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日本人にわかるキリスト教を求めて

26May2012+011_convert_20120623181132_20120623222548.jpg井上洋治神父は、遠藤周作氏と共に、日本人の感性で正直に受けとめられるキリスト教を一生をかけて模索し、1986年「風の家」をはじめました。このサイトでは、「風の家」運動を引き継ぐ平田栄一が「求道俳句」ほか、日本人キリスト者の道を模索する試みを紹介していきます。お問い合わせ 略歴 著書

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東京教区・井上洋治神父の模索(上)  

カトリック新聞 第4032号 2009年12月13日付 4面記事
(この記事は、著作権者の許諾を得て転載しました。中央協著承第CS2010-1号)

日本人の心の琴線に触れるキリスト教を求めて

キリスト教をその土地の文化と融合させ、自分たちのもの″にしていくことは、一人一人にとって重要な課題である。

東京教区の井上洋治神父(82)は、親友の故・遠藤周作さんと同じ考えで、日本の文化的風土の中で、キリスト教を定着させる「インカルチュレーンョン(文化内受肉)」の問題に真正面から取り租んできた。

井上神父が二十三年前から精力を傾けてきたこの文化的土着化運動「風(プネワマ)の家」は、キリスト教を知らない日本人にもキリスト教がより身近に感じられるように、「日本人の心の琴線に触れるキリスト教の姿を探求し、広めていこうという試みだ。

井上神父の取り組みのプロセスと活動を二回に分けて紹介する。

井上神父がキリスト教に出会ったのは、20歳の時。
東京工業大学の学生時代は、「人間は原子の海を漂っている存在にすぎない。

それなら生と死にいったいどういう意味があるのか」と考え、死ぬほど悩み苦しむ毎日を送っていた。

そうした青春期に、フランスの哲学者アンリ・ベルクソンの著書『時間と自由』に感銘を受けた。

読んでいるうちに「井上の(生と死についての)考えは間違っている」と言われたような気がして、東京大学哲学科に転校した。

そしてさまざまな宗教を勉強し、プロテスタントやカトリックの教会にも出入りした。

だが相変わらず喜びは見いだせなかった。

イエズス会の司祭の下で勉強を始めていた時のことだ。

リジューの聖テレジア(カルメル修道会=以下カルメル会)の自叙伝に出会ったことが人生の転機となった。

--神様は、小さな子を腕に抱いて、暖かな目で見てくださるお父さんのような存在。

弱ければ弱いほど、不完全であればあるほど、神はその人を愛して、豊かな恵みをくださる。

私たちは、幼な子のような心で、神の深いあわれみの愛に信頼するだけでいい--。

このテレジアの霊性に救いを感じた。

そして洗礼を受けた。

井上神父は当時をこう回顧する。

「ものすごい感動を覚えたのです。

『これだ』と強く思いました。

『フランスに行けば、テレジアの見たものが見えるはず。

聖テレジアが歩いた道を自分も生きたい』と思い、カルメル会に入会することを考えたのです。

当時は日本に男子カルメル会はありません。

それでフランスのカルメル会に『入会したい」と手紙を送ると、聖テレジアのお姉さんのシスター・ポリーヌがご存命で、快諾の返事をくださったのです」

大学卒業後の1950年6月、23歳で横浜港からフランスへ渡航。

その船で出会ったのが、4歳年上の遠藤周作さんだった。

遠藤さんは、戦後初の留学生としてフランスに向かう途中だった。

以来、二人は親友となり、そして信仰生活でも同じ〝壁〟にぶつかっていく。

〝ダブダブの洋服〟

フランスでの修道生活が始まったが、修道院には、奥村一郎神父などもいた。

長上たちは、日本人修道者が三人いれば、日本にもカルメル会を創設できると考え、井上神父も2年目から司祭になるための勉強を始めた。

七年間の厳しい修道生活を送り頑張ったが、終生誓願を立てる前に〝壁〟にぶつかった。

「ヨーロッパのキリスト教の重みに押しつぶされそうになりました。

まるで西欧人にならないと、本物のキリスト者になれないというような風潮」に抵抗を感じ、『(西欧というこの服では)ダブダブで動けん』という思いがしてきました。

日本人が真のキリスト者になれるとするなら、日本キリスト者になる以外にはない」と確信した井上神父は、修道会を出て日本に帰る決心をした。

遠藤さんも、母親の意向で幼少期に洗礼を受けたため、「キリスト教という自分の体に合わない洋服を着せられているようだ」と生前よく語っていた。

修道院長は、井上神父にこう言った。

「私はフランス人を立派なフランス人キリスト者に養成することはできます。

でも君を立派な日本人キキリスト者に育てる自信はありません」

そして修道院長が紹介してくれたフランスの神学者ジャン・ダニエル神父の著作にもおおよそ次のように書かれていた。

--キリスト教の歴史は二千年。

まだ始まったばかり。

紀元2,3世紀の教父たちも自分たちの文化を大切にしながら、イエスの福音を自分のものにしようと努力しました。

この姿勢を、私たちも学ばなければなりません--。

井上神父に、この時初めて「司祭になりたい」という思いが突き上げてきたという。

「日本人の心情に合うキリスト教を模索しながら、イエスの福音の素晴らしさを一人でも多くの人に伝えたい」。

井上神父は、そんな思いを胸に五八年に帰国。

東京教区(当時・土井辰雄大司教)が受け入れ先となり、六○年、32歳の時に東京教区の司祭として叙階された。(つづく)

category: 井上神父の思い出

thread: 聖書・キリスト教

janre: 学問・文化・芸術

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コメント

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井上司祭様の主の描写は心引かれるものがあります。主と向き合おうとしているものです、井上司祭様もどこにいようと主に仕えようとしているものにはロザリオで祈り微笑んで下さると信じております。
司祭様のご健康日ごとの祈りに加えさしたいただきたいと思います。土佐アベ

アベ ヨウコ #- | URL
2013/05/09 09:30 | edit

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