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神の国・永遠の命・救い  

ここでちょっと、聖書特有のキーワードについて触れておきたいと思います。
今とりあげている『マルコ』本文にある「永遠の命を受け継ぐ」とか「神の国に入る」という言葉を、ぼくは敷衍して、「いきいきと生きていく」って訳しているのに気がついただろうか?
いきなり「永遠の命」と聞くと、現代のきみたちはたぶん〝死んでからあの世で永遠に生きること〟ってな発想をするんじゃないかな。
そういう意味もないことはないんだけど、それだけじゃあまりにも一面的な解釈に過ぎる。
来世が大事であってそのためには現世の生活はどうでもいい、という発想はもともと、ユダヤ教にもキリスト教にもありません。
むしろ現世の生活・生き方のなかで播かれた種が来世で花開き完成する、といった考え方をする。
つまり、この世とまったく切り離されたかたちで、あの世、天国(神の国)、永遠の命があるわけじゃないんだね。
そのうえで、「神(天)の国に入る」、「永遠の命を受け継ぐ」、「命に入る」、「救われる」といった表現は、およそ同じような意味だと思っていいと思います。

「人は、たとえ全世界を手に入れても、自分の命を失ったら、何の得があろうか。自分の命を買い戻すのに、どんな代価を支払えようか。」(マルコ八・三六~三七)

ここにいう「全世界」とは、世界中のモノ――カネ・地位・名誉等々をさすだけではありません。
たとえば純粋に精神的営みと考えられる学問研究や趣味のようなものであっても、要するに〝本来自由な主体的であるべき自己〟の命を見失わせるようなものすべてを言っているのです。
また「命」とはこの世の命というよりは、〝永遠の命〟を意味しています。
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