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日本人にわかるキリスト教を求めて

26May2012+011_convert_20120623181132_20120623222548.jpg井上洋治神父は、遠藤周作氏と共に、日本人の感性で正直に受けとめられるキリスト教を一生をかけて模索し、1986年「風の家」をはじめました。このサイトでは、「風の家」運動を引き継ぐ平田栄一が「求道俳句」ほか、日本人キリスト者の道を模索する試みを紹介していきます。お問い合わせ 略歴 著書

(28)『新約聖書のイエス像』『人はなぜ生きるか』における<「ファリサイ派の人と徴税人」のたとえ>-「風」第87号2011年春  

*以下単に<たとえ>と記したときは、『ルカによる福音書』一八章九~一四節の<「ファリサイ派の人と徴税人」のたとえ>を指します。

五 受け入れるとき傷つく
ここでもう一点、忘れてはならないことがあります。
<しかし人を受け入れるときには、自分もまた傷つくものです。これはやってみれば、すぐわかることです。
 後になってイエスの弟子たちは、十字架上のイエスの血こそ、全人類の汚さと哀しみとを受け入れることによって流されたものだと理解していったのでした。>(『愛をみつける』一五七頁)
 <裏切り者の私(弟子)たちをとことんまで受け入れ、可愛がってくださったのだ・・・・十字架上の血は、その受け入れがたい裏切り者の弟子たちを受け入れることによって流され、その覚悟の死は、いわば裏切り者を受け入れるための必然的な過程だということをわからせたのだと思います。>(同一六二~三頁)
人を「受け入れる」とき、無傷ではありえない、そこには必ず「十字架の血」が流れるというのです。このあたりに、前号「思いだすこと」(三六頁以下)で二点目としてわたしが取り上げたことの根拠があります。すなわち、イエスの「十字架の血」が、裏切る者を「包み込もう」とするときに流れ、痛むものなのだということを井上神父が実感したのが、この『愛をみつける』執筆の頃であった、というその点です。
 本稿第二五章では、「傷」をキーワードに<たとえ>を考察しました(「風」第八四号二二頁以下)。そこでは、「傷つけられ」つつ「私たちをつつみこんでくださる神」=「十字架の御子イエスさまの御姿」から、わたしたちの罪深さを知る、ということを学んだのでした。ただしそれは、一九六八年に書かれた井上神父のエッセイによるものです。そこからこの『愛をみつける』(一九八一年)までは十三年が経過しています。
 前回引用したシンポジウム「日本カトリシズムの原点と成熟」のなかで、小田桐氏は一九六三年の論文「日本の歴史的風土とキリスト教序論」と一九八〇年の自伝的エッセイ『余白の旅』などの文体を比較して、
<それは例えば読者対象を想定なさるなどして、意図的に(文体を)お変えになったのでしょうか。>(一八五頁)
と井上神父に質問しています。それに対し神父は、全く意図したわけではないけれども、結果的に『愛をみつける』で自分の文章になった、ということを述べていました。思うに、この一九六〇年代から八〇年代初頭にかけての文体の変化は、それとともに、〝十字架の傷〟といったキリスト信仰の内実をも神父のなかで深めさせることになったのではないでしょうか。そうでなければ、六〇年代にすでにあれだけ「十字架」や「傷」について考察していながら、十数年を経てここで初めて実感したかのように、〝十字架の血は裏切る者を受け入れるとき流れることを「なんとなく感じた」のが『愛をみつける』の頃だった〟(『日本カトリシズムと文学』一九七頁参照)などと、発言するはずはないからです。
帰国後井上神父は、一九六〇年に司祭に叙階されてから、いくつかの教会で目の前の信者、求道者と悩みを共にし、また真生会館や神学校で若い人たちに教え、学びを共にしてきました。そうした諸々が先の文体の変化とともに、キリスト教の教義やこれまであたりまえのように使われてきたキリスト教用語を、日本人の心でとらえなおすという、気の遠くなるような作業に駆り立てます。その苦闘のなかで、この〝十字架の傷〟も新鮮な響きを持って、神父に感じられてきたということではないでしょうか。

第二八章 『新約聖書のイエス像』における<たとえ>
一 「~について知る」から「~を知る」へ
<一人でも多くの方にイエスについて知っていただくため、さらにはイエスを知っていただきたいと願いながら、新約聖書の中に、イエスの姿を追っていってみたいと思うのである。>
本書「序にかえて イエスを知ること」は、この言葉で締めくくられています。
話がそれますが、筆者は定例の南無アッバのミサがなくなる一年ほど前から、四谷の同じ場所で「講座・井上神父の言葉に出会う」を行っています(現在は毎月)。そこで最初に取り上げたテーマは、「井上神学の体験主義・実践主義」についてでした。それは具体的には、拙著『心の琴線に触れるイエス』で井上神学の第一の特徴として、聖書を「実践指導書」としてみる姿勢を指摘したことによります。ところが当初一、二回でこのテーマを切り上げるつもりが、気がつくと七回までを費やしていました。それは右のような、「~について知る」ことと「~を知る」という、二つの認識方法が井上神父にとって、学生時代、自殺を考えるほどの虚無感から救ってくれた「恩人」ベルクソンによって示された重要な思考法であり、神父の著作のなかで繰り返し紹介されているからです。『新約聖書のイエス像』のこの序文も、「~について知る」ことから「~を知る」という段階へ読者を導くことをねらって書く、という宣言と受け取れます。

二 <たとえ>を総括する
本書は「あとがき」にあるように、もとは「聖書炉辺講義」と題して、二年間『あけぼの』誌(女子パウロ会)に連載した原稿がもとになっています。「第一章 福音の夜明け」から「第十一章 イエスの受難・死・復活」まで、およそイエスの生涯を辿りながら、ヨーロッパ人から「借りものの服を着せられているような感じ」のイエス像ではなく、日本人が身近に感じられるそれを提示しようとした、と神父は述べています。こうした執筆動機や構成をみると、〝いつか、ぜひ書きたい〟と願っていた〝イエスの生涯〟――のちに『わが師イエスの生涯』において実現――を準備する著作といえましょう。
<たとえ>は、「第三章 罪人の招き」に登場します。
<イエスは、律法を絶対なものとし、律法によって自分と他人の生活を律していこうとする、その生活態度そのものを問題としているのであり、律法主義そのものを根底から否定しているのである。>(五二頁、傍点原文)
そして律法や掟よりもアガペー=人の哀しみを心に映し、受け入れることをイエスは優先した、という結論は、前著『愛をみつける』などと一致します。そればかりでなく、<たとえ>からこの結論にたどり着くまでの過程――<たとえ>におけるイエスの直接的主張が人を裁くことへの批判であり、途中『マタイによる福音書』二一章三一節や『マルコによる福音書』三章一~六節などで結論が補強される点も、前著と内容的に同様とみてよいと思います。それは二著の執筆・出版時期の近さ(一九八一、八二年)を知れば自然のことと言えましょう。
しかし、ほぼ同時期に書かれた二書の<たとえ>をめぐる話のニュアンスは微妙に異なります。すなわち、〝女子高生〟(前章参照)にやさしく説くような語り口の『愛をみつける』は、おそらくは聖書を読んだことのない現代人一般の悩みに処方箋的に答えようとしているのに対し、『新約聖書のイエス像』はイエスの生涯を時系列の太い幹として、やや学問的に書かれています。それは、カトリック月刊誌への連載という事情も考慮の上、どちらかというと信者の再学習的趣が強いものになっているからです。「聖書炉辺講義」という連載時のタイトルにも、そのことが表れています。当該<たとえ>は、こうしたそれぞれの文脈の中に置かれることになります。これは、この<たとえ>に限らず、イエスのたとえ話すべてが、四福音書の中のどこに置かれたかによって、そのニュアンスや主張が微妙に変化することと、類比できるように思います。
ただ、どのような文脈で書かれても、その度に顔を出すということは、この<たとえ>がやはり井上神父がアッバ神学を語る上で、最重要な要素――血肉となっているということを意味しているのではないでしょうか。
そして『新約聖書のイエス像』最終章=「第十一章 イエスの受難・死・復活」では、次のように述べています。
<弟子たちはイエスの死後はじめて、悲愛を律法よりも大切にすることによって人々からも受け入れられず、若くしてむなしく孤独の中に死んでいった、色あせた師イエスの挫折の生涯こそが、神の目から見たとき、ほんとうに価値ある生涯だったのであり、十字架の上で師イエスが流された血こそは、受け入れえないものを受け入れんとして、すなわち、裏切った弟子たちに象徴されているような、つねにエゴイズムの流れに流されて神から遠ざかっていくあらゆる時代の人々を受け入れようとして自ら傷ついて流されたアガペー悲愛の血であることを、しだいに理解していったのだと思われる。>(二一四頁)
終章の末尾ちかく、イエスの「復活」について何が言えるか、という問いに対して答えた一文です。ここに記された「受け入れる」ということ、「十字架」において「傷つく」ということ、そしてそこに「流される血」の意味等々を深く味わうとき、この一文が<たとえ>をめぐってこれまで見てきた諸著作を総括する言葉となっていることに気がつくのです。

第二九章 『人はなぜ生きるか』における<たとえ>
一 勘ちがい!?
一九八五年に講談社から出版された本書は、一九七七年から八四年にかけてさまざまな場所で行われた話を一冊にした、井上神父にとってはじめての講演集です。
その「あとがき」では、まとめるにあたって、それぞれの講演原稿に大幅な「加筆、訂正、抹消」あるいは順序の入れ替えなどがあったことを、断っています。もちろん、出版にあたってそうした調整をすることは当然かと思いますが、本稿を書くために末尾に付された講演一覧をみて、わたしは「おやっ?」と思いました。というのは、この講演集のなかに二本、講演ではない原稿が入っていることに気がついたからです。すなわち、九本のうち五番目の「私にとっての祈り」と六番目「私にとっての聖書」です。しかも後者は、「未発表」となっています。そしてまさに、この本のなかで(頭から読んでいったとき最初に)例の<たとえ>が出てくるのが、この「未発表」のエッセイにおいてなのです。
ご存知のとおり、すでに井上神父は昨年(二〇一〇年)十一月に、ペトロの家に移っていますが、先日たまたまチャンスがあり、なぜこの講演集に未発表原稿が入ったのか、を神父自身の口から直接聞くことができました。
〝その一文が書き下ろしなのは、「ファリサイ派の人と徴税人」の話を、あの本に入れたかったからだろう〟
 出版当時を思い起こしながら、神父はこのように即答したのでした。このところ――「風」二〇〇九年・第八一号以来、<たとえ>にこだわって書いてきたわたしは、この簡潔な返答に感動せずにいられませんでした。〝やはり神父の心には、いつも――リヨンでの回心以降、あの「徴税人」の祈り、姿勢が息づいているのだ!〟と確認できたからです。
 井上神父とのこのやりとりのとき、もう一点、確認できたことを報告しておきたいと思います。それは、今稿を書くために、私が持っている『人はなぜ生きるか』を頭からめくっていったとき、自分が書いた短いメモ――おそらく発刊間もない時期の――を見つけたことに端を発します。ちょうど<たとえ>が引用されているページ(一三五頁)の上余白に書いたものです。
 <ルカ一五と一八章がイエスの眼目(井上TEL)>
 走り書きの、自分のこのメモを目にしたとき、わたしは思わず「あっ!」と息を飲んだのです。なぜなら、この<たとえ>について本稿でくわしく見ていこうとしたとき、わたしは次のように書いていたからです。
 <・・・・昔わたしは直接、井上神父から〝あえていえば『ルカ』の一〇章と一八章に、キリスト教が要約されていると思っている〟と聞いたことがあるのです。ちょうど受洗前後で・・・・。>(「風」第八一号)
 「しまった」と思いました。イエスの教えの眼目として神父から直接指摘されたのは、『ルカによる福音書』の<「見失った羊」のたとえ>をはじめとする一五章と<「ファリサイ派の人と徴税人」のたとえ>を含む一八章であって、<善いサマリア人>で有名な一〇章ではなかったのか? 何という勘ちがい!
第一「受洗前後」といっても、この本が出たのは一九八五年の暮れですから、わたしが受洗して四年余りを経過しています。これは読者に謝るしかない、そう思いました。しかし、(潔くないようですが)念のため、先の未発表原稿収録の件を問い合わせるついでに、このことを井上神父に改めて確認したのでした。
すると神父は、これについても躊躇なく、すぐ即答してくれました。
〝・・・・『ルカ』の一八と一〇か一五かは、いろいろな場面で言い分けてきたと思う。この三つはどれもキリスト教に大事な箇所だが、主題が違うので、そのうちのどれか二つを言うこともあっただろうし、三つとも言っていることだってあるだろう。一〇章は人への愛、一五章は神の愛、一八章は人を裁かず、アッバに頭を下げること・・・・。〟
言葉どおりではありませんが、およそこのように言ってくれたのです。思えばわたしがあのメモを書いたであろう時期――先ほど述べたように一九八五、六年――は、個人史的には第二の転職を果たそうしていた時です。そのため、今振り返るとどこかに気負いや焦りがあり、求道心が空回りしていたように思います。祈る気持ちで自由律俳句をつくり出したのもこの頃です。
<神を呼び神を疎ましく生きている  八六年「層雲」初出>
技巧も何もないこんな片言に、当時の気持ちがストレートに記録されています。
このような状況にあったわたしに、あのときは「メモ」にあるように、井上神父が『ルカによる福音書』の「一〇章と一八章」ではなく、「一五章と一八章」を要として示してくれたのだと思います。すなわち、焦って人への愛に走り出ようとするより、まず頭を下げて、神の愛を感じとれ、そのように言いたかったのではないか。今更ながらわたしは、あのときの神父の細やかな心遣いに感謝せずにおれません。

二 Tさんへの手紙
「神を呼び」ながら「神を疎ましく」思うジレンマ――
昨年末に戸棚を整理していたら、昔書いたいろいろなものが出てきました。そのなかに、これも偶然ですが右の時期、すなわち一九八五年に書いた手紙のコピーや手帳が見つかりました。次に転載するのは、あるプロテスタントの友人、Tさんにあてた手紙の一節です。まったくプライベートなもので、どうかとは思ったのですが、この時期のわたしの、あの「ジレンマ」に関係すると思われる部分もあるので、抜粋しながら振り返ってみたいと思います。
<・・・・ほとんどの労働者が、毎日のストレスの中で戦っているのです。先日の旧約の話ではありませんが、イスラエルの戦いの歴史と二重写しにして、ふと考えるときがあります。例えばこのごろ、カトリックの「教会の祈り」というのを妻子と唱えているのですが、この祈りの大半は詩編です。また、ミサの中の歌も多くは「答唱詩編」とよんでいるものです。この詩編の中では、義人と悪人という考え方がよく出てきます。このように人を二種類に分けてしまう考え方には、信仰を持った当初はついていけない気がしたのですが、よく考えてみればこの善悪の二分法的とらえかたは、実は一人の人間の中に内在する矛盾した二つの傾向ではないかと思うようになりました。例えば、仕事をする時の二つの心持ちの葛藤――一方で誠実にやろうとしながら、他方で煩雑さや単純さ、人間関係の煩わしさに負けてしまいそうな自分――を詩編の中に見出だすのです。この「あれか、これか」の問題は、前にも触れたことがあったかと思いますが、キリスト教を持ち出すまでもなく、まさにすべての人が日常的に出会わなければならない事柄だと思います。・・・・>(一九八五年一二月一一日)
こうした部分を今、第三者的に振り返ってみると、受洗後四年余り、聖書の「善悪二分法的」な言葉につまずきながら、不甲斐ない現実の吾が身の置き所を求めて右往左往している、そんな気負いが伺われます。
しかしこういうことは、わたし個人の資質の問題でしかないのだろうか? そこには個人をこえた、日本人と聖書あるいはキリスト教という問題が関係しているのではないか、今はそんなふうにも思うのです。

三 日本人に受け入れがたいこと
心理学者の河合隼雄氏は、隠れキリシタンが宣教師から聞いた、聖書の話を日本的に変容しつつ伝えたとされる『てんちはじまりのこと天地始之事』を読み解きながら、「日本人に受けいれ難いこと」(『物語と人間の科学』一九九三年、岩波書店)として、次のようなことを指摘しています。
一、『天地始之事』では原罪の考えがなくなってしまう。それは、日本人にとって原罪ということがいかに受けいれ難いものかを示している(一一三頁)。
二、ジュスヘル(サタン)も徹底した「悪」にならない。つまり、隠れキリシタンにとっては、絶対的な「原罪」や「悪」というのは考えにくかった。(一一四頁)
そして、これらの点について次のように述べています。
<このように罪が許されるということは、隠れキリシタンの人々はどうしても絵踏みという罪を犯さざるを得ず、そのような罪も許されるのだという考えに立たないと生きてゆくことができませんので、原罪という考えはあまりに荷が重く、そのために、ここのところで話が許される方向に変化したのだという人もあります。確かにそのとおりと思えますが、私はそれ以上に「原罪」がなくなったことは、日本人の心性の非常に深いところと結びついているように思うのです。>(同)
この「日本人の心性」がどのようなものか、河合氏は神話がその民族の精神的「基礎づけ」であることを前提に、様々に検討していますが、わたしが最も興味深く思うのは、次のような指摘です。
<・・・・私は日本の「中空構造」ということを言ってきました。
真ん中にアメノミナカヌシという、名前はあるけれども何もしない神様がいて、そしてあたりに他の神様がいる。・・・・だから日本の神話というのは、中空状態で神様がいっぱいあちこちにいて、バランスをとっている。こういう構造は、キリスト教の場合に唯一の神、大文字のゴッドがいて、その神がすべてをつくり給うたと考える、旧約にあるような神話とはものすごい対照をなしている。なぜかというと、日本は真ん中が空いているわけですから。>(同書、一二三頁)
このように『日本書紀』などの日本神話と『創世記』の創造神話を対比しています。そしてその結果として、日本人の倫理的心性について、次のように一応の結論を得ています。
<だから何が正しいとか、何をすべきであるとか、何がどうだという原理があるのではなくて、全体のバランスがよかったらよろしいというふうになっているわけです。>(同)
唯一絶対の神が中心にいて、そこから「何が正しいとか、何をすべきであるとか、何がどうだという原理」が出てくる、それは、ユダヤ教の律法主義的な、あるいは西欧的な、物事の白黒――善悪をはっきりさせようとする原理に対応するものと思われます。日本の場合は、それとは正反対であるかのように、「何もしない神様」を中心にして、物事の善悪よりも「全体のバランス」を重視する。そのような心性が、日本人の発想の根底にあるということです。
右に語られた所だけでは、「旧約」と律法主義を脱した「キリスト教」とが同一視されてしまうきらいがありますが、それはさておいて、先のわたしの経験――(旧約)聖書の「善悪二分法的」発想へのつまずき――違和感が、個人の資質をこえて、わたしの血の中に流れている日本的なるものに大いに関係するのではないか、そう思うようになったのでした。(つづく)

category: 連載「井上神父の言葉に出会う」

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