「南無アッバ」を生きる ホーム » スポンサー広告 » 求道詩歌誌「余白の風」 »第191号 2011年11月発行

日本人にわかるキリスト教を求めて

26May2012+011_convert_20120623181132_20120623222548.jpg井上洋治神父は、遠藤周作氏と共に、日本人の感性で正直に受けとめられるキリスト教を一生をかけて模索し、1986年「風の家」をはじめました。このサイトでは、「風の家」運動を引き継ぐ平田栄一が「求道俳句」ほか、日本人キリスト者の道を模索する試みを紹介していきます。お問い合わせ 略歴 著書

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第191号 2011年11月発行  

*日本人の心の琴線にふれるイエスの顔を求め、福音を生きる

会員作品とエッセイ(*主宰コメント)

秦野市  長谷川末子
椋の群騒々しさに夫笑ふ
儘ならぬ人の世と聞く神在す
いじめっ子いじられっ子もみそなはす
短日も感謝の思ひ胸満たす
冬近し雲の一日感謝の夜

*②上五中七と下五の対比が妙。「神も仏もあるものか!」と嘆きたくなることの多い「人の世」。それだからこそますます神の存在を疑わない。信仰者の清々しい逆説。


稲城市  石川れい子
訪ひ来れば菊の中より祖父の声
初めてのむすめ嫁ぐ日菊日和
秋高し体重計の針の先
ふる里に根付く金柑たわわなり
車椅子の夫の笑顔や岐阜の柿

主宰「求道俳句集」選
あるがまま捩れ咲きたる秋桜
白秋の風に溶けたるイエスかな
子と議論するも楽しき夜長かな

*丁寧に拙句集をお読みいただき有難うございます。③上五下五の取り合わせ、秋のやや心細げな、しかし真っ直ぐな心が表現されている。⑤車椅子からの風景は健常者と趣が違うと聞きます。


練馬区  魚住るみ子
梅雨入りや補聴器に知る雨の音
やや音の高し昭和の扇風機
コスモスの揺られ乱るる風の行方ものや思へとおも面を吹き過ぐ

*①②先の「車椅子」の句と共に、「補聴器」からの音も「昭和」の音も、アッバの賜物と思える信頼。③これも、先の拙句①と合わせ、か細いコスモスだが、アッバの風に健気に語る。


名古屋市  片岡惇子
一粒の寄り合い石榴重さかな
金木犀存在の香の散りゆきぬ
うなだれしコスモスの種風に飛び
風に添い優しくなりし秋桜
今日もまた道草したる秋の風

*①②ややぎくしゃくした作りだが、それゆえに「重さ」や「存在」が印象的でもある。③④右③と共に、もう単なる草木を超えて天使の様。


大和市  佐藤悦子
秋の田に朗報のあり南無アッバ
今日一日しずかに暮れぬ花野かな
秋夜長レクチオ・ディヴィナのヨハネ伝
秋雨や吾も行きたしベトザタの池

*③「レクチオ・ディヴィナ」=聖なる読書。ゆっくりと聖書を読むことが、そのまま祈りになる。まさに単純さのなかに真理がある。④「南無アッバ」だからこそ、「苦しい」「辛い」と甘えていい。


豊田市 佐藤淡丘
秋の風声さまざまに運びくる
首筋に風を感じて小鳥来る
額づきて祈ればそこにちろろかな
木の実落つ地に活きなむと坐りをる
大空を歩むふりして秋惜む

内村鑑三が著した「一日一生」の本が好きで読み出して、かれこれ十二年になります。
果せるかな、今日は私の好きな言葉に出会いました。曰く、「人生の目的は神を知ることにある」と。口はばったいことを言うようですが、私は神さまが大好きです。
〝南無アッバ〟とくちずさむごとに、神さまがぐっと近づいてくるように、この頃やっと思えるようになりました。これも神を知る一つの重要な手立てかも知れませんね、アーメン。南無アッバ。

*①②今月は風の句も多い。やはりみなさん、季節の巡りを一番に「風」=プネウマに感じるということでしょう。意味深長。その風に促されて、思わず「南無アッバ」と出る。また逆に、「南無アッバ」が祈り心を育てる。井上神父も、かつてそう話していました。


京都市  瀧野悦子
ロザリオの月わたし優しくなれそアッバ
ワンルームマンション秋の薔薇匂ふ
厨事ほっぽり秋の灯親しめり
キリストの系図躓く秋の夜
マリアとマルタマリアになれずちちろ虫

⑤よくマリア型・マルタ型という性格分類がありますね。どちらが良いか?というより、自分にない相手の性格を受け入れる、ということが大切かと。


寄贈誌より
「日矢」五六一号  新堀邦司
からたちも実となる白秋生家かな
合歓大樹の花を仰ぎて川下り
いも粥をすすり原爆記念の日

*いつもお贈りくださる「日矢」同人の方々の言葉やさしく思いの深い句を楽しみにしています。


『幼きイエズスの聖テレジアの教訓と思い出』覚書3
彼女(テレジア)はしばしば私(セリーヌ)にこう言った。「あなたは徳を実行するようにはなれないでしょう。・・・・あなたは山に登ろうとしますが、神様はあなたが自己軽蔑を学ぶことのできる豊沃な谷底にあなたを降りさせようとしていらっしゃいます。」と。(28)
――降下させる神の恵み。何かに功をなすより、むしろ失敗して謙遜を学ぶことが尊いという。

「・・・・あなたは転ぶことを喜ばねばなりません。もし転んでも神様に背くようなことがないならば、自らへりくだるため、わざと転ばねばなりません。」(29)
――あえて転ぼうとする程、小さい者であることの自覚。

聖母マリアのように、彼女の一大秘訣は沈黙であった。彼女は「すべてのことを心に納める」のが好きだった。喜びも苦しみも、この慎みが彼女の力であった。(30)
――テレジアは、誤解を受けそうなときにも、あえて沈黙を守ったという。とても真似できるようなことではないが、そうであってもテレジアの場合、優等生的な嫌味を感じさせないのが不思議。

「もし神様が美しい考えや崇高な感情をお望みになるならば、天使たちがおります。神様は私どもの本性の弱さをいささかも持たないような完全な霊魂をお作りになることさえおできになるのです。いいえ、神様は、よわくみじめで、哀れな小さい人間を、およろこびになるのです。たしかにその方がもっとお気にいるのです。」(32)(つづく・余白)


求道詩歌日録(ブログより):平田栄一
沸き出ずる泉のように只「はい」と受ければ満ちる神様の愛   (ローマ8:31-39)

2011.10.27 Thu mitakaforest より
求道俳句/短歌、毎日たのしく拝見しています。
人生はいわば、受け入れがたきを受け入れ、認めがたきを認め、それでも日々を 前向きに生きて行く訓練。そこに人生の同伴者としての神の存在の意義があり、またその役割に気づき、人生の主客転倒が実現した時、そこに神の国がひらける・・・・。その真実(ここでいう真実とは、人に生きる勇気と希望を与えること)を、まさにからだをはって私たちに伝えて下さったのがイエスさまなのですね。
ほんとうに大切なことは、かなりシンプル。日々の暮らしの一つ一つの言動の場面で、この真実にふっと思いいたすこと、その積み重ねが、信仰のある生活なのかなと、おぼろげに思います。
遅々たる歩みではありますが、井上神父さまと出会えた僥倖を、常に心に刻み、時を重ねてゆきたいと思います。これからもよろしくお願い致します。

2011.10.27 Thu 余白
つたない歌を、毎日ご覧下さり、恐縮です。ちょうど今日の聖書個所は、ローマ書8章で、パウロ神学のエッセンスが詰まっています。内村鑑三なども、ここはロマ書の中心、ということを述べていますね。
いろいろな解釈があるのでしょうが、やはり私は「風の家」会員ですから、「行き着くところは南無アッバだよ!」 というふうに読んでいます。
そう、おっしゃるとおり、「人生の主客転倒が実現した時、そこに神の国がひらける。」少しずつ少しずつ自分を変えていただく。「ほんとうに大切なことは、かなりシンプル」なのでしょう。
井上神父様はお元気です。今後ともよろしくお願いいします。

わが本がトラピスチヌにて売られおり思わず妻にロザリオを買う
ハリスト正教会にて購いし新約聖書は文語にござる
てのひらにNゲージをのせ確かめり少年時代に夢見し重さ

〇遠藤周作文学ノート 『侍』(新潮文庫)2011.09.26 Mon
「侍」=支倉常長、その他の人物を通じて、「同伴者イエス」の遠藤神学が語られる。この小説は、遠藤氏自らが話しているように、ご自身の私小説ともいえる傑作。若い時読んだのとは、まったくといっていいほど違う、強烈な印象を持った。やはり、よい本は、時を経て何度も読み返すべきものと、改めて痛感した。
日本(人)とは何か、キリスト教とは? 信じるとは? 人間とは???そして自分は・・・・。様々な観点から多くのことを示唆される作品。

神無月といえども吾ら主にありぬ
キリストに望みをかけて冬立ちぬ

南無アッバの集い&平田講座十一月二十六日(土)

「余白の風」入会案内:サイドバー参照
*どなたでも参加できます。初心者歓迎。

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