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日本人にわかるキリスト教を求めて

26May2012+011_convert_20120623181132_20120623222548.jpg井上洋治神父は、遠藤周作氏と共に、日本人の感性で正直に受けとめられるキリスト教を一生をかけて模索し、1986年「風の家」をはじめました。このサイトでは、「風の家」運動を引き継ぐ平田栄一が「求道俳句」ほか、日本人キリスト者の道を模索する試みを紹介していきます。お問い合わせ 略歴 著書

平田栄一のエッセイ詩集4『雨音のなかに』(2000年 ヨルダン社)  

アフォリズム(警句・断章)風の文で、人生について辛口、甘口、ヒーリング、ホッとするもの、ズバッと物言うものなど一気に読めて、味わい深い短文集。
雨音表紙
著者からのコメント

「読んでいるときは面白いが何も心に残らないような本と、読んでいるときは少しかたいが、やがて心の中で生命の泉となって湧きでる本とがある。この本の読者は、やがて生命の泉が心のなかに湧きでるのを感じられるに違いない。」(カトリック司祭 井上洋治氏 書評より)

「本書には会心の作ともいえるエピグラムがたくさん集められている。一つ一つの作品が夜のしじまの中に小さな音色を奏でては読者の魂に安らぎと優しさとを与えてくれる。読み終えると何かしら心が潤されたような気持ちにさせられる。」(東京YMCA総主事 新堀邦司氏 書評)

120頁 本体価格1300円 ISBN4-8428-0289-8

<作品抜粋>

〇雨音のなかに
身体は疲れていても頭の芯が冴えていて眠れない、
という夜がたびたびあります。
そんなある夜、彼は冴えた頭のなかに、
神を探そうと熱心に祈りました。
しかし、一時間ほど祈っても、
頭の片隅にすら神を見つけることはできませんでした。
彼に安らぎを与えてくれる神はいなかったのです。
とうとう眠ることをあきらめかけたとき
──それはもう明け方近かったようです──
夜更けから降り続いていた雨の音に、ふと気づきました。
彼は自分の意識を、頭のなかから窓の外の雨音に転じました。
ただひたすら、雨音に聞き入ろうとしました。
自然に、神をあえて探そうという努力を止めました。
ほどなく、ある種の安らぎが彼を満たしていきました。
雨音の中の神──

〇生きかたを問う
価値観が多様化し、混迷をきわめる世の中で、
生き方が問われています。
父としての、母としての、夫として、妻として、子として、
友人として、社会人として・・・・。
しかし、これらはすべて抽象的・一般的な
「父」「母」「友」等々としての
生き方が問われているわけではないのです。
いまここで、他にかわることのできない一人の人間が、
同じように、かけがえのない一人ひとりの人間を相手としたとき、
どう向き合うのか、どう生きるのかが問題にされているのです。
わたしたちは、親としてこうあるべき、子としてこうあるべき、
真の友としてこうあるべき・・・・という言い方をよくしますが、
すべての親や子や親友に完全に共通した、
普遍的な在り方など、ありはしないのです。
常に具体的な、人それぞれの、実存的な状況の中で、
隣人からなにが期待され、どう応えようとするのか、
あるいは何を拒否しようとしているのか──
いずれにしろ、わたしたちの生き方は、
常に身近なところで問われているのです。

category: ○著書

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