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日本人にわかるキリスト教を求めて

26May2012+011_convert_20120623181132_20120623222548.jpg井上洋治神父は、遠藤周作氏と共に、日本人の感性で正直に受けとめられるキリスト教を一生をかけて模索し、1986年「風の家」をはじめました。このサイトでは、「風の家」運動を引き継ぐ平田栄一が「求道俳句」ほか、日本人キリスト者の道を模索する試みを紹介していきます。お問い合わせ 略歴 著書

求道詩歌誌「余白の風」第187号 2011年7月発行  

 日本人の心の琴線にふれるイエスの顔を求め、福音を生きる

会員作品とエッセイ(*主宰コメント)

大和市  佐藤悦子
月あかり一本松を照らしゆくイーハトーブや南無南無アッバ
満ちるほど余命の一日恵ありとメールにつづりし友旅立てり

*身につまされる二首です。震災も病も老いも、人間の限界を思い知る時。わたしたちに南無の心を。

豊田市 佐藤淡丘
つるバラをくぐればそこにマリア像
音もなく風をもてくる黒揚羽
一人来て十薬の花一礼す
田を植えて空の映りし一日かな
六月の空と海なす室戸岬
空海(弘法大師)の見た空と海を見た。

NHK「ラジオ深夜便のつどい」が、高知県の荒磯の町、田野という小さな町で行われ、これに参加した。続く翌日は、室戸岬に回り、空海が修行したと言われる洞窟(御厨人窟(みくろど))に入り、独り静かに波の音を聴いた。コウモリがいた。
大海原は折りしも梅雨の真っ只中、灰色がかった鈍い青緑色、水平線が丸く見えた。海面すれすれに飛ぶ鳥がいて、背後から鶯の声がする。海に魂を奪われたかのように、ひとり佇んだ。南無アッバ。南無アッバ。南無アッバ。

*室戸岬の旅の情景が目に浮かぶような連作。空海さんはその「空と海」をどう見たことでしょう。

福山市  竹原陽子
わたしは/わたしの聖堂に/ゆっくりすわる

*「わたし」の居るべき位置を知る者は、その安心のなかで、ストーンと落ちる、アッバの御腕のなかに・・・・。

一宮市  西川珪子
茶畑の新芽哀しき放射線
畦作り一直線という見極め
しろき綿の褥に眠るそら豆は
みちのくの祈り捧げる聖霊降臨
庇まで伸びて曲った今年竹

梅雨の晴間、庭中に繁茂した草を抜くため、タイムスイッチを四十分に設定して頑張ることにした。腰にはしっかりコルセットを巻いての作業。するすると抜ける草もあれば、しっかり根を張ってなかなか抜けないものもある。ふと思う、三位一体の聖霊を頂き、深く根を下したはずの信仰を振り返って、もっと人を思いやる心でありたいと願った。草の根を通して。南無アッバ

*⑤「伸びて曲がった」など興味深い見立て。②「一直線」という措辞とともに、人生の長短を思わせる。

秦野市  長谷川末子
節電に埃払ひし扇風機
父の日の靴下初の五本指
老鶯の声して教会へと急ぐ
網戸渡る風の姿は見へねども
紅百合に十字架上の主を思ふ

*拙『求道俳句集』から八十一句も書き出してくださったお手紙、まことに感謝です。③老鶯(ろうおう、おいうぐいす)は夏の鶯ですね。

世田谷区  広谷和文
春の野に縄文の風吹きにけり

*ひさしぶりに御作をいただきました。「春の野」と「縄文」の取り合わせに大らかな「風」を感じます。

稲城市  石川れい子
父の日や南無南無アッバ南無アッバ
父の日に訪ふ子十指に余る程
ねぶの花働き者の父でした
万緑の中万歳の声ひびく
弟と二人旅して鱧づくし

平田栄一第一句集『求道俳句集』の発刊を、心よりお祝い申し上げます。
松尾芭蕉「奥の細道」かるたを、母より先日ゆずり受けて参りましたが、「求道俳句かるた」をつくったら、皆で楽しく遊べることでしょう。

*なるほど。聖書かるたってのはありましたよね。「求道者」の視点からというのは面白いかも。

八王子市  フランシスカ井上
聖霊のおかげだったと後で知る老い病恵みに変る南無アッバ
十字架の先で百鬼を眠らせる
ピリオドは無いね女の台所
気が付けば余白の風に酔っている

*①「後で知る」こと自体もお恵みかも。②ユニークな視点。悪霊とは日本でいえば「百鬼」のイメージか。

名古屋市  片岡惇子
夏の風ヨハネ一章捲りけり
天命を待ち侘びている蝸牛
夾竹桃希望を捨てぬと文届く
目の丸太気付かぬ我に雷激し
生かされて扇子あおげば風優し

*作者の素直な視線が全句に出ている。良くも悪くも、まず現状を受け入れるところから始まる。

蓮田市  平田栄一
スーちゃんの逝きたる翌日わが句集最終稿を入稿せしも
イエス死にし時またこの春世を揺する地(な)震(い)は起これり何の徴ぞ
まいまいに幼子の道遥かなり


平田栄一著『求道俳句集』に寄せて=新堀邦司

聖書を俳句に詠むというより、俳句で聖書を読むといった、とてもよい試みですね。共感を覚えます。ことに共観福音書を詠んだ俳句がよいです。
 系図ごと背負いて御国へ秋の空
この句によって私は次のことを教えられました。
イエスは、その時代の人々と、それ以降の私たちの時代に至る人々をお救いになっただけでなく、それ以前の、マタイの系図に記されているような過去の人々をもお救いになられた。イエスは全人類の救世主であると。
マタイ伝を詠んだ句では、
 御心のままに野の百合空の鳥
の句がよいと思います。 何か、生きとし生けるものが、アッバを仰ぎ、全幅の信頼を寄せているように感じさせる句ですね。
私は、近頃では「信仰」という言葉よりも「信頼」という言葉の方を好んで用いるようにしています。「信仰」という言葉には、「私が主を信じて仰ぐ」という、どこか、人間のエゴを感じさせるニュアンスがあります。そうではなく、エゴを捨てて主に委ねる。主の懐に抱かれて暖かな感謝の思いをもって生きていく。こうした考え方の方が、よいように考えています。「アッバ」というのは神への全幅の信頼を表わす、叫び声です。
私は日本語の敬語について関心を抱き、少し前に滝浦真人著『日本の敬語論』を読みました。滝浦氏は敬語について次のように述べています。

「敬語は距離化の表現であり、距離化とは、対象人物を〝遠くに置くこと〟によって、その領域の侵犯を回避するネガティブ・ポライトネスの一形態である。対象人物を遠くに置くとは、その人物を〝ソト〟待遇することであり、定義上それは、その人物を脱距離化的に〝ウチ〟待遇することと相反関係にある。
それゆえ、敬語使用の裏面にある敬語の不使用が、対象人物を〝遠くに置かないこと〟によって、共有を表現するポジティブ・ポライトネスのストラテジーとなり得る。」
つまり、対象人物に対して敬語を使わないことは、自分と対象人物との心理的近さを表すことになる、双方の共感度を指し示している、というのです。敬語は対象人物と私との〝疎遠〟を表わす言葉であり、その反対は対象人物と私との心理的近さ、もっといえば〝親密さ〟(一体感)を表わすのだ、と滝浦氏は言っています。
この論を読んで、私はイエスの「アッバ」の叫びがわかりました。イエスが神に対して、敬して遠ざけるようなもったいぶった敬語を用いずに、対象人物(神)と自分との最も親密さを表わす「アッバ」というストレートな言葉を用いたことに感じ入っています。
故に、私は「アッバ」は信仰というよりもイエスの神への信頼の言葉だと考えています。この言葉によってイエスと神はいかに近い関係(分かちがたい関係)にあったかが理解できます。

平田様の句で「使徒言行録」第二〇章を詠んだ、
 信仰とはたとえばレット・イット・ビー
もなかなか意味深いものを感じさせます。私の持っているニューキングジェームズヴァージョン(NKJV)聖書では、ルカ伝一章三八節のいわゆる受胎告知におけるマリアの言葉「お言葉どおりこの身に成りますように」を〝Let it be to me according to your word.”〟としています。
 この英語訳を私はとても気に入っています。マリアの言葉は神への全幅の信頼を表わしたものです。「アッバ」への信頼、これも「南無アッバ」です。
 レット・イット・ビーは私の好きなビートルズの歌です。この歌も大いなる方への信頼を示唆しているように思います。十二月八日はジョンレノンの命日。そのうちいつか、レノン忌にちなんだ句を詠んでみたいと思っています。


寄贈誌より
「日矢」五五七号    新堀邦司
この国に嗚呼鎮魂の桜咲く
手をのべて花のいのちに触れもして
大の字に寝てこの桜一人占め(職を引く)

「野守」四四号     大木孝子
臥しがちの春ともなりぬ水たひら
水衣欲し緑陰にねむるとき
げぢげぢやつつうらうらの罪と罰


お知らせ・報告
○六月十二日(日)「風の家」二十五周年・感謝の集い=多くの方にご参加をいただき、まことにありがとうございました。当日の音声はhttp://page.freett.com/yohaku5/
昨年最後のアッバミサから八ヶ月ぶりのお顔を拝見。
○六月十九日(日)井上神父、立川教会にて講演=「神様が主人公の私たちの人生」老いを生きる意味、エフェソ2:10などを巡り、現在の心境を語る。
○六月二十五日(土)南無アッバの集い・平田講座(第十四回、次回は七月二十三日)
○七月九日(土)十六時、「キリスト教と日本人の心」 ―岡田武夫大司教と井上洋治神父による対談―麹町教会マリア聖堂にて。
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*入会案内は本ブログサイドバー参照

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