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日本人にわかるキリスト教を求めて

26May2012+011_convert_20120623181132_20120623222548.jpg井上洋治神父は、遠藤周作氏と共に、日本人の感性で正直に受けとめられるキリスト教を一生をかけて模索し、1986年「風の家」をはじめました。このサイトでは、「風の家」運動を引き継ぐ平田栄一が「求道俳句」ほか、日本人キリスト者の道を模索する試みを紹介していきます。お問い合わせ 略歴 著書

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08/16のツイートまとめ  

yohaku5

@mitakaforest あ、私もたぶん持っています。緑色の厳かな表紙のじゃなかったかな?いいですね。
08-16 06:25

@mitakaforest ヨーロッパでは、聖書の次に読まれた本。聖テレジアも愛読していたようで、よく引用が出てきます。またお忙しくなられたようですね。くれぐれもご自愛ください。南無アッバ
08-16 06:27

ここまでのところをまとめてみます。どんなことが見えてくるか。復活予告を信じられないお弟子たち(マタイ17:23)の問題はどこにあったか。その根本は、自分の立場に執着して子供のように(18:4)謙虚になれない姿勢にあった。
08-16 08:13

それを正すためには、まず自分が先に許されている(18:33)ことを、無心になって認めることが大切。そこから横の関係としての許しがみえてくる。
08-16 08:14

ではどうすれば、そうした謙虚・無心の幼心になれるのだろうか。そのヒントとなるのが、かのギリシア人のように、イエスとの出会いを求める姿勢(ヨハネ12:21)である。
08-16 08:15

<神が結び合わせてくださったものを、人は離してはならない。>(マタイ19:6b)これも、上記の文脈、謙虚・無心、すなわち自己相対化への文脈として読んだとき、はじめて現代の私たちにしっくりする聖句となる。
08-16 08:17

<はっきり言っておく。子供のように神の国を受け入れる人でなければ、決してそこに入ることはできない>(マルコ10:15) 先の「子供」から学ぶべき特性について、イエスが言いたかった最大のものがこの言葉に表れている。すなわち「子供のように神の国を受け入れる」ということ。
08-16 08:18

先にも考察したように、一般的な「子供」の性質からして、彼らはけっして「謙遜」ではない、わがままで自己中心的でさえある。しかし彼らには共通して、知識が無い、知恵も無い。それだけに人の話を文字通り受け取り、疑うことをしない。悪くすると騙されやすい。
08-16 08:19

この「受け入れる」心、素直さ、疑わない心=信頼心、それこそがイエスが神の国への切符として、言いたかったことなのではないか。
08-16 08:21

<「主よ、しかし、食卓の下の小犬も、子供のパン屑はいただきます。」>(マルコ7:28)
08-16 08:23

異邦人の女が娘の病を癒してもらおうとイエスの下に来て懇願する。そして断られる。しかし女は諦めず、食い下がって言った言葉。自分の立場に臆さず、わが子のために願い続ける。ついに主は折れて願いを聞き入れる。この女の、母としての愛の強さ、率直さ、主への絶対信頼、そして知恵に学びたい。
08-16 08:25

聖書日記 2011/08/15 聖母被昇天祭<主がおっしゃったことは必ず実現すると信じた方は、なんと幸いでしょう。>(ルカ1:45) 井上神父様に会ってきた。お目が不自由な他はすこぶる元気そう(に見える)。先日行われた岡田大司教様との対談のお話など、興味深い。
08-16 08:35

 マリア様のように、先のことがわからなくても、アッバにすべてをお任しようとする神父様のお顔を目の当たりにし、あらためて己の信の未熟なるを知る。
08-16 08:40

2011/08/16<イエスは彼らを見つめて、「それは人間にできることではないが、神は何でもできる」と言われた。>(マタイ19:26)
08-16 16:46

体調が今一つなのと、原発事故以来、バリウム検査による被曝量などが気になり、人間ドックを延期した。今はどんなデータを信用していいか、わからない状況にある。 キリスト教では神は全知全能だという。裏返せば、人間にはできないことがあるということ。
08-16 16:51

やはりこの御言葉も、私たちの人生の主役=主導権はアッバにある=私たちの人生はその御心が行われる「場」なのだ、ということを意味しているのだと思う。【わたくしの弱さが神の心なら素直に受けん 喜びよあれ  栄一】 それぞれに与えられた「場」で精いっぱい生きよう!
08-16 16:51

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