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講座:井上神父の言葉に出会うノート 第2回 2010-3-6  

私が、アッバの集い・講座で使ったノートの要約です。
わかりにくいと思いますが、いろいろな理由で参加できない人たちのために、
講座の雰囲気だけでも感じ取っていただければ幸いです。
そして、いつか、ごいっしょに、集いを共にできることを、お祈りします。


○はじめに
調べてみたら、「井上神学」の語源は私(平田)のようです(笑)
それは、ユニークな神学。10年前のネット社会では異端視されることもあった。
井上神学のめざすところをひとことでいうと、「日本人のためのキリスト教の仕立て直し」――遠藤さんと共通。
この「仕立て直し」は、ジャン・ダイエルー(1905~74)の言葉。
1929~イエズス会、1969~パウロ6世により枢機卿、・第2バチカン公会議で顧問として活躍、『歴史の神秘に関する試論(エッセイ)』(1953、邦訳なしか)など。
井上神父はリヨン修道院からカトリック大学へ通っていた頃、日本人のままキリスト者になれる確信。
ダニエルーの手に入りやすいものは、『キリスト教史1』(上智大学中世思想研究所 平凡社11巻本)
井上師が帰国後に遠藤さんを訪ね(1958年)
-日本人のままでキリスト教を生きよう-遠藤さんは5年前に2.5年の滞仏生活を切り上げ、日本人と西欧キリスト教の距離を描く「アデンまで」「白い人」「黄色い人」など、それまで西欧キリスト教(一神教)VS日本(汎神論)の距離から一歩踏み出す覚悟――踏み石になる決意。
では、テキスト『心の琴線に触れるイエス』(聖母文庫)のそって、いきます。
○序にかえて
p5
■最初の宗教体験
今日のテーマ:井上神学「体験主義・実践主義」を中心に見てみたい。
平田のことは(端折る)-神主が身近にいる環境-日本的?大きな仏壇・神棚-祝詞-足しびれ-あくび
見えない神への畏れとなぜか哀しみ-素朴な信仰
エピソード:最近のこと――父の一周忌法事、法外なお布施なのに同じ寺に頼み、文句をいう母の宗教感覚は?畏れ・祟り信仰?-参照:井沢元彦『逆説の日本史』
(身体不調と不安・過去を振り返る・人生の方向性を求めて)
p8
■聖書との出会い
(ギデオン協会聖書・サークル活動から・不器用なM君と聖書)
p10
ハンセン病院体験 10代後半~20歳か
(『日本』第1章ことばといのち)
「人生を完全に変えてしまった聖書・イエスとの出会い」を回想
p11
(M君と「病人」) リヨンでの回心(1953)へ
(聖書への期待と予感)
<「ファリサイ派の人と徴税人」のたとえ>(ルカ18:9~14)による回心
-いま連載中
⇒回心に導く原体験が「ハンセン病院体験」にあるのではないか(平田推測)
少なくとも一端ある
「風」82号連載p.39(23)
■井上神父の回心体験
――かいつまんで説明、引用部中心に。
■回心への原体験(「風」82号)
さっきの引用の直前にこうある⇒ 読む42頁(『日本』13頁)こわいものにでもさわるような態度しかとれなかった自己嫌悪と患者にゆるされている体験
多感な井上青年の貴重な体験
以上、2010-3-6
以下、2010-5-22

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