「南無アッバ」を生きる ホーム » 連載「井上神父の言葉に出会う」 »(30)-12 井上洋治著『人はなぜ生きるか』における<「ファリサイ派の人と徴税人」のたとえ>をめぐって ( 『風』第89号 )

(30)-12 井上洋治著『人はなぜ生きるか』における<「ファリサイ派の人と徴税人」のたとえ>をめぐって ( 『風』第89号 )  

『日本とイエスの顔』一九九〇年版のこの「あとがき」から十年後、二〇一〇年一〇月の最後の南無アッバミサでも、また今年二〇一一年六月の「風の家」二十五周年講話でも、さらに七月の岡田大司教との対談においても井上神父は、

<私の人生は、リジューの聖テレジアに始まり、聖テレジアに終わる>

と繰り返し述べています。

テレジアを慕うこの言葉を、イエスにおいて「旧約」の父性的ヤーウェから「新約」の母性的アッバへと、命を賭けた神観の転換がなされたのだという、井上神父の主張のなかで聞くとき、わたしたちはまさにこれこそ、神父の求道的生涯を総括するにふさわしい言葉であると了解するのです。


「母」「父」に対するイメージは、受け取る人それぞれの家族観、生育歴などと密接に結びついており、一概に「母性」「父性」というくくりは問題がある、ということを学びました。

本来ならもっとストレートに、「やさしい神」「きびしい神」という表現でよいのかもしれません。
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category: 連載「井上神父の言葉に出会う」

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コメント

テレジアさまの神さまイメージ

毎日ブログのレイアウトが変わっていて、とっても楽しみです。
今日のネコちゃんバージョンもとってもポップでかわいいです。
以前井上神父さまのミサに参加した時の神父さまのご講話のなかで、テレジアさまがうたたね中に寝言のように神さまを「パパ」とお呼びになった、というお話をお聴きしたことがあります。
テレジアさまのイメージする神さまは、やさしくすべてを受け入れてくださる包容力のあるお父さんのような感じだったのではと思います。
女の子にとってのお父さんのイメージは、すべてを受け入れてくれる永遠の恋人ですから。
イエスさまの説かれる神さまの教えの大前提は、まず無条件の受容ということ。
そしてこんな私をも赦し受け入れていただいたという喜びと感謝の気持ちを、新たな一歩の原動力とすることが、信じるということのごほうびです。
「母性」という表現は、無条件の受容を意味する心理学上のテクニカルタームであるのだと思いますが、受容される側の性によっても、少しイメージに開きがあるような気がします。
テレジアさまもちょっと困惑されるのでは・・・。
無条件の受容は、母、父という概念を超えた、もっと大いなる神さまの愛であり、その光は男性にも女性にも、等しく降り注いでる、そう信じたい今日この頃です。

mitakaforest #pKCONESw | URL
2012/02/02 12:07 | edit

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