「南無アッバ」を生きる ホーム » 連載「井上神父の言葉に出会う」 »(30)-11 井上洋治著『人はなぜ生きるか』における<「ファリサイ派の人と徴税人」のたとえ>をめぐって ( 『風』第89号 )

(30)-11 井上洋治著『人はなぜ生きるか』における<「ファリサイ派の人と徴税人」のたとえ>をめぐって ( 『風』第89号 )  

井上神父の、そして遠藤周作氏いうところのキリスト教の「仕立て直し」とはまず、日本人に対してこのような誤解を解くことにあった、と言っても過言ではないでしょう。

<ユダヤ教の神ヤーウェが極めて父性原理の強い神であったのに対し、イエスの説いた神は母性原理の強い神だったのである。>(『日本とイエスの顔』二五二頁)

イエスは、そのような母性原理の神(アッバ)を説いただけでなく、自らそのように生きたがゆえに十字架に追い詰められたのでした。


遠藤周作氏留学中の、また井上神父が修道院での修行中に出会ったダニエルーの言葉「キリスト教の仕立て直し」。その試みを二人は、日本のキリスト教について行おうとした。

当時としては誰も手を出そうとはしなかったことで、「自分たちに見習うべき先輩はいない、俺たちが初めてなんだから」という気持ちだったといいます。

最近話題になっている山浦玄嗣氏の「ケセン語訳・イエスの言葉」を読みながら、感慨深い気持ちになります。
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