「南無アッバ」を生きる ホーム » スポンサー広告 » 求道詩歌誌「余白の風」 »第169号 2010年1月発行

日本人にわかるキリスト教を求めて

26May2012+011_convert_20120623181132_20120623222548.jpg井上洋治神父は、遠藤周作氏と共に、日本人の感性で正直に受けとめられるキリスト教を一生をかけて模索し、1986年「風の家」をはじめました。このサイトでは、「風の家」運動を引き継ぐ平田栄一が「求道俳句」ほか、日本人キリスト者の道を模索する試みを紹介していきます。お問い合わせ 略歴 著書

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第169号 2010年1月発行  

求道詩歌で「南無アッバ」
Copyright©1990余白平田栄一,All rights reserved.

*本誌は、井上洋治神父の提唱する「南無アッバ」の心を生きるため、俳句を中心として、共に道を求め、祈り合うための月刊誌です。


井上洋治神父のうた

―「お手手つないで」の替歌―
お札に 守られて
 南無アッバをとなえればー
  みんな お祈りで 一つになって
おみ風さまに 抱かれてー
アッバのふところへ とんでいくー
イエスさまに つきそわれー
  アッバの安らぎに 包まれる


(〇九年一〇月二六日南無アッバミサにて)


二〇〇九年待降節求道短歌連作:平田栄一

目を覚まし恐れをこえて祈ります待降節の風の余白に

十一・二九・待降節第一主日

アンデレとペトロをイエス見そなわし二人はすぐに従い行きぬ
三〇・聖アンドレ

喜びにあふれて語る人の子の声音聞きたし師走の街に
十二・一

祈りつつ七つのパンを配りたる主のガリラヤに春告げる風


「福音のしるしはどこにあるだろう」止むにやまれず君は問いたり
三・聖ザビエル

祈りても変わらないのは神様がより良いものを賜るしるし


はらわたがちぎれる程の憐れみは血潮となりてイエスより出づ


待降節第二主日は静かなる洗者ヨハネの叫びを聞きぬ
六・第二主日

床に乗せつり降ろされたる病人の手に握られしアッバのお札


「御言葉のとおりこの身になるように」マリアは祈り吾らも祈り
八・無原罪の聖マリア

謙遜と柔和をイエスに学ばんと己が小さき十字架担ぐ


天国を力ずくにて奪うこと洗者に始まりイエスに至る


人の子は呑ん兵衛なりという噂真なればと密かに願う
十一

洗礼者ヨハネとイエスの間には書かれていない何かがあろう
十二

洗礼者ヨハネはイエスの先駆けと位置づけ福音自ずから成る
十三

十字架のヨハネは吾が師わが息子ともに頂く霊名なりや
十四・十字架の聖ヨハネ

信仰も行いと見るマタイ伝二十一章楽しからずや
十五

来るべき方が来てから二千年み国は未だ完成を見ず
十六

三掛ける十四代の末裔にイエスは生まる吾に連なり
十七・降誕8日前

麗しきマリア・ヨセフの物語夫婦の絆かくもあれかし
十八・降誕7日前

沈黙のうちに沈みしザカリアに主の約束は実現したり
十九・降誕6日前

胎内の子はおどりたり主の御声聞きて喜び抑えがたしも
二〇・待降節第4主日

母マリアの「fiat mihi」は「南無アッバ」主の御言葉は自ずから成る
二一・降誕4日前

いくたりに唱えられしかマグニフィカト吾らの傷をイエスは負えり
二二・降誕3日前

神の子を迎える準備整いて今朝聞く福音ルカ一章
二三・降誕2日前

吾が敵も吾が罪もなお吾が内に潜みて洗者の声を聞きたり
二四・降誕前日

この弱き幼に賭ける信仰を吾は賜る二十歳の頃に
二五・降誕祭


作品とエッセイ 

立川市  新堀邦司

八雲立つ出雲平野や豊の秋

励めよと師の一喝や秋の雷

穴道湖に淡き虹架け秋時雨

秋蝶の阿国の墓へ舞ひ下りぬ


(「日矢」1月号より)


秦野市  長谷川末子

冬に入る昨夜の月は細かりし

立冬や雨粒丸き草の上

朝寒やイザヤ書厳し衿ただし

礼拝の初マフラーはえんじ色

山茶花に「焚火の歌」を垣根ごし

葉は見事石蕗の小花よしあわせか

茶の花の羞ひそれとも悲しいの

しもつけの薄紅色や帰り花

頑丈も老ひを知りたる初時雨

梢よりチイチイ聞こゆ小春朝

太陽と盗み見してる小春の日

小春日や杖軽やかに夫の行く

晩秋
こおろぎの声細々と/朝夕風が冷えて来る/落葉はらはら道端に//山々何か知らん顔/稲穂は刈られ稲雀/次の稲穂に飛んで行く//淋しさ捨てて買物に/柿梨りんご栗きのこ/みかんぶどうに鮭さんま/値段お手頃嬉しいな/夜は三日月笑ってた



練馬区  魚住るみ子

一人ひとりの小さき祈り声合はせ願ひを併せ天(あめ)のぼりゆく

クリスマスカクタス多(さは)なる蕾くれなゐにわが晩節の夕映えの彩
    (しゃこばサボテン)

こぼるるばかりクリスマスカクタス鉢に満ち待降節の日頃を飾る


名古屋市  片岡惇子

初雪や路上の人に刺となり

毛糸編む路上の人に闇深し

息白し優しきことば言葉となり

寄せ鍋を突いて命見詰めあう

捨て切れぬもの捨てさせてクリスマス


十二月十九日、名古屋に初雪が降りました。風花となって、光を得て輝きながら舞い降る様の美しさは、心をとらえます。暖かい日が続いていたのが急に寒くなり、お届けするのを躊躇っていたマフラーを、慌てて届けに行きました。
六年前、母の遺品の中からかなりの量のかせの毛糸が出て来ました。

その毛糸をマフラーに編んで、生かしてはと教えて下さったのは、路上生活をしている人たちの支援を続けておられる方でした。三百人以上の方が、炊出しの時集まられるということで、とても足りません。教会に張り紙をしたところ、沢山の方が、沢山の毛糸を持って来て下さいました。

そして四人の方(高齢の方、視覚障害の方、寝たきりの方、多忙な方)が編み続けて下さっています。このマフラーが、どの程度必要なものとなっているか、確認できていませんが、毎年二百枚程お届けしています。もう毛糸がなくなって、終りですねという頃に、どなたかが届けて下さいます。


豊田市  佐藤淡丘

師の仰ぐうしろ姿やいわし雲

指舐めて風を占なう秋の人

草萎えて立冬の影つくり得ず

蹴りてゆく子等に続けり落葉径

母の背にふと触れてみる小春かな


「人生の目的は神を知ることにある。」(内村鑑三、語録より)神のことをもっと知りたい、受洗五十年を経たころより、試行錯誤を繰り返しているうちに、ある縁から日本キリスト教団の祈祷会に参加するようになり、はたまた井上神父の「アッバ神学」に、神との正しく美しい関係を求め、それに気付いてゆく楽しさ、よろこびを味わっています。

カトリック教会の「秘跡」は否定いたしませんが、私なりにキリストを知ることが、永生(かぎりなきいのち)であることの想いをこめて艱難に挑戦したいと思う今日このごろです。


後 記
 寒中お見舞い申し上げます。皆様、本年もよろしくお願いいたします。今号は作品でいっぱいにしました。
紙面の変化にお気づきですか? そうです。ワイドにしました。昨今は安価な透明(クリア)ファイルが出回っているので、パンチで穴を開ける分、紙面を広げました。今後はそうした透明ファイルに保存していただければ幸いです。皆様の健吟を期待いたします。

*どなたでも、賛同される方の参加をお待ちしています。(原稿採否主宰一任)
*締切=毎月末 *年会費二千円(半年千円 誌代送料共)
連絡先:サイドバーの余白メールへ。
yohakunokaze-mihon_convert.jpg見本誌A4判両面刷1枚

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thread: 求道詩歌

janre: 学問・文化・芸術

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