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平田栄一求道俳句2004年全作品  

2004年12月

生徒(こ)らと編む薄き句集や更衣

神に書く物語とて遠花火

悲しみを通低音に初夏の夜

聖書繰る指汗ばみて信徒使徒

吾が生を福音書に入れ夏安居

ラジウムの如き新約傍らに

夏の川余さず海へそそぎ切る

時の日の丘の花々ただ眠し

死は生の完成という師の晩夏

憂きことも死支度とてヨハネ祭

福音に世界は抱かる初嵐

梅雨入りやムンクの叫び我にあり

死に切るは生き切ることぞえごの花

2004.11

鳩下る水面きらめき父子の契

ただ生きて死ぬがよろしと虫の秋

万緑や抜歯の予後に亡母を見ゆ

譲り葉の散りて人生無駄は無し

狂女踏む梅雨の晴れ間のわが草履

眼鏡落つ我が顔憎し夏水面

さっぱりと句心尽きて麦の秋

いつの間に梅雨あけ無常優しかる

青嵐切った張ったで老いを打つ

青嵐昨日を明日に繋ぐ今日

親不知痛みて近き神の里

首切りによき雨降るか夏休み

繰り返し一句噛みしめ虫歯の日

教会史読み継ぐ夏へ勇気もて

祈りては倦んでただ祈りの姿勢

ひと言がひと日の糧に人の春

母の日に妻の小言の多かりき

男気や死んで久しき夏籠もり

疼痛や梅雨の走りの雲厚く

バード・デー雨のち曇り午後会議

転入生振り向く階段立夏かな

梅雨走り切符きられし小猫かな

A型の心配性が夏の湖

2004.10

無信者の信に鼓舞され聖母月

人の子の肉を食らいて今朝の夏

肉落ちて目覚め早まる春の月

麗らかに最低体重記録せり

無常という神の身体に触れなんと

手放せば春も命も帰郷せり

黄梅や五十に近き妬心かな

2004.09

わが信は銀河を流る戸板なり

亡き人の首しめ悔やむ春の夢

さめていく心のままに青き踏む

腰据える覚悟にわかに椿落つ

哀しみの果てに落ち葉舞い上がり

乳母よりも教訓めきて雨の春

閏年二月晦日を言祝ぎぬ

2004.08

年の暮獄中書簡に改行なし

十字架に二拍一礼初御空

自爆テロ続く夏夜のイデア論

酔い覚めの夜明けに沈む三日かな

推敲ややがて祈りに春夕焼

箴言を憎みて去りぬ春の影

気がかりを預けて溶けよ春の雲

2004.07

旅枕とある葬儀にまぎれなん

死を想う目方の軽さ春霞

孤にあらずただ悲しくて花見かな

狂人や曇天仰ぐ冬しずか

ピエル神父小さな旅の春朝餉

日々絶版年々増刷神の空

第三楽章まで来て冬の陣

絶版やぬかるみ歩む木の芽時

聖書のごと重吉を読む日永かな

神無月神を忘れて病み呆け

秋空に溶けし命や主の福音

御言葉の裏に廻りしバッタかな

異動覧飽かず人生収支よみ

吾が痛み主の痛みと化す時雨かな

ネットから遠ざかりては冬に入る

サイレントちらちら師走を推敲す

置物として飼うがよし秋の猫

イェス様のお顔お顔と年の暮

イエスマリアヨゼフよろしく秋の旅

アッバミサ出版許可を受けし日に

旅心にわか霧降霧の中

聖母祭ひねもす雨は世を濡らし

恥と死と晩夏せめて燃えてたし

十字架に柏手打てば冷夏かな

往路不安復路福音たずさえて

雨脚が気になるミサへ瘤つけて

秋猫に御言葉学ぶ風の中

2004.06

柏手を打てる高さに磔刑図

冷房車気の昇降を計りおり

ともかくも今日という日が残照に

手に負えぬカイロス迫り草茂る

十字架の重さ軽さや梅雨近し

宗教的腕立て伏せや五月闇

神の筆なる夕焼けを梅雨の晴れ

2004.05

砂浜に汝が名は消えず青葉木菟

逃げ隠れするも預言の成就かな

すさまじき系図を抜けて五月晴

降誕や天地を御子が縫合す

郭公も御身の肉のうちにあり

アバ・イエス再洗礼の雷雨かな

明日はあす今日はきょうとや夏雲雀

2004.04

嘘から出た誠しずかに春の暮

信不信問わず御国へ春の丘

友なる神共にいます春の闇

神そっと身体を起こす春の朝

先立つ神ありて迷わず春の道

五月闇虫めがねで読む『死の神秘』

「これでいい」と死ねる人あり鰯雲

2004.03

書架巡礼五月半ばの言霊よ

沈黙や神の記憶に百合一輪

ユダ知るや洗足の夜の帚星

嘆くとも悔やむともよし春に死す

アリマタヤ春の屍アリガタク

七分咲き三分咲きにて枯れる花

春もみじワイド文庫に帯は無し

2004.02

速読する『遅読のすすめ』木の芽時

清明の頃との説や主の晩餐

菜の花や微熱持ちたる耶蘇の墓

曳かれゆく牛の目の如朧月

春着縫う愚者にやさしき因果律

魔の山の細部の神に虫めがね

破かれしユダのページに牡丹落つ

弟子が師に躓く蛙目借時

青嵐ムナシクルシと吹きまくる

人生や無駄なく春を備えたり

身に近く二十六穴ノートかな

証書授与雨音呼名子守歌

春愁や陥落跡にユダの金

春雨にデュナミス効くかクラス替え

春一番イコンに右脳洗われて

十字架の下に苦楽を蝶結び

月を背負い喘ぐ痩身幹事長

咳払いする便器ひとつ春野かな

花冷えを屠場に曳かる愛の人

トニックの瓶底光り御子いまし

先になり後になり来る初便り

去年今年貫くコンビニ弁当よ

四日ともなりてにわかに夜と霧

日々死んで日々よみがえり去年今年

捨て石こそ親石となり春隣

あらぬ時あらぬ所に福寿草

青空に抱かれて咲くよ崖の百合

2004.01

平らかに死を希うては冬の闇

日に一句遺書改めし冬枕

わが弱き肉にも宿るコトバかな

四千人神を食らいし春の山

弱さをも岩となすなり冬の虹

日々ありて十字架親し年の暮

終末のしるし鮮やか冬紅葉
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コメント

感想

2004年の作品の中からの感想です。(^^)

神に書く物語とて遠花火
神様は大空に描かれる花火を、やはり「たまーやー!」と愛でてくださるかな?(^^)。神様に向けて何かものしておられる余白さんの眺める遠花火のことなのかな。

梅雨入りやムンクの叫び我にあり
入梅時のむんとした空気は、体調だけでなく気持ちもうっとおしくさせます。こんなときの長時間の会議では、思わず叫びたくなる気持ちを抑えるのが大変です。
ムンクのこの絵はとても人気がありますね。誰にでも、そんな気持ちのときがあるからなのでしょうね。生徒さんのテストの余白にそのイラストが描かれていたりすると、思わず丸をつけて何点かあげたくなってしまいます。

ただ生きて死ぬがよろしと虫の秋
好きな句。そういう域にいつか達することができるだろうか。

譲り葉の散りて人生無駄は無し
幼い頃や若い頃、物事はただの点々のように感じられていました。でも、時がたってみると、点同士がつながっていることが見えてきて、そのつながりに深い意味があったこともわかってきます。ほんと、人生って無駄がないんだなあ。
譲り葉は、何か自己犠牲も暗示していて切ない感じがありますね。

教会史読み継ぐ夏へ勇気もて
恵みのうちに誕生し、成長するにつれ、聖なるものを伝えると同時に、過ちもあった教会。まさに一人の人間の生のよう。それを受止めたい。使命と善き働きがあり、神の見守りの中にあるのだから。

祈りては倦んでただ祈りの姿勢
_| ̄|○・・・(空白)! というときもあります。でも、そうしていることにも意味がきっと。

ひと言がひと日の糧に人の春
神様からのメッセージを伝えてくれたのでしょうか。うん、がんばる!

母の日に妻の小言の多かりき
よりによってこんなときに・・・。とみんなわかってはいるんだけれど。なぜかそうなってしまう・・・。

御言葉の裏に廻りしバッタかな
「ふさわしくないのです」「どうぞ放っておいて」御言葉に照らされると、葉の影にくるりと回り込むバッタのように、隠れる私。

速読する『遅読のすすめ』木の芽時
「遅読のすすめ」さえ、いつしか目が急ぎ文字をたどるだけに。空気全体がなにかをあせっているような木の芽時。

いつの間に梅雨あけ無常優しかる
時は流れ常に季節は変化していく。「無常」に癒されることもある。

無常という神の身体に触れなんと
余白さんの句を読んでいると、神/神の働きとの関連で「無常」という言葉がよく出てきますね。とても面白いと思っています。というのは、キリスト教の本や祈りの言葉を英語で読んでいるときによく見る言葉は、「Eternal (永遠/不変)」だからです。
神は、対象物として「デン!」とそこにあるようなものではなく、自由に自在に働いている・・・「永遠」かつ「無常」、というような余白さんの捕らえ方、興味深く、また、共感します。

いう #dfWVfM6A | URL
2005/06/03 23:21 | edit

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