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なんでいまさら宗教なの?  

 高校時代までのぼくは、目に見える、手にとって確かめられるものだけがホンモノ本物だと思い込んでいました。大学の学部選択の基準も、できるだけ具体的・実用的な学問をしたい、ということで、商学部を選んだのです。
しかしその後の人生で、それまでのわたしが想像だにしなかった人生の大事件が起きました。ちょっと大げさな言い方になりましたが、それはカトリック(キリスト教)との出会いです。
 若いきみたちには、今は興味がないかもしれませんが、なにかの拍子に思い出し、参考になることもあるかもしれない、ということわりのもとに、これから話をしていきたいと思います。途中退屈な話もあるかもしれませんが、どこか一箇所でも印象に残ることがあれば、うれしいです。

 ところで、「なんでいまさら宗教なの?」あるいは、「そんなもの俺たちには関係ないよ。神とか仏とか、いるとも思えないし、いたとしても老人や弱い人間がすがるもんじゃないか」と考えている人がいるかもしれない。たしかにそうかもしれません。たとえば、神の存在証明。古来いろいろな人がいろいろ試してきましたが、ぼくの結論を先にいえば、そうしたものはあまり説得力がない。というか、万人が納得いくような証明をした人はいない。そもそもそういう証明ができないという性質が神かも。。。。このあたりのことは後回し。

しかし最近読んだ本の一節にも、次のように書かれていたことが印象的です。ちょっと長くなるけど引用してみます。

「それにしても、我々の社会、いまだにまったく、宗教からの解放どころの騒ぎではないではないか。相変わらず、うさんくさい宗教、疑似宗教、疑似疑似宗教が次々と出現し、それにたぶらかされる人が次々と大勢出て来る。実は、統計的には、今の日本人は、私は無宗教です、と思っている人が非常に多い。しかし、実際には、その人たちは宗教から足を洗うことなどできておらず、さまざまな宗教儀礼に適当につきあって、まさに日本的ななあなあ主義で、適当にあちこちつきあっておいでになる。単なるつきあい程度なら、御自由に、としか言えないけれども、この種のものは単なるつきあいでは終らない。だから人々の心の中に、うさんくさい宗教、擬似宗教、新興宗教、新々宗教、新々々宗教、擬似擬似宗教、等々に対する免疫が形成されないのである。昨日まで、私は無宗教です、と言っていた人が、ある日、気がついてみると、とんでもない擬似宗教のとりこになっている。オウムだの、白装束だの、何だのかんだのというのは、別に、少数の例外的な人がとりつかれたわけではない。日常は、そんな迷信的な擬似宗教とはまったく無縁のように見え、ごく普通の生活を送っている人が、ある日突然、そういうものに組み込まれる。逆に言えば、いかにも、そういうものにたぶらかされそうな危うい人が、この社会に満ちあふれているのである。だから、次々とあの手のものが登場する。」(田川建三著『キリスト教思想への招待』勁草書房 二三八~二三九頁)

 田川氏はこのあと、だから既成宗教や伝統宗教がいい、などとは言いません。「宗教信仰というのは、本質的にうさんくさいもの」ではあるが、しかし「同時に、この社会において、さまざまなよき部分」、「特に、あまり眼に見えない領域で良きものを担ってきた」といいます。そういう「良きもの」を宗教ではなく、「みずからの手で直接担うようになってはじめて、我々は、もう宗教なんぞいらない、と言える資格を手に入れる。それなしに、宗教なんて迷信だからやめなさい、などと言っても、無益な破壊になるだけだ」と――。まあこんな感じです。
 田川建三という人は、聖書学界では超有名な学者です。既成の教義にとらわれず、ラディカル(根本的)にイエスの思想を解き明かそうとしている、わたしは最も良心的な聖書学者の一人だと思っています。〝最終的に宗教をこえるために宗教を知ろう〟そういうことではないかとわたしは読みました。
 二〇〇一年にアメリカで起こった大規模な自爆テロ事件は、イスラム教の過激派組織の一部の人たちが起こしたものでしたね。日本でも何年か前、オウム真理教の地下鉄サリン事件があって、たくさんの人が死傷しました。宗教にまつわる暗い話、怖い話はたしかに多い。
 でも一方で、先年亡くなったマザー・テレサの活躍を知らない人はいないでしょう。あの人はいわゆる慈善事業家ではなく、*カトリック(キリスト教の一派)の修道女、シスターです。根底にあるのは神やイエスに対する熱烈な信仰です。
 最初に言ったように、わたしもカトリックです。*なんでそうなったの?とよく聞かれますが、その経緯はおいおい話していくとして、今は、もう少し有名な人の例を話しましょう。
たとえば作家で数年前に亡くなった遠藤周作さん。この人はわたしが*洗礼(キリスト教になる儀式)を受ける決心をするきっかけになった人です。狐狸庵モノとかユーモア小説とか、いっぱい書いて学士院会員にまでなった人です。ノーベル賞をもらう直前までいった作家です。この人が書いた『沈黙』とか『深い河』とか、読んだり映画で見たことがある人もいるんじゃないかな。そう、ユーモア小説なんか書きながら、十年に一度くらいまじめな?本を出していたんだね。僕も学生時代、遠藤周作さんの〝狐狸庵もの〟や〝ぐうたらシリーズ〟を読んで腹を抱えて笑ったものです。しかしそうしたユーモアの根底に、氏の〝キリスト教〟的な、いわば「道を求める心」が隠れていることを知ったのはずっと後のことです。それで、この人が書いたものにも僕はかなり影響を受けているんだけれど、そのことはまた、おいおい話していきましょう。
 それから三浦綾子さん。これも映画やテレビでやったことがある『氷点』なんか書いた人だよ。僕は最初の本『今を生きることば』ってのを書いたとき、この人に帯を書いてもらったんだよ。うれしかったなあ、とってもほめてくれたんだ。なんか、本の内容より、三浦さんの帯文のほうがよかったりして、気恥ずかしいんだけど(笑)。。。。
ほかにも曾野綾子さんとか小川国夫さんとか、文学が好きな人ならたいてい知ってる、日本で今活躍している作家には、実はけっこうクリスチャンが多いんだな。先日立ち寄った本屋さんでも、曾野綾子・三浦朱門さん御夫妻、三浦綾子さん、矢代静一さん、加賀乙彦さん、そして遠藤周作さんなどの本が平づみになっていました。この人たちはすべてキリスト教の洗礼を受けた作家です。高校生ぐらいだとそのことを知らずに手に取っている人たちもいるんじゃないかな。
現代だけじゃなくて、近代の文学者のなかにも芥川龍之介や太宰治、この人たちは洗礼は受けなかったけど、少なからず聖書やキリスト教に関心を持っていた作家です。もっとさかのぼると、正宗白鳥、有島武郎、武者小路実篤、国木田独歩・・・いくらでもいる。
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