「南無アッバ」を生きる ホーム » 連載「井上神父の言葉に出会う」 »(30)-3 『風』第89号 井上洋治著『人はなぜ生きるか』における<「ファリサイ派の人と徴税人」のたとえ>をめぐって

(30)-3 『風』第89号 井上洋治著『人はなぜ生きるか』における<「ファリサイ派の人と徴税人」のたとえ>をめぐって  

この点については前号で、「旧約」-「新約」間を連続・発展とみるルカの「救済史観」を留保する井上神父の考えに触れましたが、まさに極めて大切なことなので、ここで補足・確認しておきたいと思います。

この書き下ろしエッセイ「私にとっての聖書」(一九八五年)から五年後の一九九〇年に、井上神父自ら「思想と生活の原点」と明言する、処女作『日本とイエスの顔』(初版一九七六年)の再々版が、日本キリスト教団出版局から出版されています。

その「あとがき」では、この十四年間を振り返り、

<もちろん現在でもなお私は「日本におけるイエスの顔」を求め続けている一介の求道者にすぎない・・(略)
・・しかし私としては、日本人キリスト者としてこの信仰以外には生きられないというぎりぎりの線を生きているつもりであるし、この際、今までの思索に対してなされてきた幾つかの批判に対してここで答えておきたい>(二四七頁)

として、井上神父は三つの点について回答しています。


この14年間に、煮詰まっていった井上師の思想、その確信を、開示していく。
私たち日本だけに暮らしてきた者には、井上師ほどの実感をもっては、感じられないかもしれないが、無意識のうちに、私たちが求めている信仰の持ち方の特色が、述べられていく。
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