「南無アッバ」を生きる ホーム » 『日本とイエスの顔』 »152-155 理性ある磁石のたとえ

日本人にわかるキリスト教を求めて

26May2012+011_convert_20120623181132_20120623222548.jpg井上洋治神父は、遠藤周作氏と共に、日本人の感性で正直に受けとめられるキリスト教を一生をかけて模索し、1986年「風の家」をはじめました。このサイトでは、「風の家」運動を引き継ぐ平田栄一が「求道俳句」ほか、日本人キリスト者の道を模索する試みを紹介していきます。お問い合わせ 略歴 著書

152-155 理性ある磁石のたとえ  

磁石のたとえ再び
(八木誠一『キリスト教は信じうるか』ヒント)

理性・意識を持った鉄片は感応依存たらしめる磁場に気づかなければ、
互いに独立存在と意識。

しかし、感応依存に気づき、
体験しても、理性では「無」

永遠の生命-場は、
理性には「無」であり、
感応しようとする行為により体験するほか捉え得ない。

イエスの示した真理:「無」の場の構造は三位一体
--場の働きは聖霊による復活のキリストの愛

三位一体は、感応依存関係とは本質的に異なる

重吉詩「人は人であり・・・・」
風に委ね切る自然には、永遠の生命-場の輝きがある。


理性においては、どこまでも「無」である「場」を、
どのようにイエスは教えたか。

ここでも「行為」「体験」がキーワード。
八木誠一のこの本は講談社現代新書だったかと思う。

ちりも積もれば、
第6章終了。

category: 『日本とイエスの顔』

thread: 聖書・キリスト教

janre: 学問・文化・芸術

tb: 0   cm: 0

コメント

コメントの投稿

Secret

トラックバック

トラックバックURL
→http://yohaku5.blog6.fc2.com/tb.php/1575-647dca7d
この記事にトラックバックする(FC2ブログユーザー)

講座・南無アッバの集い

求道詩歌誌「余白の風」

最後の南無アッバミサ

カテゴリ

全記事表示リンク

▲ Pagetop