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「おれ」意識の問題  

ぼくたちはいつも、なにかにしばられている感覚とか、将来への不安、そういうものから自由になることを願っていないかい。
どんな高尚な哲学を持ってきてもこの現実は否定しようもない。
この「金持ちの男」はある意味でぼくたち人間の代表といってもいいんじゃないかな、と思えてくるんです。
まじめに人生を考えよう、もっといきいきと生きていきたい、そういう希望を持ちながら、でもけっきょく「おれ」意識を捨てられない・・・・そこに根本の問題がある。なんか哀しいけど、これがぼくたちの現実なんじゃないかな、って思う。

この話でイエスは、結果的に彼を突き放したように終わっているけど、そうじゃない。
それは、「イエスは彼を見つめ、慈しんで言われた」(21節)という言葉にもあらわれてるよ。この男がけっきょく財産を捨てられない、ってことはイエスはよく知っていたんじゃないかな。
それでも、この男に自分の中の「おれ」意識に気づかせる必要があった。そうしなければ、この人にほんとうの幸せはこない、そう思ったんだろうね、イエスは。
この男が無意識にこだわっていた「おれ」意識。それは、「財産を捨てろ」といわれて、やっぱり「捨てられない」財産へのこだわりとして顕在化、意識化された。気づかされた。

22)その人はこの言葉に気を落とし、悲しみながら立ち去った。たくさんの財産を持っていたからである。
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