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求道詩歌誌「余白の風」第181号 2011年1月発行  

 日本人の心の琴線にふれるイエスの顔を求め、福音を生きる

二〇一一年頭にあたって:余白

 クリスマスおよび新年おめでとうございます。失礼ながら、クリスマスカード、年賀状の返信を今号発行をもって代えさせていただきます。今年もよろしくお願いいたします。

 昨年は、期せずしてカトリック新聞に紹介されるなど、本誌創刊二十周年という節目にふさわしい記念すべき年になりました。新しい年を迎え、応援してくださっている皆様に改めてお礼申し上げます。また今年は、井上洋治神父の起された「風の家」二十五周年記念の年にも当ります。

そこで、「風」誌八六号編集後記に山根氏が述べているように、「風」次号(復活祭頃発行)より、読者の投稿による「アッバ讃句」コーナーを、小生が担当することになりました。現在その投稿規定を考えているところです。

――アッバ讃句応募規定(試案)――

 井上神父の「アッバ讃句」にならい、皆さんの南無アッバの祈りを短い求道詩歌にしてお送りください。「~~南無アッバ」という形のほか、俳句・短歌・一行詩などでもけっこうです。(採否選者一任)

 こんな感じで募集しようと思いますが、要するに、今ご覧になっている本誌「余白の風」に投稿されているような作品を想定しています。最初のうちは、応募する方も手探り状態でしょうから、見本(手本)として本誌投稿分から「風」に転載することもありますことを、会員の皆様にはご承諾いただければ幸いです。

 これを機会に、求道詩歌の発表の場が広がり、南無アッバの祈り――日本人キリスト者の生き方を模索する、共々の縁となりますよう、祈りとご協力を、よろしくお願いいたします。


会員作品とエッセイ       
豊田市 佐藤淡丘

炉明りや合掌の宿煤匂ひ

亭々とそびえし冬木風孕む

冬の蛾の灯にまどろみて影昏し

 飛騨白川郷の合掌造りの宿に泊る恵みにあずかりました。ときは十一月。ボランティア先の障害者とその職員の一行(十三名)に入れてもらってのことでした。

 民宿(合掌の宿)の夕食は、期待通り囲炉裏端、煤の動きの中で古老の焚く煙りにむせびながらの山菜料理は、箱膳のごとに盛られ、どぶろくの茶碗回しも身に沁みておいしく感じたものです。ラジオもテレビも無い、煤に光る天井を仰いでの寝床は、コタツに四方から足を突っ込んでの雑魚寝、いつしか深い眠りにおち入ったことでした。世界遺産となった今日、外国人観光客も多いらしく、その応対も一切日本風にこだわり、それがむしろ喜ばれているとの、おかみさんの笑顔が印象的でした。

 奥山に善き人ありて南無アッバ

*すばらしい旅でしたね。現代人は、もっと〝不便さの効用〟――便利になったことで失ってきた何かを見直す、ということがあってもいいのでしょうね。考えさせられます。(訂正:前月号淡丘句「×蝗→○煌」)


京都市  瀧野悦子

ソファーより畳恋しき冬の夜まあるくなって猫を抱きしむ

丁寧に心をこめて十字切る受洗の頃のわたしのやうに

少しだけ少しだけよと指交はし飲み会にゆく夫を見送り

お醤油を仕上げに落とす隠し味わたしのビーフシチューはいかが

ありがとう南無南無アッバ南無アッバ余白の風をありがとう

*定型の第一の素晴らしさは、どんなことでもリズムに乗せると詩になっていく、ということですね。日常のほんの些細なことにこそ、アッバの働きが見える瞬間があります。


秦野市  長谷川末子

煮付けた南瓜食べました。/夜には風呂にたっぷりの柚湯の用意出来ました。/夫は髭剃り湯に浸る/顔はぴかぴか背から湯気/明日から日脚伸びるそな/暮のせわしい最中に/神様春を造られる

*七五調の軽快なリズムと哀愁。日本人ならではの味わい。この詩の中でのご夫婦は、一言も交わしていませんが、互いの思いやりがひしひし伝わってきます。ここにも、自然と歩む日常に神の御手が見えます。


稲城市  石川れい子

やうやくに夫婦でミサへクリスマス

子らの寝間靴下吊られ聖夜かな

 人生八十年、結婚五十年、子供は生まれる度に受洗 五女二男の巣立ちけり。何と有難くうれしきことか!
 この五十年間で一番うれしかったこと。それは七人の父親が金婚を前にしてようやく受洗のお恵みをいただいたこと。本人が選んだ霊名はトマス。この目で見、この手で触れなければ信じられないと言ったトマスに共感したらしい。受洗の翌月、夫は食道癌と告知された。「み旨のままにと祈りなさい。」シスター渡辺和子のお言葉通りとなった。感謝!

*①、②句の間を右文の時間が満たしています。受洗は一つのお恵みです。幼児洗礼のように自覚がないまま授けられることもあれば、老いてチャンスが巡ってくる人もいます。あるいは別の使命やお恵みを賜わる人もいるのだと、私は思っています。


八王子市  井上文子

まどろみの至福天使に守られて

夜景曼陀羅この世の底は眩し過ぎ

主語捨てて素直になった芒の穂

先送りして冬眠のへびになる

言い分を剥き出しにして抽象画

*①南無アッバの心地とはこんな感じか。②天より地が光る。③自分が相対化され南無アッバ。⑤具象画より抽象画の方が饒舌かもしれない逆説。全体にいろいろなことを考えさせられる、面白い作品群です。


名古屋市  片岡惇子

文旦の室一杯にエバの罪

枯葦の祈りの中に身置きたし

時雨ゆく寂しさありて自転車漕ぐ

待つことの嬉しさ分かちクリスマス

冬の月聖堂に注しイヴのミサ

*②南無アッバの境地にある「枯葦」にあやかりたい。③「寂しさ」に抗うように疾走する。④「神を待つ」のは楽しみだったのか!発見。⑤月明かりもいっしょに祈っている。


大和市  佐藤悦子

ご降誕シャコバサボテン咲きそろう

世の闇に光きたれり南無アッバ(ヨハネ1章)

聖家族ヨセフは慈愛の人なりき(マタイ1章)

共にある余白の風よ南無アッバ今日ある恵み求道詩歌

*クリスマスから新年にふさわしい作品を頂きました。①草花も「ご降誕」を祝う。②南無アッバが徹底すれば、きっとはっきり「光」が見える。③ヨセフ様はたぶん無口な人だったので、聖書に記述が少ないのかも。


蓮田市  平田栄一

図書館が吾が修院と成れるまで通い詰めたりこの秋の暮

『ガラテヤ書』の悪徳表に連ねたる十五の罪の「その他」を思う

蓮田から聞き始めたる「復活」の四谷に降りし第三楽章


寄贈誌より
「日矢」五五一月号         新堀邦司

師のゐます空は遙かやいわし雲

父あらば百一歳か敬老日

万葉の多摩横山の良夜かな


「こみち」二四七月号       魚住るみ子

救出され妻と固く抱き合ひし後大地に額づき祈り捧ぐる

曾孫とふ奇しき縁や秋好日

馬小屋の蝋涙蜜と滴たれり


「野守」四二号             大木孝子

萬燈消ゆしばしたゆたふ白き闇

身ほろびのおもさかろさや烏瓜

胸中に棲む人ひとり冬の銅鑼


「バルトと蕎麦の花」を読む:平田栄一

 ここに昭和六十一(一九八六)年十二月号の『新潮』があります。このなかに、おそらくは単行本になっていない、坂田寛夫が書いた「バルトと蕎麦の花」<一二〇枚>が収録されています。

一九八六年といえば、井上洋治神父が「風の家」を始めた年であり、またわたし個人にとっても、受洗後五年、教職に転じ、求道俳句を発表し始めた思い出深い年でもあります。たまたま、古本で手にしたこの短編を一読し、さらに引き込まれるように再読し、どうしても一言したくなりました。

サイトを探したら、この短編の舞台となった教会を実際訪れたhanguroさんという方のブログに、写真(このページ上)と文章がありましたので、それを抜粋しながら転載させていただきます。

(以下、http://kurohime.homeip.net/kuro/より)
「2006年10月20日 バルトと蕎麦の花
 その冒頭部分を、ここに転記させていただく。
<列車は雪野原に出て速度を緩めた。あと三分で駅に着く。右手に胚芽を取った米粒の形をした小山が見えてきた。見慣れた山が、今朝は高山の一角のように鋭く輝いている。

 三十分前までの車窓の風景は、東京の郊外で見かける雪降りの日のそれと大して違いはなかった。畠や空地に僅かに積もった雪が、人と車の猛威を逃れて、辛うじて消え残っている感じであった。ところが列車が方向を北に転じ、渓谷沿いに峠を登り始めると、突然積り方が変わった。分水嶺を越すと、関係が逆転した。こちら側は、雪の方が人間を圧えていた。道も屋根も畠も森も、あるがままに抑えつくして音もない。もっとも、雪の中のクリスマスを味わいたくてやって来た私にはこれこそ満足すべき状態で、こうでなくては困るわけだった。>

さて、「バルトと蕎麦の花」では、作者が、このようにして信濃村伝道所でのクリスマス礼拝に出席するため、黒姫へやってくる所から始まり、教会堂で説教をされているK牧師へと話題が変わって行くのである。そして、K牧師の幼少の頃の話、青年の頃の様子などから、K牧師の人となりをありのままに写していくのである。

 お父上が農業のかたわら短歌を詠まれたと、父上やK牧師のその歌が、文節の間に散りばめられている。
 残念ながら、私自身短歌に対する理解は全くなく、その詠み手の想いを知ることはできないのだが、読み終えた時に感じたことは、この短編は、20年近く信濃村伝道所に赴任されていたK牧師への「賛歌」そのものではないかということであった。(つづく)
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