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日本人にわかるキリスト教を求めて

26May2012+011_convert_20120623181132_20120623222548.jpg井上洋治神父は、遠藤周作氏と共に、日本人の感性で正直に受けとめられるキリスト教を一生をかけて模索し、1986年「風の家」をはじめました。このサイトでは、「風の家」運動を引き継ぐ平田栄一が「求道俳句」ほか、日本人キリスト者の道を模索する試みを紹介していきます。お問い合わせ 略歴 著書

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求道詩歌誌「余白の風」第186号 2011年6月発行  

 日本人の心の琴線にふれるイエスの顔を求め、福音を生きる

平田栄一第一句集『求道俳句集』発刊のおしらせ
 聖書をよりどころに俳句をつくる――四半世紀の句作のなかから、未発表作品六一句を含む求道俳句三二〇句を、聖書配列順に選びました。
 個人としては、これが第一句集となります。
 たとえ一、二句でもどなたかの心に残る作品があるなら、幸甚の至りです。ぜひご一読頂けますようお願い申し上げます。

 未発表作品から
梅一輪くわえて戻るノアの鳩   創世記八
清明の頃との説や主の晩餐   マタイ二六
黄落に埋もれる傘の柄の長さ   マルコ四
木と話し風と遊びて冬ぬくし   ルカ四
もう何も待つものがない春が来た ヨハネ七

(私家版、定価500円。送料税サービス。ご注文は直接、平田まで)

 会員作品とエッセイ(*主宰コメント)
名古屋市  片岡惇子
麦の秋エマオのイエス消えてゆき
聖五月ロザリオ繰りて山の道
風薫る今日だけの茶を味わいし
夜の薔薇優しさ秘めて刺を出す
アマリリス私の夜叉が踊り出す

「イエス様の繋がって願えば、必ずかなえてくださる。」願い祈り続けて来たことが、共同体の姉妹と共にかなえられ、五月十日から十四日、フィリピンに行くことができました。
 一日目、マニラ空港から市内を抜け、宿泊地のケルンの修道院までの道の両側は、延延と続くスラム街。その後方は、超高層ビルのホテル街。「闇と光」の街並。その夜は眠れませんでした。
 三日目、私のマニラ訪問の目的であるパヤタス(ごみ山で生活する人々の地区)にICAN(十五年前一人の青年がふらっと出かけたパヤタスでごみ山を漁っている子どもたちを見て、何か出来ないかと立ち上げたNPO)のスタッフに案内していただきました。そこに入って、人々の人なつこい笑顔。走り回っている子どもたち。私の悲壮感は消え、ほっとしました。この貧困の中にイエス様がおられる。私が分かち合えるものを見つけることが出来ました。祈りつつ、準備してゆきたいと思います。

*「南無アッバ」はかの地でも有効ですね。どうぞご無理をせずに。


大和市  佐藤悦子
震災の追悼ミサに南無アッバ生かされし子等を守りたまえよ
被災地でケセン語聖書を語る人復活の命生きるが如し
宮城県慶長使節船ミュージアムに寄せて
南無アッバ津波に耐えし復元船ローマを目指したサン・ファン・バウティスタ

*今この時点で、声高に震災の残したものを語るのは憚られるかもしれません。が、人災天災を含め、この理不尽がアッバの懐においては神の国への縁とならんことを。


豊田市 佐藤淡丘
島の人みかんの花を祭壇に
禁忌(タブー)など知らぬ存ぜぬ蝸牛
雨細く植田一途に濡らしゆく
万緑や砲丸投げの着弾地
雨ニヌレ風ニモマケズ鯉幟

 わが俳句工房(その二)
 以前、どんなときに俳句ができるかを、この欄で書いたことがあります。その答は、「背面歩行」中と妙ちきりんなことを言った覚えがあります。でもその後これも思うにまかせず一向に捗りません。
 そこで思いついたのは、NHKのラジオ深夜便「誕生日の花ときょうの一句」を活用することです。早朝丘の上で聴く名句の数々。このときの季語を参考に即興するのですが、多情多恨、駄句ばかり。でも句の数だけは確実に増え続けています。どう捨てようか、にんまり?しながら推敲しています。お笑いください。

*句作不調?とのことですが、なんのなんの、いつもながら安定した御作です。


京都市  瀧野悦子
ひとり居の闇の深さや南無アッバ
婚の荷に皮の聖書や南無アッバ
南無アッバペンの進まぬ予診表
白靴の白に疲れしクラス会
爺さまの忘れ上手や柏餅

*どれも完成度の高い句です。①その闇を突き抜けた所にほの明るく光るもの。②「皮の聖書」御言葉が血肉となるまで味わいたいもの。⑤物忘れも生きる術、いやアッバの計らいとも。


一宮市  西川珪子
花吹雪浴びて私は小さき者
掌に春の陽受ける命燃ゆ
花しずか薄れゆく闇まといつつ
花淀みまた流れゆく花の旅
如何に問ふ春疾風の叫びかな

*「花」連作と見て佳い作品。「吹雪」「闇」「疾風」どんな言葉とも「花」は相性がいい。そういう自然観に囲まれて生かされる幸せを感じます。


秦野市  長谷川末子
短命の孔雀サボテン手に受ける
姫女苑きょう一日をお委ねし
五月尽神の御目は被災地に
呆然と過ごす時あり若葉雨
梅雨近し心曳かるるマルコ伝

*どのような状況のなかにあっても、アッバの「御目」からはどうなのだろう、と謙虚に見つめる姿勢がよく出ています。


稲城市  石川れい子
列福の前教皇よ聖五月
賀茂祭平安絵巻の中にをり
バラアーチショパンのソナタ流れくる
聖母月干支八巡の母なりき
牡丹散るアヴェアヴェマリア南無アッバ

 五月二十八日、調布のC・N・D修道院に幸田和生司教様をお迎えして「マリアとともに」のテーマで学ぶ恵みをいただき「みことばが私の中に実現しますように」と応えた。

*④「八巡」とはすごい!私たちの知らない、大事な歴史をしっかり見てきたことでしょう。

八王子市  フランシスカ井上
ローカルの車窓に若い日をなぞる
かさぶたの一枚下のマリア様
疑いの視野から褪せる春の景
計算になかった首尾は賜ぞ
ささくれた爪に心の在りか知る

*考えさせられる、ユニークな作品。②「かさぶた」の下のマリア様とはどんな意味なのだろうか? いわゆる難解とは違う、読み解きの面白さがある。


練馬区  魚住るみ子
苗床を手伝ひ心和むとふ原発避難に田を離れ来しひと
鯉のぼり石けりの輪描き並べ遊びし跡へ月明の南無アッバ

*①身に付いた一生の仕事を持つ人は、どこにでもそれを生かすチャンスが与えられる。②「月明の南無アッバ」が効いています。


蓮田市  平田栄一
生きるとは生かされ生きるということか震災禍の声叫びておりぬ
義捐金ファッショでなければ良いのだがどこか危ういこの国のかたち


寄贈誌より
「日矢」五五六号   新堀邦司
春二番三番夜まで荒れ止まず
灯を消して祈るや灰の水曜日
みちのくに悲しみ深く春遠し

山崎房子評「作者の祈りのいちいちは、わからないが、今年の「灰の水曜日」は、大震災、原発事故の天災人災に遭遇した時期でもある。作者の祈りには深いものがあっただろう。「灯を消して」という措辞に、作者のその時の気持ちがよく表われている。」
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「井上神父の言葉に出会う」(13)講座ノート
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*入会案内は本ブログサイドバー参照

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