「南無アッバ」を生きる ホーム » 連載「井上神父の言葉に出会う」 »(30)-15 井上洋治著『人はなぜ生きるか』における<「ファリサイ派の人と徴税人」のたとえ>をめぐって ( 『風』第89号 )

(30)-15 井上洋治著『人はなぜ生きるか』における<「ファリサイ派の人と徴税人」のたとえ>をめぐって ( 『風』第89号 )  

さらに、それらの伝承は客観的時系列的に福音書として編集されたのではなく、各福音書記者がそれぞれの意図

――ここでも個人というよりは所属する共同体の「目的」――を持って現在の形にまとめられたということ。

それを明らかにしたのが「編集史研究」です。




井上神父は、「様式史」と「編集史」の関係を、石庭にたとえています。

すなわち、石庭を眺めたとき、「この石はどこから持ってきたのだろう」と考えるのが、様式史研究。

「これらの石はどういう意図で配置されたのだろう」と考えるのが、編集史研究。
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