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日本人にわかるキリスト教を求めて

26May2012+011_convert_20120623181132_20120623222548.jpg井上洋治神父は、遠藤周作氏と共に、日本人の感性で正直に受けとめられるキリスト教を一生をかけて模索し、1986年「風の家」をはじめました。このサイトでは、「風の家」運動を引き継ぐ平田栄一が「求道俳句」ほか、日本人キリスト者の道を模索する試みを紹介していきます。お問い合わせ 略歴 著書

(34)第29章『人はなぜ生きるか』における<「ファリサイ派の人と徴税人」のたとえ>23、第30章「イエスのまなざし」における<たとえ>1~3、第31章『キリストを運んだ男』における<たとえ>1~2  

*「風」第93号2013年春掲載
二三 「信即行」としての祈りの模範

前号、<善いサマリア人>(『ルカによる福音書一〇章)から、
<隣人となるという悲愛の行為が、永遠のいのちを得るために要求される行為なのだ、というイエスの説明>(『人はなぜ生きるか』一三五頁)
を巡って、わたしたちは具体的にどうすればいいのか、ということを考えてきました。
そしてそれは、いわゆるガンバリズム――「後ろ鉢巻」で奉仕や人助けをする、というような短絡的なことではなく、「祈り」に象徴される「信仰行為C」によって自己相対化をはかること、何より第一義的には、「己れの心の汚さ」の自覚と「エゴイズムに汚れている自分の心への反省」が必要だということを学びました。

「私にとっての聖書」では、<善いサマリア人>の直後に、<「ファリサイ派の人と徴税人」のたとえ>が続きます。
<しかし口でいうのはやさしいことですが、実際にやってみると、私たちは誰しもが、隣人になるということの難しさをひしひしとはだで感ぜざるをえません。そして如何に自分の心がエゴイズムに汚れているか・・・・深く心の痛みを感じさせられる・・・・そのときイエスの嘉された取税人(以下「徴税人」と改:筆者注)の祈りが、私たちの口をついておのずからにでてくるのだと思われます。>(同)

 「条件行為B」や「応答行為A」としての隣人愛の「実践」に焦るのではなく、「人の思いを感じ取る」こと。しかしそれも容易にはできないわたしたちは、まず「エゴイズムに汚れている自分」を深く自覚すること。そのときわたしたちの心は、おのずと「徴税人の祈り」につながるというのです。

<徴税人は遠く立って、目を天に上げようともせず、胸を打ちながら言った「神様、罪人のわたしを憐れんでください。」>(『ルカによる福音書』一八章一三節:新共同訳)
<自分の至らなさを恥じ、そしてわびるこの徴税人の祈りこそ、イエスが一番きらった〝人に石を投げ、裁く姿勢〟から私たちを守ってくれるものであるように思えます。>(一三六頁)

本稿第二部でわたしたちは、「至らなさ」の自覚や「恥」意識、また「申し訳ない」と「わびる」心が「罪意識」の日本的表現として、井上神学に多用されていることを見ました。(拙著『すべてはアッバの御手に』六七頁他)。

本エッセイ「私にとっての聖書」では結論として、そのような「罪意識」を持つ「徴税人」の姿勢が、わたしたち日本人キリスト者の常に振り返るべき祈りの模範として提示されているのです。そしてそれは、「〝人に石を投げ、裁く姿勢〟から私たちを守ってくれる」――「人に石を投げ」ず、「裁く」ことをしない「姿勢」――「為さざる愛」を自ずと促すこととなります。

<祈りとは、自分の小ささ、いたらなさを神の前に素直に認め、心をむなしくして、神の愛の息吹きを、天の風を、聖書の言葉でいえば聖霊を、心にお通し申し上げることに他なりません。>(同)
「信即行」としての「祈り」=「信仰行為C」から自ずと湧き出る「無心」――「心をむなしくして」「神の息吹き」=「聖霊」に身を委ねるということ。そして、時空を超えた「祈りによる聖霊の同時性」において聖書を理解する、ということ。「私にとっての聖書」はこのことを強調して結ばれます。


第三十章「イエスのまなざし」における<「ファリサイ派の人と徴税人」のたとえ>

一 <たとえ>への思い入れ

『人はなぜ生きるか』にはもう一箇所、後半の「イエスのまなざし」――一九八一年刊の同名書とは別――と題した講話録に<「ファリサイ派の人と徴税人」のたとえ>が出てきます。この講話は、一九八四年六月に行われており、『人はなぜ生きるか』の「あとがき」(「一九八五年盛夏」)のほぼ一年前ということになります。

ということは、これはわたしの推測でしかないのですが、このところ長らく見てきた同書未発表エッセイ「私にとっての聖書」執筆とほぼ同時期になされた講演なのではないか、と思うのです。想像をたくましくするなら、件の<たとえ>が繰り返し話題にされるということは偶然ではなく、この時期井上神父のなかには、あの「リヨンでの回心」(「風」第八二号三九頁以下)を振り返るような心理的出来事が何らかあったのかもしれない、とも思うのです。このことは、前章の最初に述べた、わたしとの電話での神父の発言、
<その一文(「私にとっての聖書」)が書き下ろしなのは、「ファリサイ派の人と徴税人」の話を、あの本に入れたかったからだろう>(同第八七号三九頁)
との言葉からも伺えます。

「イエスのまなざし」では、ユダヤ教的メシア観を持っていた弟子たちが、生前のイエスを理解できず裏切ったこと(「一、ユダヤのイエス」)、しかし神の御手に迎えられたイエスは彼らをゆるし、愛してくれているという体験をしたことが語られます(「二、イエスの復活」)。

そしてタイトルと同じ――ということはここに主題があると推測できる――「三、イエスのまなざし」では、その「ゆるし」の「まなざし」がどのようなものであったかが解き明かされます。
すなわち、明治以来の日本のキリスト者に対するイメージは、本来の「イエスのまなざし」とは正反対のファリサイ派のものであり、このコントラストを浮き彫りにするために、かの<善いサマリア人>を語り、そしてここでも続けて<「ファリサイ派の人と徴税人」のたとえ>を話題にします。ただし前者については一頁ほどの解説なのに比べ、後者は数頁――次の項目にまで及んでいることは注目に値します。先にも述べたように、それだけこの<たとえ>が、当時の神父に強く意識されていたことを示唆するからです。

二 「ファリサイ派」の姿勢

井上神父は、この<たとえ>について、
<私たちもその場にいて、イエス御自身からこのたとえ話を聞いているつもりで読まなければいけないのではないか>(一七〇頁)
と述べてから、ファリサイ派と徴税人を対比しながら、非常にくわしく説明を加えています。そのなかで、「イエスのまなざし」を理解するための「重大な言葉」として、
<わたしが来たのは、正しい人を招くためではなく、罪人を招くためである。>(『マルコによる福音書』二章一七節、新共同訳に改)
をあげます。

そうしてから神父は「四、イエスの悲愛」で<たとえ>に戻り、自らの罪に胸をたたいて「申しわけない」という「徴税人」の祈りが聞き入れられるであろうことには、自身傾倒するリジューのテレジアの霊性を引きつつ、理解を示します。

むしろ井上神父は、「立派な」ファリサイ派の祈りがどうして否定されなければならないのか、ということに注目します。当時の人たちも現代のわたしたちも、きっと疑問に思うだろうと。そういう「聞いている人達の価値観を全部ひっくり返して」「普通に立派であると考えられていることと全然違う次元のことをイエスは言ってる」(一七七頁)、そこに「ポイント」――「イエスのまなざし」の何たるかが示されている、というのです。

ここから「五、キリスト者とファリサイ派」に入って神父は、道徳的に「立派」ではあるけれども「裁きの目」で人を見るファリサイ派と、「人の悲しみのわかるまなざし」、「人の涙を感じとる心」を持つイエスとを、<罪深い女を赦す>(『ルカによる福音書』七章)、<姦通の女>(『ヨハネによる福音書』八章)等々のペリコーペに触れながら、鮮明に対比していきます。

<人に石を投げるというのは、イエスが一番嫌った姿勢です。なぜかというと、人に石を投げるということは、いつの間にか天に代わって人を裁いている、天に代わって人に石を投げているということだからです。>(一八四頁)
ファリサイ派的な「裁きの目」――「人に石を投げる」姿勢とは、「天に代わって」すなわち「神の代理人」となって人を裁くということです。その根本には「自分の力」に恃む驕り、傲慢、エゴイズムがあります。

この意味においてファリサイ派の「律法主義」は、先のABC三種の行為分類でいえば「条件行為B」に傾くきらいがありましょう。したがって、そのために「為す愛」があるとすれば、その危険性は、表面に現れた道徳的な善良さではなく、救いも愛も〝自分の力でできる〟のだという、自力信仰の驕りにあると言えます。そして、「自分はできる」という思い込み→「できない人間を裁く」という図式が自然に出来上がっていくのです。「自分はできる」と本気で思っている人にとって、隣の人の悲しみや痛み、涙を感じ取ることは至難の業だからです。

<キリスト者というのは、大体まじめで一生懸命な人がなる。そういう一生懸命な人たちが、一生懸命やっていますから、うっかりしているとファリサイ派の方にどんどん走るのです。>(同)
と井上神父が言うのは皮肉ではなく、キリスト者として常に心しておくべき忠告です。

三 エゴイズムを溶かす〝イエスのまなざし〟

では、イエスが命をかけて最も大切にした姿勢――悲愛はどのように実現するのでしょうか。
前エッセイ「私にとっての聖書」では、自らの「至らなさ」を自覚する「徴税人」の姿勢が、人を裁く姿勢からわたしたちを守ってくれることを学びました(二九章二三)。
本講話録「イエスのまなざし」では、次のように結論しています。

<一生懸命やりながら、ファリサイ派のようにならない、ふわっとした、やわらかな、隣の人の悲しみをうつす、そういうアガペーの心というもの、常に〝イエスのまなざし〟をみつめることが非常に大切なのではないかなと思うのです。>(一八五頁)

ここまで見てきたわたしたちは、この短い一文からも、井上・アッバ神学の三つの重要なメッセージを読み取ることができます。すなわち、「ファリサイ派のように」人を裁かずに、

①「ふわっとした、やわらかな、隣の人の悲しみをうつす」ことが「アガペー」の第一義であるということ。→「為す愛」より前に「為さざる愛」の重視。
②その「アガペーの心」は「イエスのまなざし」そのものであるということ。→悲愛はイエスの全生涯に体現。
③そしてわたしたちの具体的実践として、「常に」アガペーの体現たる「〝イエスのまなざし〟をみつめること」

この「〝イエスのまなざし〟をみつめる」という行為が、すなわち「祈り」であり、これまで述べてきた「行為C」また「為さざる愛」に同定されることはいうまでもありません。
こうして二つのエッセイ・講話からわたしたちは、自らの「至らなさ」「罪」を自覚する「徴税人」の姿勢を自分のものとするには、まず、「〝イエスのまなざし〟をみつめる」ということがキリスト者として最も大切なことである、という具体的なアドバイスを得ることができます。

結論として「〝イエスのまなざし〟を生きる」とき、
<その〝イエスのまなざし〟によって、私達のエゴイズムというものが次第に溶かされていく>(同)
――悲愛へと近づいていくのだと、神父は「日本人」キリスト者の「希望」を語ります。
ちなみに、「〝イエスのまなざし〟をみつめる」――イエスを凝視する、という具体的実践的教えは、本稿第二六章(「風」八五号)でとりあげた、井上神父のエッセイ「行を媒介とする真の自己獲得」において論じられた内容と一致します。その結語は次のとおりです。

<・・・神の悲愛は、「自己凝視」へとつながる「イエスへの凝視」と、「合掌・祈り心」とを忘れない限り、いつかキリスト者をあのイエスの姿へと少しずつ変貌させ近づけてくださるにちがいないのである。>(『イエスのまなざし』二五二頁)
このエッセイを末尾に置く一冊を(同名のエッセイを含まないにもかかわらず)、『イエスのまなざし』とタイトル付けした神父の思い入れが伝わってきます。

最後に、改めてこれらを年代別にながめてみましょう。処女出版『日本とイエスの顔』(一九七六年)から二年後に「行を媒介とする真の自己獲得」(一九七八年)が書かれ、『イエスのまなざし』(一九八一年)に収録されます。そして翌年、先に触れたサンドメルと出会い(一九八二年、「風」九〇号二八頁以下)、さらに二年後に聖公会聖マルチン教会において「イエスのまなざし」(一九八四年)が講話されています。続いて前章でくわしく見たエッセイ「私にとっての聖書」(一九八五年)が発表され、翌年、「風の家」が立ち上げられます。

こうして『日本とイエスの顔』出版から「風の家」設立までに次々と公にされる著作や講話のなかで、井上神父は繰り返し<「ファリサイ派の人と徴税人」のたとえ>を取り上げ、反芻し、その度に「悲愛」そのものである〝イエスのまなざし〟への思い、祈りを深めていったのだと思われます。


第三一章 『キリストを運んだ男』における<「ファリサイ派の人と徴税人」のたとえ>

一 サンドメルによる開眼

すでに述べたように、一九八二年二月頃サンドメルの『天才パウロ』に出会った井上神父は、神を「アッバ」と呼ぶ母性原理の強いキリスト教へと「着地の決断」が与えられ、八六年「風の家」を設立する運びとなったのでした(「風」第八〇号井上文、第九〇号拙文)。

 一九八七年刊行の『キリストを運んだ男』(講談社)は、このサンドメルの大きな影響のもとに書かれた一書です。その「あとがき」では、一九八二年一月の「シンポジウム」(戸田義雄編『日本カトリシズムと文学』所収)をきっかけに、石川耕一郎氏を通じてサムエル・サンドメルと出会ったことを述べながら、神父は次のように書いています。

<サンドメルの著作「パウロの天才」(『天才パウロ』:筆者注)をむさぼるように読みふけった私は、まさに目からうろこが落ちるに似た知的開眼を味わったのであった。新約聖書という書物の全体構造が、はじめて、わかった、という思いであった。>(二〇三頁)

ちなみに、この『キリストを運んだ男』が一つのきっかけとなって三年後、本稿でも幾度か取り上げた、佐古純一郎氏との対談『パウロを語る』(一九九〇年)が行われたのでした(同書「あとがき」)。

先に見た井上神父の「信即行」という発想も、「パウロの立場を中心課題として理解していこうとするサンドメルの視座」(「風」第八〇号一四頁)を踏まえた「新約聖書の全体的把握」のなかで、深められていったものではないかと、私には思われます。こうした経過のもとに、本書は「風の家」設立後、最初にまとめられた著作となります。

二 パウロの二つの顔

件の<「ファリサイ派の人と徴税人」のたとえ>については、そのものズバリのタイトルで第二章全体を割いています。
<私自身もサンドメルの著作に深く影響された関係で、ルカの「使徒行録」執筆の目的の一つは、パウロの思想を弱体化させ、エルサレム中心主義の流れの中にだきこむことにあったのではなかったかと思っている。>(二六頁)
本稿第二九章「五『アッバのあたたかさ』をこそ」では、井上神父とわたしとのやりとりのなかで出てきたコンツェルマンが指摘した、ルカの「救済史観」について触れました(「風」第八八号四五頁以下)。

しかし神父は「そういう流れ」――「旧約」と「新約」を直線的につなげることには「留保」、というよりむしろ反対の姿勢をとります。「旧約」-「新約」間の「断絶性」にこそ、イエスの教えの本質を見ているからです。このことも本稿で縷々見てきたとおりですが、サンドメルらが指摘するように、パウロは「生粋のユダヤ人」であるより、きわめてディアスポラ・ヘレニスト――反エルサレム的性格を持っており、その意味では「ルカのエルサレム中心主義」にとっては、目の上のたんこぶ的存在だったと考えられます。そのパウロ――信仰義認論を基本としたパウロ主義は、わたしたちが想像する以上に、当時の教会にとって大きな影響を与えていた、というのがサンドメルの主張です。

そしてもう一点大事なことは、パウロにはこの反エルサレム的性格と同時に、きわめてエルサレム的といっていい、熱心なファリサイ派としての顔があったということです。
<いずれにしてもパウロが、回心以前は熱心なパリサイ派(以下、「ファリサイ派」と改:筆者注)の一人であったということは、パウロの回心を理解するうえで極めて重大なことであったと思われるのである。>(同)
そして「イエスとファリサイ派との衝突の原因が、また深くパウロの回心と関係している」として、<「ファリサイ派の人と徴税人」のたとえ>を引用しています。

この<たとえ>についてこれまで見てきたことは繰り返しませんが、その「結論」――道徳的に立派な「ファリサイ派の人」の祈りが聞き入れられず、だらしない「徴税人」の祈りが聞き入れられたという逆説を、まさに「晴天の霹靂として受けとめ、身体の奥底からゆさぶりあげられた者」(三一頁)の一人として、「ファリサイ派パウロ」をあげていることに、この章の眼目があるのです。(つづく)

category: 連載「井上神父の言葉に出会う」

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