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163-4 鎌倉仏教と芭蕉  

無限への憧憬としてのエロス
⇒古今調~鎌倉仏教開祖らの自己否定と転換

比較:芭蕉⇒「無」体験あったが、言葉にこだわった
⇒無による真の転換たりない

開祖は、美の創造にこだわらず、
作品は「指導」「配慮」を目的あるいは結果としての「汗」

「歌よむは罪か」⇒法然:詠む行為に執着するかどうかが問題


この部分は、2ページほどなのだが、
歌詠み?としては、気になるところ。

たとえば、私の場合、
短歌・俳句の一般誌への掲載と、
求道詩歌誌である「余白の風」作品とは、
どういう関係にあるか、
考えさせられる。

求道性と作品としての出来の問題。

広くは、宗教と文学の問題へ。
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