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喫茶去――お茶を一服!  

ここで二つ目の話をします。
「きっさ喫茶こ去」という話です。
この話は昔の中国、唐の時代の話で、名僧じょうしゅう趙州禅師というお坊さんの言葉です。『趙州禅語録』という本にのっています。
以前ぼくが出した『俳句でキリスト教』(サンパウロ)という本に載せた文があるので、それを今、さらにやさしくしながら、話しましょう。(同書二四九~二五〇頁参照)

二人の修行僧が禅師のところに入門してきました。
その一人に、禅師が尋ねます。「あなたは以前、ここに来たことがありますか?」
修行僧は答えます。「いいえ、ありません・・・・」
すると禅師は言いました。「そうですか。まあ、お茶でもおあがりなさい(喫茶去=この場合の「去」は中国語の強調の助詞で「去る」という意味ではなく、しいて茶をすすめる、という意味)。」
そして、もう一人の修行僧にも同じように尋ねました。「あなたは以前、ここに来たことがありますか?」
二番目の修行僧は答えました。「はい、あります!」
禅師は言います。「そうですか。まあ、お茶でもおあがりなさい(喫茶去)。」
このやりとりを見ていた院主(寺の事務を執る僧)が不思議に思って、禅師に尋ねました。「和尚様、かつて来たことがある者にも、ない者にも同じように『喫茶去』と言ってお茶をすすめるのはどういうわけでしょう?」
すると禅師はその質問には答えず、「院主さん!」と呼びました。
あらたまって呼ばれた院主はあわてて「はい!?」と返事をしました。
そして禅師は言いました。「まあ、お茶でもおあがりなさい(喫茶去)。」

仏教のお坊さんが、よく座禅することは知ってるよね。
そのとき臨済宗という宗派などでは、「公案」っていうのを使うんだ。
たとえば、「犬狗仏性有也」(ケンクブッショウアリヤ)!なんてのがある。
ん?
犬や動物にほとけ仏になる性質があるか?って聞いているんだよ。
難しそうだねー。
こういうのを、宿題に出して、座禅しながら答えをみつけてきなさい!ってわけ。
ぼくは禅については門外漢だから、ほんとうの答えはわからない。そもそも何か一般的な答えが用意されているわけではないらしい。
この「趙州喫茶去」というのも実は公案の一つなっているのです。
だから、その本意は、きっと相当の修行を積まなければ解けないんだと思う。
でもここでは、お坊さんには怒られちゃうかもしれないけど、ちょっと教材として拝借しちゃいます(笑)。

たぶん最初に出てくる「修行僧」は、若い人だと思う。
人づてに聞いていた、あこがれの「禅師」のところに、山を越え谷を下り、ようやくのことでたどりついた。
一刻も早く教えを聞きたい、そういう気持ちだったんじゃないかなあ。
そう、あの「金持ちの青年」を思わせるでしょ。
まじめで、一途な求道者だね。
それから、「二番目の修行僧」は、二度目か三度目の来訪かもしれない。
自分はさっきの初めて来た「修行僧」とちがって、ちょっと先輩格。
「喫茶去!」ではなくって、もうちょっと気のきいた、というか「悟り」に直結した言葉がもらえるかもしれない、そういう期待があったと思う。
そして、最後が「院主」さん。
「院主」っていうのは、お坊さんのなかでは、すごく高い地位の人です。
大きなお寺は、いろんな事務的な仕事があるよね。それを一手にしきっている、責任重大な人。
もちろんそういう合間を縫って、寸暇をおしんで一生懸命修行していたにちがいない。

この話の最大のポイントは、もちろん、繰り返し出てくる「喫茶去」だよね。
なんで同じ言葉を、ちがう三人の人たちに、オウムのように繰り返したかってこと。
禅師さま、バカの一つ覚え、みたいだよ(笑)。
もちろんバカじゃないさ! そこになんかわけがあるはず。
違う立場の人たちに、同じことを繰り返した、ということのほかに、もう一つポイントがあると、ボクは思う。
それは、この「喫茶去」ってのは、訳文みてわかるとおり、「まあ、お茶でもおあがりなさい」っていみだったね。
それを聞いた人たちのまったく期待していない言葉だってことです。
思惑ちがい、「なにそれ!?」って、がっくりくる言葉。
そういうことを、禅師はあえて言ったということに、二つ目のポイントがあるんじゃないかなあ。
つまりふたつまとめると、期待はずれの同じ言葉を繰り返した、っていうことだね。
ここまでの分析?は、たぶんみんな異論ないと思うけど――
さあ、どうしてだろう?
ここからは、想像力の問題。人によって答えはちがってくる。
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