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日本人にわかるキリスト教を求めて

26May2012+011_convert_20120623181132_20120623222548.jpg井上洋治神父は、遠藤周作氏と共に、日本人の感性で正直に受けとめられるキリスト教を一生をかけて模索し、1986年「風の家」をはじめました。このサイトでは、「風の家」運動を引き継ぐ平田栄一が「求道俳句」ほか、日本人キリスト者の道を模索する試みを紹介していきます。お問い合わせ 略歴 著書

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求道詩歌誌「余白の風」第180号 2010年12月発行  

日本人の心の琴線にふれるイエスの顔を求め、福音を生きる

井上洋治神父のうた(*主宰寸感)

――クリスマスの星空――

クリスマスを迎えるたびに思い出す/あの星空の美しかった/田園調布のいちょうの並木を/真夜中のミサからの帰り道/日本でみる最後の/クリスマスの星空を仰ぎながら/ぼくは未来を夢みて歩いていた//ぼくの横を/よりそうようにして歩いていた母は/あのとき/息子を見るであろう日本での最後のクリスマスの星空を/どのような思いで仰いでいたのだったろう//あれから もう五九年/この年になってはじめて/しみじみと/あのときの母の気持ちを思い/自分のことしか考えていなかったことを/申しわけなく思い/心から〝ごめいない〟そうあやまりたい気がしている/でも、でも/あのときすでにアッバは/母の心を/つよく そのふところに/抱きしめていてくださって/いたんですよね/そうなんですよね/アッバ 有り難うございます/アッバ アッバ 南無アッバ
(二〇〇八年 十二月二十四日 夜「風」83号)

*井上神父は、一九五〇年六月にカルメル会入会のためフランスへ向けて出発しているから、この詩はおそらくその前年一九四九年のクリスマスのミサをうたったものだろう。〝親の心子知らず〟とは言い古された言葉だが、「申しわけない」と心から思うのは、およそ親が他界してからなのだろう。若輩のわたしには、この詩の神父の心情にはまだまだ遠い。「自分のことしか考えていない」ように思う。「でも、でも」アッバは「あのとき」も、そして今も、「母の心」を「強く抱きしめてくださっている」にちがいない。


会員作品とエッセイ

大和市  佐藤悦子

見上げれば星のかがやき南無アッバ アブラハムの旅 信仰の道(創世記15章)

小春日や色とりどりに舞いおちる葉っぱのフレディいのちの旅よ

*私事にわたりますが、高校時代の恩師U先生は、病に侵され亡くなる前、毎日何回も「葉っぱのフレディ」を聞いていました。(『心の琴線に触れるイエス』一章)


豊田市 佐藤淡丘

蝗と生れ明けの明星寒空に

野菊にもうなじのあるや頬に寄す

残る虫星の光も届かざる

吹かれつつ天に溶けゆく秋桜

古びゆく主屋にやさし石蕗の花

樹々越しに見上ぐ寒星の魅力にとりつかれていた、わが秘密の場所「会神の丘」は、このところの熊騒動で入山自粛のおふれが出てしまいました。
そこで案出したのが「野池めぐり」。熊の心配はまずない。幸い池の小径はすべて土の道。所々冬の灯が水に映り、星空に身を委ねての周遊は、平らかな安堵感を覚えます。まさに水がもたらす親和性とでも言いましょうか。そこで気分を新たに〝南無アッバ〟と口ずさんでしまいます。

*「丘」が「池」になっても「会神」は変わらない。イエス様は湖の御方。わが町も山がないので黒浜沼に行くのが楽しい。いつでもどこでも南無アッバ。


京都市  瀧野悦子

からころと私についてくる落葉さびしがりやの真赤な落葉

ごめんなさいこの一言が言へなくてごめんなさいね南無南無アッバ

陽だまりのやうに私もポカポカと愛せるかしら南無南無アッバ

*最近短歌も作られるようになった作者。俳句・短歌・詩・・・・「求道」上はみな同じと考えます。難しく考えず自身に合う形式をとればいいと思います。


一宮市  西川珪子

踏絵おもふ時雨し叢を踏みしめつ

熟し切れず命を終える無花果は

生くるさま如何に有りしや枯蟷螂

十字架の白透きている死者の月

楽も苦もひとりよすがの時雨かな

*活動的な日々を送る作者。その「生くるさま」をアッバはあたたかく見守っていてくださる。そのとき「ひとりよすが」はひとりにあらず。


秦野市  長谷川末子

戻りて進む登山電車や燃ゆ紅葉

老い二人冬の泊りを有難く

干物を竿一杯の小春の日

日々の糧今日も賜る冬温し

愚か者に御恵み賜う冬の日々

 一泊
旅行を嫌った夫が「行こうか」と言った。翌日出かける。足腰の弱い夫は電車の乗換えは辛かった。宿に着くと座り込んだ。座敷に通され安心したのか顔色も良くなった。残りの紅葉、箱根の山も一望できる。食事と風呂も喜ぶ。見送りを受けて帰宅。「やはり狭い部屋が一番いい」と言った。たぶん最後の小さな旅だった。祈りを聞いてくださり護って下さった神様。

*この旅が「最後」と思うのはまこと寂しいものですが、それだけにくっきり心に刻まれた、かけがえのない思い出となりましょう。南無アッバ


稲城市  石川れい子

「家持てば 男は男となる」と言いし父 肉体は某大学に献体せり。

献体の父見送れり茄子の花

遺族待つこと二年三ヶ月 わが家に迎へし父の骨 海見ゆる丘のお墓に納骨せり。
やうやく建てし家なれど 父亡き後は 草茂り 訪ねる子らも各々に 同居はならず 母ひとり。八十路の母は父建てし 四十余年住み慣れし わが家を遂に手放せり。

初時雨國を離れて三千里

母送る三千院の初時雨

初時雨近江の母となりにけり

大震災は八歳で 終戦時には三十歳 四人の子らの母として 大正昭和平成と 相模の國で生きゆけり。國を離れていつの間に 月日は流れて十五年 琵琶湖の畔の高階で 日の出日の入水鏡 俳句も歌も日本画も 色々楽しむ母なりき。

亀鳴くやあわて兎は天めざす

*巻頭の神父の詩と同様、親の歳に近づき、越えていく頃になって、ようやくその有難さがわかる。そのようにして何千年何万年と人類は繰り返してきたのでしょう。


八王子市  井上文子

ウォーキングにエールを貰う草もみじ

降誕へ光ひとつを凝視する

終の日へ怠り無きか南無アッバ

*「南無アッバ」を唱えて、いつか来る「終の日」に備える。それはまた、幼子イエスの「光ひとつを凝視する」心と通じ合うものでしょう。


練馬区  魚住るみ子

今生のおもひをこむるミサの司式司祭の手よりご聖体受く

*定例・南無アッバミサの聖体拝領。長い列ができましたね。神父様も参列者も南無の心でひとつに。

名古屋市  片岡惇子

しんどさを恵と知りて冬帽子

ひび割れし心に咲きし冬桜

冬の空兎追い越す亀を見る

美辞麗句受けて黄落終末期

枯葦の日に日に倒れ無の姿

教会へ行く時は、十五分程歩いたところの大きな公園の前の停留場からバスに乗ります。
季節ごとの花々が目を楽しませてくれます。公園の中央には葦で覆われた小さな池があり、鷺が飛び立つのを時々目にします。
今は、枯葦になっていて、倒れているのか、折れているのか。同じ方向に傾いています。それは、この世の栄華を捨て去り、解放されて、枯れて、祈っている姿に思えます。

*パスカルの「考える葦」は、イザヤ書からの発想だそうですが、たしかに風に揺れる葦を見ていると、人生を思わずにいられなくなる。


蓮田市  平田栄一

「妻に先立たれた夫の会」に参加する友を見送る日本橋に

読み返して吾が日記ほど面白き読み物はほかに無しと思える


寄贈誌より

「日矢」十一月号        新堀邦司

人生のここが難所ぞ秋暑し

新涼の忘れてゐたり悩みごと

平穏な暮らしに感謝花茗荷


『風の道』         魚住るみ子

闇の中に小さき罪の蹲り忘るるとなく幾年を経ぬ

ゆるされてわが身はありやうなだれて黄水仙の花唇に触る


後記にかえて――求道短歌日録より:余白

11/27【人の子の前に立つとき気づくだろうアッバの御手に抱かれしこと(ルカ21)】南無アッバの集い平田講座第7回においでくださった方、まことにありがとうございました。レジメから――南無アッバの祈り 1.井上神学の体験主義・実践主義(補足) 2.井上神学の救済論。10名ほどの少人数でしたが、祈り、分かち合い、喫茶店でのダベリング、充実した時間をすごさせていただきました。次回は12月25日(土)クリスマスの午後。
11/28【人の子は思いがけない時に来る孤独死年に数万人とぞ(マタイ24)】【待降節第一日目南無アバの祈りに専心しようと思う】典礼暦は、今日から1年が始まります。しかし、クリスマスまではむしろ、静かに思いを沈めるという雰囲気です。お聖堂からはお花が消えました。裸のもみの木一本。みなさま、よいクリスマス&新年を! 南無アッバ
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