと素直に思ふ山笑ふ
釘の掌や十字架像に花吹雪
善き人と立ち話せし花の昼
讃美歌や席に舞い込む花の屑
花菜風水気たっぷりこの地球

「『何もないのに似ているけれどすべての物をもっている』とはキリスト信者のことである。」これは、かの有名な内村鑑三の言葉です。この時期、早朝「会神の丘」に登り、万緑に包まれて祈るとき、宇宙万物はすべて私たちのものである、との不思議な感覚にとらわれます。世は実に私たちに優る富者はない、とは少しオーバーな言い方でありますが、キリスト者でよかったと思う今日このごろです。南無アッバ、南無アッバ。

*「(わたしたちは)悲しんでいるようで、常に喜び、物乞いのようで、多くの人を富ませ、無一物のようで、すべてのものを所有しています。」(二コリント六・一〇)キリスト教の「逆説」的味わい。


塚田明人(坂城)
明日という来ぬ日に心せかされてイヌノフグリの青に気づかず
目も見えて耳も聞こえて不平かな感謝忘れた欲の囚人
殺さない 動き回らず空仰ぎ光身に受け実を結ぶ木よ

*①「気づけず」を「か」に直しました。ここ方が自然かと。②「不平言う」では弱いですかね。③「殺さない」がどこに係るか戸惑うので、一字空けてみました。


西川珪子(一宮)
逝きし人凍星となり煌めきぬ
初聖体親子の笑みの春うらら
復活祭玉子の由来解くわたし
大桜生かされて咲く齢かな

*電子辞書が手放せない由。誰にも、記憶力・聴力・視力・・・・今までフルに使わせて頂いていた能力をアッバにお返しする時期が来ます。そこにどんな意味を見出すことができるか、信仰が問われます。


藤居康二郎(竹原)
生きる夢南無アッバアーメン孫の笑み

*「生きる夢」は御「孫」さんと作者本人の両方ににかかっています。その間を取り持つのが、中句「南無アッバアーメン」という、完全信頼への道。


赤松久子(高知)
年齢(とし)とりてこうも長びく春の風邪
一人部屋緑欲しさに蔦を挿す
蔦の枝グラスの中で根を伸ばし
うららかや集団的な一人言
恥多き人生なりき南無アッバ

*人生の完成とは何でしょう? 老いると共に完璧な人格者になることではありますまい。どこまでアッバに委ねられるか、否、どこまでも委ね切れない自分が無条件に受け入れられているということ。


井口萬里子(三浦)
漁りのペトロが従(つ)きてゆきし浜われも捕はれはるばると来し
浄められ赦され涙キリストの生れし国の土に沁みゆく
*キリストへの「捕はれ」方は人それぞれですが、どの方のお話を聞いても、どこかに不思議な導き、縁を感じます。思えば、私たちの中に沸き起こる求道心そのものが不思議な感情ではありませんか。


石川れい子(稲城)
春の月光の中に夫逝けり
一本の山ざくらちるさくらちる
流れゆくさくら花びら陰府(よみ)の川
屍と三日三晩や春の月
いのち生る生死一如や南無アッバ


主宰『求道俳句集』選
嘆くとも悔やむともよし春に死す  栄一
アリマタヤ春の屍アリガタク
「喜びあれ」復活の主をかき抱き

*三月二十五日にご主人が帰天されてから、次元の異なる「新たな夫婦関係がスタート」したと言うれい子さん。おまかせ信仰あればこそ、「南無アッバ」が効いてきます。


平田栄一(蓮田)
教会に一人祈るやイヴの朝
念ずれば希望に満てり冬銀河
キリストは裁きを為さず冬至過ぐ


寄贈誌より

『驢馬』・田中富貴子
早朝の蝉の鳴き声吾も生き
物陰に咲けどひまわりたくましく

「こみち」二五六号・魚住るみ子
初仕事選歌三百終りたり
ねんごろな礼の便りや梅薫る

*①俳句や短歌など短詩型文学は、作者半分鑑賞者半分で成り立つ文芸。どれかを選んでどれかを捨てる、選歌そのものが文学の一部としての行為です。心して為すべし、これは自戒です。

「日矢」五八〇号・新堀邦司
嫁ぐ子の今年の雛飾るかな
立身に縁なかりけり花の春

*新刊『武と愛の人 新島八重の生涯』(里文出版、一六〇〇円+税)ご上梓おめでとうございます。ちょうどNHK大河ドラマ「八重の桜」放映中で、タイムリーなお仕事。小生未読ながら、キリスト者の視点から新しい発見がありそうです。

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