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(31)-11 神父の正直な葛藤  

繰り返しますが、かの「シンポジウム」(一九八二年一月)で神父は、

<私のイエスはやさしいのです。イエスのまなざしはやさしいわけですよ。> 

と発言しています。

しかし右の述懐によれば、「天才パウロ」と出会う(同年二月頃と推定)前の神父は、そうしたやさしいイエスには「似合わない」「旧約の裁きの神ヤーウェを思わせるような師イエスの言動や言葉」に、「どうにもならない袋小路に追いつめられていくというようなあせり」を感じていたというのです。

ということは(わずかの時間差ですが)、先の発言は、そうした「あせり」を感じつつなされたものと推察できるのです。


おそらくその時間差は、1~3ヶ月程だったのではないか。

いずれにしろ時間の長さより、神父が葛藤の中で「私のイエスはやさしいのだ」と発言したことが、私には親近感を持たせてくれたのでした。
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