「南無アッバ」を生きる ホーム » スポンサー広告 » 『日本とイエスの顔』 »137-141 体験のなかで見えてくる十字架の意味

日本人にわかるキリスト教を求めて

26May2012+011_convert_20120623181132_20120623222548.jpg井上洋治神父は、遠藤周作氏と共に、日本人の感性で正直に受けとめられるキリスト教を一生をかけて模索し、1986年「風の家」をはじめました。このサイトでは、「風の家」運動を引き継ぐ平田栄一が「求道俳句」ほか、日本人キリスト者の道を模索する試みを紹介していきます。お問い合わせ 略歴 著書

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137-141 体験のなかで見えてくる十字架の意味  

独居老人を訪問したときの体験、
学生時代に見た蝉の死、
その他から、
死を前にした人間の無力、
助けることのできなかったうしろめたさを思う。

そして、生きることも、死ぬことも、
大変なことなのだと知っていくにつれ、
なぜイエスが十字架で屈辱と血まみれの死を迎えたか
がわかる気がしていく。

すなわち、十字架の意味の発見

自分に愛はないが、完全な愛を生きた人がいたなら。。。
イエスがみすぼらしい死を引き受けたことに、
大きな意味がある気がした。
と告白する。


このブログでも紹介しているように、
明日で、井上神父は、定例でずっと行ってきた四谷の
「南無アッバ」のミサを、最後にします。

ご高齢による決断ですが、
今こそ神父は、自身の「体験」をもって
イエスの十字架の意味を、
噛み締めておられることだろう。

category: 『日本とイエスの顔』

thread: 聖書・キリスト教

janre: 学問・文化・芸術

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