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日本人にわかるキリスト教を求めて

26May2012+011_convert_20120623181132_20120623222548.jpg井上洋治神父は、遠藤周作氏と共に、日本人の感性で正直に受けとめられるキリスト教を一生をかけて模索し、1986年「風の家」をはじめました。このサイトでは、「風の家」運動を引き継ぐ平田栄一が「求道俳句」ほか、日本人キリスト者の道を模索する試みを紹介していきます。お問い合わせ 略歴 著書

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(31)-22 「風」第90号掲載分の残り全文  

先の「風」八〇号のエッセイに戻ると、その困難な時期は、『沈黙』以後二十年近くに及んだことになります。
まさにそれだけの「時間がかかった」のです。そしてわたしにとっては、あの三十年前のやり取り――さらっとかわされたような会話の根底にある、神父の苦闘を今更ながら垣間見る思いがしたのです。

一五 パイロットの不安

前回述べたように、井上神父にとってテレジアの母性的神観が「確信」となるのは、編集史研究の成果によるところが大きいのですが、〝それにしても〟という意味合いで次のように述べています。

<確かに、マタイ、マルコ、ルカ、ヨハネ、パウロと、それぞれには明白なイエス観、救済観があると思われるが、どうもそれぞれの間には、到底妥協しえないほどの違いがあると思わざるをえなかったのである。>(前掲号、一二頁)

神父が『日本とイエスの顔』を一九七六年に書きあげて後、「編集史研究の書に多く接する」ようになったことは、先に紹介した同書一九九〇年版の「あとがき」にあるとおりです。しかしそうした研究の中でまず最初に感じたことが、新約聖書著者間にある救済観の「到底妥協しえないほどの違い」だったのでしょう。先の「聖書を勉強すればするほど」あせりを感じていた、との発言は、こうした状況を指しているものと思われます。それは、学者や評論家としてではなく、「イエスの弟子」たる求道者として「生きよう」とすれば、なおさらのことであったと推察できます。

<・・・・どうしても、これがイエスの福音だという統一した視点がとらえられなければどうにもならないわけなのである。>(同)

「ああかもしれない」「こうともいえる」では一生をかけることはできない――福音の、新約聖書の「統一した視点」を求めて呻吟する当時の井上神父は自らを、次のようにたとえています。

<当時の私の心境は、ちょうど、上空を飛行しながら、ようやく着地点を見つけ、着地を決断したヘリコプターのパイロットが強い風と濃い霧のために着地点がかすんでしまい、どうにも着地できず、いたずらに燃料を消費しつつ上空をむなしく飛びまわっていなければならないという、そんなパイロットのあせりと不安にも似たものだったような気がするのである。>(一二~一三頁)

テレジアやエレミアスを通して教えられた「アッバの求道性」に対する確信は揺らぐことはなかったものの、今一歩の所で「着地」できない「あせりと不安」を、

<ともかく風や霧を一時的にはとりはらって、着地へと私(井上神父)の行動をかりたてるきっかけとなったのが、サンドメルの『天才パウロ』という著作だったというわけだったのである。>(同)

一六 パウロ主義の影響

サムエル・サンドメル(一九一一~一九七九年)はアメリカ生まれのユダヤ教ラビで、聖書とヘレニズム文学を講じ、とくに一世紀のユダヤ教と新約聖書の関係に関心をもっていました。ユダヤ系アメリカ人として、キリスト教を理解しようという趣旨で、たくさんの書物を書いています。先の石川耕一郎氏が井上神父にサンドメルを紹介したのも、

<キリスト教からみたパウロではなく、ユダヤ教側からみたパウロというのも、新しい視点で面白いのではないでしょうか。>(一〇頁)

という趣旨だったといいます。ただ残念ながら、邦訳されているものは今のところ『ユダヤ人から見た新約聖書』(一九五六年初版、邦訳一九九六年、ミルトス)だけのようです。

このなかでサンドメルは、パウロがラビ的正統ユダヤ教でもなく、現代の改革ユダヤ教とも相容れない立場から出発している、として次のように述べています。

<パウロについての私見は、The Genius of Paul : A Study in History(引用者注:『天才パウロ』)を参照されたい。私見では、パウロはギリシア系ユダヤ人で、彼の時代のパレスチナのユダヤ人とは思想も感じ方も大きく異なっていると見ているので、新約聖書の説明をパレスチナのユダヤ教にのみ求める人には不本意に思われるかもしれない。>(二九頁「改めての序の言葉」)

パウロがヘレニズム・ユダヤ教出身であることを強調し、そこからパウロ主義の特徴を導き出そうとするのは、

<ユダヤ人としての著者に伝統的な反パウロの意識が残っていて、パウロの思想をユダヤ教の流れから別のものと見てしまうためなのだろうか>(三七七頁)

と「訳者」(平野和子・河合一充氏)は「疑念」を呈しています。しかし、パウロに関しては著者自ら「少数派」であることを自認しつつも、様式史研究ほか当時の新約聖書学の成果を踏まえた、説得力ある所見を新約聖書全般にわたって述べているように、わたしには思われます。

『天才パウロ』は右書とほぼ同じ時期、一九五八年に出ており、序文では、とくに五、六章に注目するよう、自ら促しています。

<もし、イエスの時代以後にイエスに関する教会の姿勢が各福音書に認められるとするなら、その時パウロ主義とその影響もまたそれらのうちに見出されるだろうし――彼の手紙が福音書より先に書かれたという合理的な論拠おいて――パウロのメッセージが最も早く書かれた福音書の成立前に流布していたということにもなろう。>(『The Genius of Paul』復刻版、Nabu Public Domain Reprints Ⅴ、一二八頁 私訳)

つまりサンドメルの主張は、福音書を含めた新約聖書全般にわたってディアスポラ・ユダヤ人であるパウロの影響――肯定するか、否定するかは別として――が大きいということにあるのです。

井上神父はヘレニストとヘブライストとの対立がイエス理解に由来するという荒井献氏の論に助けられながら、サンドメルによって先の「着地できないパイロットの焦り」を克服できたことを、次のように述べています。

<そこで私は、『新約聖書』を構成している書物を、すべて賛成であれ、懐疑的であれ、ともかくパウロの立場を中心課題として理解していこうとするサンドメルの視座を自分のものとすることによって、初めて、着地できずにとめどない飛行をくり返さざるをえないように追いつめられていたパイロットの焦りと悩みのような心情から脱けでて、地上着陸を決断しえたというわけだったのである。>(前掲号、一四頁)

先にも、ミサにおける聖書朗読の順番の問題に触れましたが、カトリックでは福音朗読を御言葉の祭儀の頂点と位置付けています。それゆえに福音朗読は聖職者が行うよう指示されているのです。伝承からイエスの言行が記されているのが福音書ですから、キリスト教会(とくにカトリック)が、これを重視するのは当然かもしれません。こうして福音書が主でパウロ文書は従という、ヒエラルキーができていきます。

しかしサンドメルに指摘されるまでもなく、歴史的には、パウロの手紙――少なくともパウロ自身の手になるものと思われる七書簡=『ローマの信徒への手紙』『コリントの信徒への手紙Ⅰ』『同Ⅱ』『ガラテヤの信徒への手紙』『フィリピの信徒への手紙』『テサロニケの信徒への手紙Ⅰ』そして『フィレモンへの手紙』の執筆(五一年頃~六三年頃)は、四福音書や『使徒言行録』ほか新約聖書諸文書の成立(七〇年代以降)よりも早いことが、明らかとなっています。とすれば、それらの文書がパウロの書簡、もしくは律法から信仰へというパウロ主義の影響――その賛否は別として――を相当に受けているにちがいない、これがサンドメルの主張です。

<パウロの手によらない新約聖書中の文書もほとんどすべて、パウロ主義の影響を受け、常にかあるいは時々、肯定的にも否定的にも、パウロ主義によって形作られている、と私は信じている。>(前掲書、一五六頁 私訳)

イエスの悲愛のまなざしに捉えられながらも、今ひとつ旧約の裁きの神を思わせるイエスの言葉の受け取り方に戸惑っていた井上神父にとって、この指摘はまさに〝目からうろこ〟の読書体験だったのではないでしょうか。

ポイントは、福音書とパウロ文書、どちらが主でどちらが従か、ということではなく、新約諸書が書かれるときにはすでに、パウロの思想は、今まで考えられてきた以上に、原始教会内に流布しており、相当な影響力をもっていたということです。イエスの言行を直接記したとされる福音書といえども、パウロの思想と無縁に、独自に成立したのではない、「パウロの立場を中心課題として理解していこうとするサンドメルの視座」とはそのようなものと考えられます。

こうして井上神父は、「律法から信仰へ」というパウロの信条を曲解し、ならば「悪行何ら差支えなし」として、非道徳な行為を繰り返す「キリスト誇り」――極端なパウロ主義者にマタイやルカのグループが頭を痛めていたこと、それゆえに「山上の説教」のような厳しい言葉をイエスの口にのせざるを得なかった、ということに思いを馳せるようになったのでした。

<サンドメルの著作によって、一見矛盾しているかのようにみえる、マタイ・グループやルカ・グループとパウロとの間の対立を超えることのできた私は、ここではじめて、エレミアスの「アッバなる神」の指摘を完全に自分のものとすることができた。>(前掲号、一六頁)

「着地の決断」に至り、わだかまりのとけた井上神父は、一九八六年春、「風の家運動」を開始します。カトリック教会からの除名、破門という危惧や不安はあったものの、日本の人たちの心の琴線に触れるイエスの福音を伝えよう、そういう秋空のように澄んだ心境を持ったのでした。(次号につづく)

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