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日本人にわかるキリスト教を求めて

26May2012+011_convert_20120623181132_20120623222548.jpg井上洋治神父は、遠藤周作氏と共に、日本人の感性で正直に受けとめられるキリスト教を一生をかけて模索し、1986年「風の家」をはじめました。このサイトでは、「風の家」運動を引き継ぐ平田栄一が「求道俳句」ほか、日本人キリスト者の道を模索する試みを紹介していきます。お問い合わせ 略歴 著書

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第7回四谷講座ノート 2010-11-27 井上神学の体験主義・実践主義(補足)  

1.井上神学の体験・実践主義(補足)

『日本とイエスの顔』日本キリスト教団出版局版「あとがき」より
初出版から14年後、「あとがき――『日本とイエスの顔』」(1990年)として、出版当時の反響を振り返りながら、
「この書こそが私の思想と生活の原点であることを確認した」といい、
これまでなされてきた井上神学に対する批判に答えている。
3つ――その第一が、いまここまでみてきた
→レジメ

①「聖書を実践指導書ととらえたことへの批判」
=「イエスを神の子と信じれば救われるから、救われているという喜び体験いらない。」
この言い換えは先走りだが、聖書は救いの結論が書かれている本であって、マニュアル本じゃない、という批判かも。

たしかに救いは感覚的喜びではない
――平田に「実感信仰は危険」と言ったことも。
しかし「イエスをキリストと信じる」とは、学問的理解――「について」と違い、「生きること」――「を知る」――が要求される――道が示される必要
→生の歩みと共に深化 例:修道生活――(「先生はなぜ、カトリックになったか?」「行があったから」)
→「キリスト道」というべき(使徒9・2)

ここでもやはり、ベルクソンの啓発による、理性知と体験知の違いから、実践が説かれている。

ちなみにあと二つは、

②神を「無」と捉えることの戸惑い
→これも、体験的認識――祈りという行為による神把握から説き起こしている。

③旧約と新約の捉え方
――なぜテレジアがいないと教会に入れなかったか、『風のなかの想い』書いて自らわかってきた、という。
それは、母性原理の神を求めていたから。
ユダヤ教→キリスト教の神観のちがい。
以前、朝日新聞に「旧約聖書からの脱皮を」と題した井上神父の記事が批判を受けたが、それは、父性原理の強い旧約思想からの脱皮ということ。

2.井上神学の救済論

p.17
一.救いはイエスの全生涯から
■U先生の思い出
ここは、昨年第一回でもお話したので、【端折りながら朗読・解説】
→この私的体験――高校の恩師と奥さまのことから、
p.19最後【朗読A】
日本人キリスト者として、生老病死の問題にどう立ち合うかが、問われたような気がした。

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