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日本人にわかるキリスト教を求めて

26May2012+011_convert_20120623181132_20120623222548.jpg井上洋治神父は、遠藤周作氏と共に、日本人の感性で正直に受けとめられるキリスト教を一生をかけて模索し、1986年「風の家」をはじめました。このサイトでは、「風の家」運動を引き継ぐ平田栄一が「求道俳句」ほか、日本人キリスト者の道を模索する試みを紹介していきます。お問い合わせ 略歴 著書

第197号より(2012年7月発行)求道詩歌で南無アッバ  

*日本人の心の琴線にふれるイエスの顔を求め、福音を生きる

会員作品とエッセイ(*主宰コメント)

石垣市  河口儀子

鎮もれる水平線や十字星

石垣は今、十字星の見える時期となりました。もやがかかり水平線ぎりぎりでなかなかお目にかかれませんが、明け方とか夜半とか、家からじっとながめています。

罪咎を背負ふや南十字星

早朝ミサのときに。朝四時三十分発、歩いて一時間十五分で教会です。

生ある雲じゅごん儒艮となれり十字星

はなでいご花梯悟眼を病む猫と暮しおり


と島の人に見せたら、下五は「アッパかな、さあ!」と。島では「アッパ」とは「おばあさん」(私のこと)・・・・。びっくりするやら、恐縮するやら。本土から二〇〇〇キロ程離れますと、話は飛躍しすぎます。

月桃の乳色の花雨浄む


石垣に来て、九年が過ぎました。

*おひさしぶりの御出句、うれしく思います。感謝です。石垣での充実したお暮らしがよく伝わってきます。私は三十年前に新婚旅行で行ったきりですが、最近は観光開発ですっかり環境が変わってしまった由、アッバの手になる自然をなんとか残したいものですね。


品川区  松永弘之

紫陽花に牧師の犬も目を細む

軽快なフランス風なる革命歌いな聖歌にて心もはづむ


*新入会ありがとうございます。①動物の目に映る花はどんなものなのでしょう。「イエスの見た空が見たい」とは井上師がよくおっしゃること。


高知市  赤松久子

人々の思ひさまざま梅雨に入る

紫陽花やまこと七色変化なる

アンデレの如く床しき額の花

目に見えぬものを求めて風を聞く

天文や宇宙の始め神の業


アッバ/暗闇なるアッバ/ナザレのイエスさまのおかげで/アッバとお呼び出来るのです/南無アッバ

*いつも精力的な句作に頭が下がります。求道の一途さと詠み口の素直さが表裏一体になった作品を楽しませて頂いています。


稲城市  石川れい子

竹取の翁の夢や竹の秋

豆の花咲かせて天へ橋架けり

薫風を入れて酢の飯艶を出し

母の日や産んでくださりありがとう

脚立より富士山見ゆる袋掛


主宰『求道俳句集』選

十字架のもとに苦楽を蝶結び  栄一

春雲よ、君は摂理を愛せるか

弟子が師に躓く蛙目借時

万緑のうちにひと日を賜りぬ

十二使徒送り出すとき梅雨の雷


*拙句集を毎回丁寧に選句くださり感謝です。④太宰は「生まれてすみません」と書きましたが、心からの感謝は、相当な苦労と歳月の裏づけあればこそ。


八王子市  フランシスカ井上

巡礼地あふれる光受けながらサンクチュアリに居る幸せを

ローソクの列に繋がる車椅子神父に押され畏まりつつ

ロザリオを繰り沐浴の順を待つ病の友へ思いを馳せて


*③少し手を入れました。巡礼の旅にロザリオを繰る姿が目に浮かびます。私は時々ロザリオを使って「アッバ アッバ 南無アッバ」とやっています。


名古屋市  片岡惇子

落ち椿蕾のままを愛しけり

行く春やつひの住家の闇匂ふ

待つ刻を重ね桜の雨に散る

葉桜や蘇る人の光受け

藤房や溢れて虚空む噎せ返る


*傾聴ボランティアをしながら、豊かな老後をすごされている作者の姿が思われます。①「どんなに不完全に見えようと死は完成の時」とは井上師の言葉。


豊田市 佐藤淡丘

池に東風水鳥の列吹かれゆく

花の塵しづかに踏みてゆるされる

浸り浮く蛙の背中なに思ふ

春の雨池をたいらに平らにす

老鶯のさみしからむと我に告ぐ
 

早朝、池を巡ることを覚えて数年。水のこころが少しずつ分って来たような気がします。そこにはすべてを受け入れる、やさしさが満ち溢れているからだ、と思う。
高田敏子の本にこんな美しい詩をみつけました。『水のこころ』より、

  水はつかめません/水はつつむものです/二つの手の中に/そおっと大切に――/水のこころも/人のこころも

そうです。たいせつにです。今朝も父に向かい〝南無アッバ〟と大胆に叫び、神を賛美しました。

*「水のこころ」は賛美歌になっていますね( 高田敏子/作詞 塩田泉/作曲 町田治/編曲)。全句、万物を生かす水を囲んで、鳥、蛙、花が賛歌を歌う。


一宮市  西川珪子

この川に戻れぬ流れ水温む

手を打てばこはれてしまふ花万朶

罪あまた癒されてゐし復活祭

たかんなの傷を両手で撫でてをり

神宿る新樹の森の深さかな


*②「花万朶」(はなばんだ)=多くの花が枝についている様子。④「たかんな」=竹の子。「傷」や「罪」のゆるしの現実を自然を通して感じる。


蓮田市  平田栄一

たまさかに大震災の一周忌友引の日の結納となる

桜湯の桜を食みて結納の心は粛々春を流れり



寄贈誌より    

「日矢」五六八―九号  新堀邦司

春風の運んでくれし便りかな

上水の森に集ひて小鳥たち

その一つ新堀橋や紅葉映ゆ

妻と娘もすこし嗜み花見酒


*カトリック俳人阿波野青畝の「人物歳時記」(三三)楽しく拝読しました。新しいお仕事に打ち込まれ、ますますご健吟を。

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