「南無アッバ」を生きる ホーム » スポンサー広告 » 『日本とイエスの顔』 »145-149 可視性を超えて大切な復活の意味

日本人にわかるキリスト教を求めて

26May2012+011_convert_20120623181132_20120623222548.jpg井上洋治神父は、遠藤周作氏と共に、日本人の感性で正直に受けとめられるキリスト教を一生をかけて模索し、1986年「風の家」をはじめました。このサイトでは、「風の家」運動を引き継ぐ平田栄一が「求道俳句」ほか、日本人キリスト者の道を模索する試みを紹介していきます。お問い合わせ 略歴 著書

スポンサーサイト  

上記の広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。
新しい記事を書く事で広告が消せます。

category: スポンサー広告

tb: --   cm: --

145-149 可視性を超えて大切な復活の意味  

復活の不可視性の決定的証拠は、イエス死後3年以上経って「光」としてパウロに顕現したキリスト(1コリ15:3-9、使徒9:1-8)

復活のキリストは体験する以外とらえられない原事実であり、それゆえに様々に顕現する。

それは幻覚でなく体験であったからこそ、勇気ある弟子に変貌した。

その「体験の絶対性をあらわす」ためには、時代・文化で翻訳は変化すべきである。

復活・高挙のキリストが、われらの日常に共にある=永遠の生命-場になりきったということ。

復活のキリストは、時空間の制約を超えて、根源場として共にある。

したがって、どんな顕現か(可視性)は二次的となる。

たとえば、無心に咲く花・光り輝く朝露・死の床にある瞳・・・・あらゆるものを通して顕現・体験はありうる。


このあたりは、拙著『すべてはアッバに御手に』で、
私としても、こだわり続けて、書いてきたことです。

原稿を本にする時、井上師から、
「まあ、復活は一生のこと。
一生かけて、(勉強を)やってください。」
と、お言葉を頂いた。

category: 『日本とイエスの顔』

thread: 聖書・キリスト教

janre: 学問・文化・芸術

tb: 0   cm: 0

コメント

コメントの投稿

Secret

トラックバック

トラックバックURL
→http://yohaku5.blog6.fc2.com/tb.php/1572-35831758
この記事にトラックバックする(FC2ブログユーザー)

講座・南無アッバの集い

求道詩歌誌「余白の風」

最後の南無アッバミサ

カテゴリ

全記事表示リンク

▲ Pagetop

上記広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。新しい記事を書くことで広告を消せます。