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日本人にわかるキリスト教を求めて

26May2012+011_convert_20120623181132_20120623222548.jpg井上洋治神父は、遠藤周作氏と共に、日本人の感性で正直に受けとめられるキリスト教を一生をかけて模索し、1986年「風の家」をはじめました。このサイトでは、「風の家」運動を引き継ぐ平田栄一が「求道俳句」ほか、日本人キリスト者の道を模索する試みを紹介していきます。お問い合わせ 略歴 著書

(30)-6 『風』第89号 井上洋治著『人はなぜ生きるか』における<「ファリサイ派の人と徴税人」のたとえ>をめぐって  

それ以来神父は様々な学びの中で、青春時代の自分だけでなく、

<母性原理の強い神こそは、まさに共通に日本の人々が求めているものであることを段々と確信するに至った>(同)

のでした。

この日本人の、母性神要求に対して、日本に直輸入された「比較的父性原理の強い」西欧型キリスト教(会)は、十分に応えることができなかったばかりか、

<ユダヤ教とキリスト教を区別なく十把ひとからげにとらえ、ユダヤ教が砂漠の宗教だからキリスト教も砂漠の宗教だ>(二五二頁)

という印象を与えてしまった所に、大きな問題があったのです。


この点で私は、前にも書いたが、新約聖書を素手で読んだときの印象を、忘れることができない。
たしかに有難い話ではあるが、この倫理的な堅さというか、厳しさには着いていけないと思った。
本来イエスの福音の本質は、その道徳性ではない、とわかるまでは、ずいぶんと時間がかかった。

category: 連載「井上神父の言葉に出会う」

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