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(30)-10 井上洋治著『人はなぜ生きるか』における<「ファリサイ派の人と徴税人」のたとえ>をめぐって ( 『風』第89号 )  

右の内村や新渡戸の例、また「ミッションスクール」の道徳重視の教育、あるいは背教・離教していった文学者の例等々、「倫理・道徳」面を強調していった近代日本のキリスト教――それは同時に、神観という点では、父性原理の強い神の強調という結果をも生んだのだと思います。

井上神父が指摘する、ユダヤ教とキリスト教を同一視する誤解は、こうした事情も背景となって生まれたものと考えられます。


私の講座にも、若きころミッションスクールに通った、という方が来ていらっしゃいますが、
キリスト教は厳しいものだ、という印象を持ち続けていた人が少なくないです。

倫理・道徳の強調→父性原理の神→前に出て行く行為=「為す愛」の奨励。

井上神学・アッバ神学は、母性原理→受身的信頼=「為さざる愛」の重視。

こんな図式が頭に浮かびます。

「人生は哀しく、受け入れるものだ」という、井上師の言葉は印象的です。
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