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日本人にわかるキリスト教を求めて

26May2012+011_convert_20120623181132_20120623222548.jpg井上洋治神父は、遠藤周作氏と共に、日本人の感性で正直に受けとめられるキリスト教を一生をかけて模索し、1986年「風の家」をはじめました。このサイトでは、「風の家」運動を引き継ぐ平田栄一が「求道俳句」ほか、日本人キリスト者の道を模索する試みを紹介していきます。お問い合わせ 略歴 著書

第24回平田講座要旨=「余白の風」第197号より  

2012年4月=テキスト『心の琴線に触れるイエス』

p・36
これまで、カール・ラーナーのいう「単純素朴な」信仰経験から、救い表現は多様でいいということを学び、それを日本的に考える場合の言葉・翻訳の問題に入りました。

最近の試みとして注目されている山浦玄嗣さんの「ケセン語訳」や「セケン語訳」聖書やがありますが、「表現の翻訳」ということを考えれば、おのずと文学的要素を無視することはできません。そこで、何人かの日本人キリスト教作家に触れておきたいと思います。

テキストに引用した井上良雄さんの言葉は、『近代日本キリスト教文学全集13 詩集』(教文館、1977年)の佐藤泰正さんの「解説」からの孫引きですが、同じ箇所には、草野心平の「日本のキリスト教に関する詩は、八木重吉の詩をもって私は最高としたい」という言葉も引用されています。

重吉は私も大好きな詩人ですが、今でもキリスト教の詩というと、ああいうひらがなが多い、易しい?詩が典型と見られる傾向があるかもしれません。昔、井上神父様と会話していたとき、「自分がが重吉の詩で好きなのは、みんな晩年――昭和二年(1927)死去――のもの」といっていました。井上神父はこの年に生まれています。重吉をまだ読んでいない方で、彼がどんな信仰を持っていたかを知りたい方は、『神を呼ぼう』(新教出版)がおすすめです。わたしは代父を頼まれたときは、よくこの本を受洗者にプレゼントしています。

p・37
つぎに、内村鑑三は「二つのJ」で有名ですが、全集が今までに何回も、新しく編集されています。最初に日本とキリスト教ということを意識した人で、イメージが武士道で固いですが、じっくり読めば、何か「後世への遺物」がみつかるかもしれません。晩年、「自分は無教会じゃなかったらカトリックに行ったかもしれない」と言ったというエピソードが残っています。

三人目は椎名麟三です。代表作としては『永遠なる序章』など。『私の聖書物語』のなかでは、「バカヤロー」の本だと思っていた「聖書」の復活記事(ルカ24:36-43)を読んで、贖罪ではなく、劇的な復活体験をしたという、プロテスタントとしてはめずらしい回心を語っています。「聖書」に書かれたキリスト信仰――生死を自由に行き来するイエスから、「ほんとうの自由」とは何かということを考えた人です。


南無アッバの集い&平田講座 於:四谷ニコラバレ
7/28(土)、8/25(土)、9/15(土)

category: 南無アッバの集い&四谷講座

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