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平田栄一求道俳句2005年全作品  

2005年5月

万物に寄り添う影や冬ぬくし

生活即人生となれ冬鴎

ケンケンと雉の鳴きたる城の址

雉青し蒼き御空に溶けなんと

薄日さす秋の惑いのマタイ伝

蟻一尾迷うこと無し神の家

秋空へ想い描けや主の御顔

2005.04

長雨に耳立てて待つ便りかな

正論を吐くは易しき秋の雲

死は生の完成なりや冬真近

枯枝や積まれしままに絵となりぬ

お恵みは先取りできぬ秋は秋

赤光に霞む生死の果てなれば

『自叙伝』の手擦れ愛しきテレジア

2005.03

老いてなおこつこつ励め穴惑い

密猟のごとく季(とき)狩るミカエル祭

匿名のネット社会や四季も無し

同窓の面影と和す秋ひと夜

同窓の三十年後も同じ秋

沈黙を楽しめる程秋の雨

生き切るは死に切ることぞえごの花

身の丈の目標はある神渡し

秋雨やしとる初稿に朱を入れん

祭壇に名も無き花をテレジア忌

混信する夢の続きや秋未明

吾が性の愛し憎しや天使祭

句友なき句作つづけて秋闌ける

救われてなお道はるか秋の雲

老醜の気配青北風有無言わず

母の顔知らぬ子となり秋の風

タンポポになりたい風に吹かれたい

単位制生徒(こ)ら黙々と秋雨へ

秋分や神の国への回帰線

霧深き足元しかと見えにけり

綿虫にある星雲の記憶かな

星芒に吾が生死あり冬構

星屑を集めて成りしアダムかな

難病を得てなお笑むよ秋の猫

長き夜の吐息の如き放屁かな

テレジアの信にまなびて冬に入る

虚言癖誘う恋や文化の日

イボ撫でて老醜憎む秋鏡

秋深し校門に来る欝の影

『人間の絆』読みさし秋を病む

2005.02

我が性(さが)も春野の花の一つなり

親族に醜聞ありや鰯雲

児を置いて嫁去る家や居待月

幸不幸どこに分かれ目秋の虹

怒りても詮なきことよ秋過ぐる

あらぬこと口走り居る冬便所

あきらめの詩形に秋の希いあり

2005.01

光さす無風の秋を母祈る

晩秋の風をくぐりて悪夢かな

薔薇すみれタンポポも良し天の庭

白き戸を開け放ちては母祈る

白壁に二百十日の光湧く

かくひと日終わりて御顔見て閉じぬ

オレオレと急かす心や秋の雨
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category: 平田栄一求道詩歌(2)

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コメント

入りきるかな?

いつも、ICFで一方的にコメントをいただいているばかりなので、今日は思いつくままに05年分の感想を書きます。(^^)感謝を込めて。

<万物に寄り添う影や冬ぬくし>
寄り添ってくださる方がいらっしゃるということ、それをふと感じるとき。ほんのりと温かな気持ち。冬だからこそ感じる、その暖かさ。

<正論を吐くは易しき秋の雲 >
「イウちゃんはいつも正しいの!」と言われた若い日。今も鋭く突き刺す記憶。

<身の丈の目標はある神渡し>
今、私の目標はどこに行ってしまったのだろうか。混雑する駅を歩きながら、「私はきっと・・・!」と思っていた高校生だったのに。

<救われてなお道はるか秋の雲>
いわゆる「熱心なバイブルクリスチャン」がカトリックの友人を見つけては「あなたはいつ救われたのか?」と議論を仕掛けるそうです(at USA)。「意識的な悔い改め→洗礼による救いの完成」という考えをカトリックではあまりしていませんね。もちろん、洗礼は大事な救いの約束ですが、救いは一瞬で完成されるものではなく、もっと継続的に人生に起こっているものだととらえているように感じます。この句を読んで、そんなことを思いました。

<綿虫にある星雲の記憶かな>
好きです、この句。小さな、小さな虫に込められた大きく深い生命の神秘、神の愛。

<虚言癖誘う恋や文化の日>
なぜ若い日の恋は多くを語らせるのでしょうか。後で苦笑い?

<難病を得てなお笑むよ秋の猫>
猫よ猫。どんなときでもそれは一枚の絵に。いつも、もがかずとも良い時に、もがき、苦しみのないところに苦しみを持ち込んでいるような私は、猫ほどに生を生きていないのではないだろうか。

<怒りても詮なきことよ秋過ぐる>
たまにはそんな風に肩の力を抜くことも必要かも。自分がコントロールできないことで心に毒を落としてしまっては。

<あらぬこと口走り居る冬便所>
後悔で気が動転したりしているとき、独り言がでてしまいまいます! プライベートなところならまだしも、新幹線の座席でも! 自分が怖くなる・・・。

<白き戸を開け放ちては母祈る>
本当に小さかった頃、2階建ての借家に住んでいました。母は父と何か話した後、仏壇に向って泣きながら祈っていました。私は毛布を引っ張って母のもとへ行き、座りました。母は私には目をやらず、寄りかからせるままにして、そのまま祈っていました。今の私よりずっと若かった母。何を祈っていたのだろう。

<かくひと日終わりて御顔見て閉じぬ>
こういう信仰の形、いいなあ。私のはむらがあっていけません。

<オレオレと急かす心や秋の雨>
余白さん、この句では「自己主張」のことを言っていらっしゃっていると、わかってはいるのですが・・・。
ここ数年話題の「オレオレ詐欺」。だんな君いわく、「アメリカではありえない」。(^^;)確かに! でも日本では笑い事では済まされませんね。なんでしょう、心に常に心配があるのでしょうか。それに、家族への、時に過剰な自己犠牲。なんていうか、家族のあり方の日米差などに思いをはせてしまう。

いう #dfWVfM6A | URL
2005/06/01 11:49 | edit

あのー(^^;)

すみません、上の文、結構、思い出なども入っていて、日記にうpしてみたいな、と思ったのですが、良いでしょうか?作品がたくさん入るので・・・σ(・∇・;)?もし差支えがあったら自分だけの日記のほうに入ます。(^^) お返事いただけたらと思います。(^^;)

いう #dfWVfM6A | URL
2005/06/01 12:05 | edit

感謝の雨、あられ

いや~、驚くほど的確な句評です。
「この句はそうじゃないんだよ」って言いたくなる句評をもらうこともあるのですが(とくにカトリックのこと知らない俳人などからは。。。もっともそれは作者自身の未熟さでもあるんですが)、いうさんのは、文句のつけようがありません。
長い間俳句をやってますが、こんなに丁寧に、一句一句に的確な句評を受けたことなく、心より感謝申し上げます。

どうぞ、ご随意にHPに転載してください。

余白 #oBO5MkqQ | URL
2005/06/01 15:29 | edit

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