「南無アッバ」を生きる ホーム » スポンサー広告 » 求道詩歌誌「余白の風」 »第174号 2010年6月発行

日本人にわかるキリスト教を求めて

26May2012+011_convert_20120623181132_20120623222548.jpg井上洋治神父は、遠藤周作氏と共に、日本人の感性で正直に受けとめられるキリスト教を一生をかけて模索し、1986年「風の家」をはじめました。このサイトでは、「風の家」運動を引き継ぐ平田栄一が「求道俳句」ほか、日本人キリスト者の道を模索する試みを紹介していきます。お問い合わせ 略歴 著書

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第174号 2010年6月発行  

井上洋治神父のうた
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*5月8日、井上神父司祭叙階金祝記念として、出席者に贈呈された神父自筆の「かえうた讃美歌 原詩―夕焼け小焼けのあかとんぼ―」。ミサ後に皆で唱和しました。

「おみかぜ御神風」=聖霊のなかで、あかとんぼが「南無アッバ」の祈りをささげます。日本人キリスト者としての大安心は、こうしたうたのなかに如実に表れています。


会員作品とエッセイ(*主宰句評)

秦野市  長谷川末子

短か夜も難病の友支へらる

句の友の逆縁の報白牡丹

さへずりや生を給はる喜びを

  七十五才
足腰弱くなって来た 世渡り上手になってきた 囲りも少し見えて来た 打たれ強くなってきた ど忘れ失敗増えてきた 三度の食と住む所着る物すべて与えられ今生かされるこの恵み。死ぬ日はいつか知らないが 今日一日の有難さ しあわせ者を感謝する

*その年代にならなければ見えてこないものがあるのですね。


蓮田市  平田栄一

はや父の一周忌となり葬式と同じ晴れ日の同じ顔ぶれ

夜はすぐ眠くなりすぐ目が覚めるスワンのごとく何かを待ちて

苦しみは主の苦しみと思い為せ喜びの実は天に結べり
一ペトロ4・7~13 ヨハネ15・16


稲城市  石川れい子

  南無アッバ
アッバ アッバ 南無アッバ/初めて集った 聖堂に/あふれるばかりの人々が/井上洋治神父さまの/司祭叙階五十年/南無アッバのミサで歌ふなり//「夕焼け小焼けのあかとんぼ/御神風(おみかぜ)さまにつつまれて/夕べのお祈り捧げてる/南無の祈りの美しさ」//一人ひとりにおのづから/ご聖体をくださる神父さま/長いながい行列の/一番うしろの私も/対面できた うれしさに/元気百倍いただいて/「アッバ アッバ 南無アッバ!」と。//「南無アッバ」と直筆の/お守り札が届きました/絹の袋につつまれて//企業戦士で同世代/五十年を生きたひと夫/病に伏した床の中/届いた手づくりお守りと/五月のある日でかけたら/無事に一人で行けました//アッバ アッバ 南無アッバ/祈りの内にひとつです/日本人にはぴったりの/祈りのことばをありがとう//アッバ アッバ 南無アッバ
 井上洋治神父さまに感謝をこめて
             二〇一〇年五月
薫風を入れて酢の飯艶を出し

*鮮やか、丁寧に金祝の情景が思い出されます。神父様もご主人もどうぞご自愛ください。


八王子市  井上文子

ひたむきに愛しましたと花の散る

あたふたと隙間で祈る主婦の日日

独り言増えて独りでないと知る

*「独り言」は祈りかもしれませんね。であれば、二人、三人・・・・寂しくない。


練馬区  魚住るみ子
  金祝のミサ     
一人ひとりの名を呼び祈りたまふとふ御姿偲び胸にあふるる

人の業の罪をゆるしてせな背を押す聖霊の風わが上にしも

*この金祝は神父様はもとより、多くの人にとって意義深いものとなりました。感謝


名古屋市  片岡惇子

柿若葉アッバの与ふ平和聴く

薔薇散るや崩れる我を叱りつつ

更衣今ここにある生命かな

*柿若葉、薔薇、更衣・・・・季節の変化のなかで、アッバ御声を聴きつつ。


大和市  佐藤悦子

痛みつつ目覚める夜半の南無アッバ

待ちわびる夜明けのひかり南無アッバ

十字架にほほえむ御顔南無アッバ

「南無アッバは懐かしい故郷の言葉・・・・」(172号)
実は、私が小学生の頃、故郷の農村で毎日外で遊んで夕方、家に帰る頃、アッバまたねー、とか、アーバねと言い合いながら、仲間の子供たちと別れていきました。

今でしたら、バイバイ、さようなら、ということでしょうか。不思議とどこかで聞いたことのあるなじみ深い言葉だと感じていました。何か関係があるのでしょうか。おもしろいですね。

*広辞苑を引くと、「あばよ=(「さあらばよ」からか)別れの時の挨拶。さようなら。」とありました。寅さんなんかがよく「じゃあな、あばよ!」って、くるっと背を向けて去っていく情景が浮かびますね。

ちなみに、「あっぱ=(東北地方北部や長崎県・種子島で)母。」「あば=(東北地方北部で)母」というのもありました。興味深いです。


豊田市  佐藤淡丘

葉桜を抜けて弾ける乙女らは

緑陰にハートのトランプ忘れゐし

雨含む花アカシアを掌で受ける

年を経るにつれて、聖母マリアのとりなしと慈しみに心を寄せるようになっていました。そんなとき、所属している教会が献堂三〇周年の記念行事として、マリア像を庭先に建てることになり、一年がかりでこの五月、聖母月にふさわしく、純白のマリア像が美しく建立されました。

一番喜んだのは、教会学校の子供達と、そのお母さんでした。
「○○ちゃん、また来週マリアさまに会いに来ましょうね。」ミサを終えた子供達は、マリア像にペコリと頭を下げ、去り去ってゆく姿はまことに微笑ましく、カトリック教会のよさを改めて確認したひとときでした。

*イエス様のなかにマリア性をみている井上神学は、エキュメニズムの中で大きな意味をもつものと思います。


立川市  新堀邦司
  「日矢」5月号より    
蕗味噌に添へ懐かしき便りかな

入念に準備運動草青む

万象の動きはじめて春確か

*蕗味噌、運動、万象へ、目が外へ向いて行く明るい季節になりました。


求道詩歌のすすめ(抄):余白

(南無アッバミサ前小講話10-4-10:四谷ニコラバレ )
 およそ日本人なら、俳句や短歌や短い詩の1つ,2つは、学生時代でも作った、作らされたご経験があるのではないでしょうか。まずそれを思いだして、日々の信仰生活――ミサにあがったり、聖書を読んだり、自然や人に触れ合って感じたことを、短い言葉でいいあらわしてみる。独り言の日記のようでもいいのです。その場合、人様が見るとか、どこかに発表するとか、そういうことを考えない方がいいと思います。好きなように、好きな形で作る。

 以前にもここで浄土真宗の妙好人の話を少ししましたが、浅原才一などの歌や八木重吉の詩などは、「求道詩歌」の良い見本だと思います。そして今なら、もし「求道詩歌」をやってみたい、という人がいた時、私がお手本として勧めるのは、井上神父様のアッバ賛句です。神父様はこんなことは意識していないだろうし、私がこんなことをいうのはまこと口はばったいのですが、神父様の句は私が提唱している「求道詩歌」を、はからずも最も良く具現しているように思うのです。たとえば、

  朝 目覚め 命なりけり南無アッバ
  皿洗い茶碗こわして南無アッバ
  心傷つけてしまいなすすべもなく南無アッバ

これらは、短くて、やさしい言葉だけを使っています。だからだれでも一読共感できる。それからリズム。ここでもう「南無アッバ」について説明する必要はないと思いますが、この言葉で下句5音をしっかり結んでいるので、上句に自在な言葉(音数)をもってきても、安定しています。このことは心情的にはどういうことかというと、私たちの身の上に何があっても、最終的にアッバにお任せするんだ、という祈りになっているのですね。そしてなにより、ご自身の言葉で詠んでいる、ということ。それはすなわち日本人の血、素質から自ずと流れ出るところからアッバなり、イエスなりを詠うということです。このように、まさに私どもが行っている求道詩歌運動の目指す所を体現しているお歌なのです。

 さて、昨年の12月の、このミサで神父様は、これからの日本のキリスト教への提言として、「下からのキリスト論」「神をアッバととらえる、テレジアの幼子の道」そして、「汎在神論」ということを上げておられましたが、これに関して「風」82号09年夏秋号に次のような、神父様の言葉があります。

「キリスト教は、決して、汎神論ではないけれども、しかし本質とはたらきを断絶する超越一神論ではなく、汎在神論(パンエンティスム)と呼ばれるべきものなのだ、という東方神学に目覚めることが絶対に大切なことなのだと思われます。そこではじめて、歌道や俳句道が、キリスト信仰のなかで抹殺されることなく、その息を吹き返すことができるのだと思います。」

ここには、汎在神論としてキリスト教を捉えることと、日本人の求道方法としての歌道や俳句道との相性が明確に述べられています。四半世紀にわたり、細々とですが私自身俳句や短歌と関わってきて、いまこの神父様のお言葉の意味が、少しですがわかってきたような気がします。と同時にまた、このような捉え方を今の日本のキリスト教の中で実現していくことの難しさも、感じつつありますが、先ほどの神父様の3つの提言を実現するための一助ともなれば、自分としてはうれしいことだなあ、と思っています。南無アッバ、南無アッバ、南無アッバ


*本誌は、井上洋治神父の提唱する日本人のキリスト信仰を生きるため、詩歌を中心として、共に道を求め、祈り合うための会誌です。
*初心の方はもちろん、どなたでも、賛同される方の参加をお待ちしています。(原稿採否主宰一任)
*締切=毎月末 *年会費二千円(半年千円 誌代送料共)
*入会案内 余白メールへ。
*ご意見ご感想をお寄せ下さい。
yohakunokaze-mihon_convert.jpg見本誌A4判両面刷1枚

category: 求道詩歌誌「余白の風」

thread: 求道詩歌

janre: 学問・文化・芸術

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