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第13回 四谷講座ノート 2011-5-28/2.井上神学の救済論(6) 罪と苦しみ-イザヤ書から  

講師:平田栄一(二〇一一・五・二八 四谷ニコラバレ)

■罪と苦しみ
 これまでみてきた『パウロを語る』の引用部分を中心に、井上神学の救済論の特徴を見ていきます。

A.【緑p.24】ここでなぜ『イザヤ書』を持ち出したかと言うと、短い引用のなかで、罪と苦しみとイエス、この三者の関係をにおわせる旧約の箇所だからです。
・イザヤ書概要――三大預言書『イザヤ書』『エレミヤ書』『エゼキエル書』の一つ。著者について、聖書自身は八世紀に活躍したイザヤに帰す。が、学問的には三つ、少なくとも三人(以上)の著者がいたと考えられる。一~三九章「第一イザヤ」、四〇~五五章「第2イザヤ」=バビロン捕囚~帰還、それ以後が五六~六六章「第3イザヤ」。新約聖書中、最も引用されている。とくに、メシア預言の文脈=第二イザヤ。
では「苦難の僕の詩」の中味を見ていきましょう。

B.【p.25.1】この「苦難の僕」については、古来いろいろ解釈されてきた。①教会の伝統では「イエス」、②集合的に「イスラエル民族」、③その他の個人、預言者。

C.【p.25-5】「七十人訳聖書」=Septuaginta[ラ]ギリシア語訳旧約聖書。BC三~一Cにかけ、アレクサンドリアのディアスポラでヘブライ語からギリシア語へ翻訳。七十二人が七十二日間で訳した、という伝説。新約の引用は主に七十人訳から。現存する旧約のヘブライ写本より古いので、本文批判では重要。
ここでは、わたしは「主の僕」の主体を議論するのではなく、客体=背負ったものを問題にします。罪と苦しみということです。

まとめとして、病・痛み→苦しみ、背き・咎→罪。
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