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『幼きイエズスの聖テレジアの教訓と思い出』覚書  

「私の人生はテレジアに始まりテレジアに終る」という井上神父が、「真珠の如くすばらしい言葉が並んでいる本」と絶賛している『幼きイエズスの聖テレジアの教訓と思い出』(S35=1960年、カルメル会訳)を少しずつ読んだ所を、ノートします。

 セリナ・マルタン(五女・1894年入会、ジュヌヴィエーヴ)は、テレーズ・マルタン(七女・1888年入会)の姉であるが、カルメル会入会は前後する。セリナはテレーズの精神的な「弟子」となった。(p.5)

テレジアは1896年3月から1897年9月30日に死去するまで、女子カルメル会において称号はなかったが、実質的に修練長だった。(p.10)

テレジアは、修練女各自の個性を考慮して、勧告をあたえた。
「・・・・この相違のために、どうしても人はみな、同じ方法で誘導することはできないのです。・・・・イエズス様が彼女たちにお示しになる特定の道によって、霊魂を導かねばならないことを感じます・・・・。」(p.11)
井上神父は、イエスの説教やたとえ話はすべて対機説法である、という。すなわち、テレビやラジオで不特定多数の人々に語ったようなものではなく、目の前で顔を合わせている特定の人々に語った。ゆえに、個々を比較すれば、矛盾するような言葉がたくさんある。修練女に語ったテレジアの言葉にもそういうことがあるということ。
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