「南無アッバ」を生きる ホーム » スポンサー広告 » 連載「井上神父の言葉に出会う」 »(30)-22 『ふしぎなキリスト教』の誤解

日本人にわかるキリスト教を求めて

26May2012+011_convert_20120623181132_20120623222548.jpg井上洋治神父は、遠藤周作氏と共に、日本人の感性で正直に受けとめられるキリスト教を一生をかけて模索し、1986年「風の家」をはじめました。このサイトでは、「風の家」運動を引き継ぐ平田栄一が「求道俳句」ほか、日本人キリスト者の道を模索する試みを紹介していきます。お問い合わせ 略歴 著書

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(30)-22 『ふしぎなキリスト教』の誤解  

そのうえで神父は、「旧約」と「新約」の神観を比較して次のように結んでいます。

<・・・・「善人にも悪人にも陽をのぼらせ、雨を降らせ」(る)・・・・イエスのとらえた父なる神が、いかに同時に母親的な包みこむ暖かさを持っている神であり、旧約の神ヤーウェとはどんなに対照的な性格をおびているか・・・。



たまたま立ち寄った本屋で、ベストセラーになっているという『ふしぎなキリスト教』という本があり、その冒頭をちょっと読んでみると、まずはじめに、キリスト教とユダヤ教は基本的に同じで、イエスを認めるかどうかの違いだけ、
といったようなことが書かれていたのであきれた。

このあと、論が展開していくのかもしれないが、のっけからこれだと、ますますキリスト教が誤解される。

たしかどこかの書評に、この本を読んで、自分は日本人で、キリスト教でなかったのが良かった、などどいうのが載っていたのを思い出した。

困ったものです。

category: 連載「井上神父の言葉に出会う」

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