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無差別殺人の街にも桜満開か  

この時期の、この句だから、何の解説もいらないだろう。
悲しい、の一言に尽きる。
幼い命の冥福を祈るのみ。

こういう句は、作るとき躊躇がある、当事者の気持ちは、、、、と考えたりして。
そして問われる「こんな悲惨を許す神など、どこにいるか!?」と。
当然の問いだと思う。
そしてこの問いに対して、ぼくらキリスト者が明確に答えられないのも、よくあること。

しかし私たちは、こう問う人たちに対して、偉くなる必要は無いのだ。物知り顔をする必要はないし、いや、むしろ簡単に答えてはいけないのだ、それこそ僭越なんじゃないか、と思う。

「なーんだ、答えられないじゃないか」「おまえだって、わかってないないじゃないか」そう言われていいのだと思う。

イエス様ご自身、ご自分のについて、「わが神、わが神、、、」と叫ばれた。それで、アッバに「よし!」と抱きとめられた。そう信じることが答えなのだと思う。
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category: 平田栄一求道詩歌(1)

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コメント

偉くなる必要なんかない。

そうか・・・訊かれると、答えなきゃいけないような気になってしまうけど、言われてみると、その必要のないばかりか、即答できたら不自然ですね。

もず #mQop/nM. | URL
2006/04/06 12:26 | edit

おひさしぶりです

はい、そう思います。
キリスト者は、愚かでいいのだと思います。
すべてをわかって(理解して)、だれかに教えてやる、などというのは、思い上がりですね。

余白 #oBO5MkqQ | URL
2006/04/06 17:28 | edit

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