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第167号 2009年 11月発行-作品と鑑賞  

求道詩歌で南無アッバ
Copyright©1990余白、平田栄一,All rights reserved.

推薦句歌

わが前を低く燕は飛び行けり黒き十字の伏せる様して   長谷川富市(「短歌人」九月号)

主宰近詠

蓮田市  平田栄一

有りて在る方より出でし万物の一つと知りて我淋しまず

ゴミ箱の置かれし客車にわれ坐り黄泉への旅に開く海苔弁

一眠り毎に脱皮を重ね行く蛇はこの世の終末を知る

大型版漱石句集に折々の愚痴を書き込み川治へ至る

アナログが恋しくなりてダイソーへ百円ノートを買いに行きたり

人々の間を抜けて立ち去りき半透明のイエスの体



作品とおたより(*主宰寸感) 

名古屋市  片岡惇子

秋灯や細き命を分かちあい

 幼児洗礼
秋の水幼子に主は種蒔かる

橡の実や跳ねて心の扉打つ

秋桜戻らぬ風を見送りし

ロザリオを繰りて小さくなる後の月

十三夜痛みし胸の鼓動聞く

石蕗や私の中に青く咲き

石榴朽ち頑に涙しまいけり


*<十三夜>肉体的、心理的を問わず痛む心は、ときに如何ともしがたい。そんなとき「頑に涙しまい」とする心から、「細き命を分かちあい」「戻らぬ風を見送」って、素直にお任せする境地へと導かれるまでの時間が、連作的に表現されているように思う。


豊田市  佐藤淡丘

残像を胸にたたみて星流る

手招きの金木犀に吸われゆく

バス停を降りて良夜の人となる

荒野に一人が立ちて一つの穂

枕するところもありや残る虫


 又もや、早起きは三文の得、を体験しました。10/19午前5時10分頃、頭上に「オリオン座流星群」を立て続けに2個観ました。

 そのうちの1個は、稲穂を想わせるように、黄金色の粒を纏い突入して来ました。一瞬の出来事ではありますが、何故か心の中で轟音を聴いたような錯覚におちいり、暫し呆然と立ちつくしました。

 神の造られた教会は宇宙であります。天然であります。心から感謝し、南無アッバと唱え丘を降りました。

*なんと幸運な体験でしょう。見ただけでなく、流星を五感で感じられたのでしょう。今回の御句、この「流星」をテーマに読ませていただくと、深い味わいがあります。


立川市  新堀邦司

けさ秋の季節を分かつ風の音

新涼の祈りを捧げガラシャの忌

子規の忌の根岸の空の晴れにけり

本棚の整理などして獺祭忌

秋の夜やかたへの妻のもの想ふ

(「日矢」十一月号より)

*「獺祭書屋主人」の号を使っていた子規。病床にあって、そこいらじゅうに本を散らかしている様子が目に浮かびます。<けさ秋><秋の夜>やはりこの時期は、読書がいい。


一宮市  西川珪子

位置変るだけの片付秋いそぐ

生きている花野は神の住居かな

墓洗ふ金木犀のいやしかな

神々の不在尾張野 殉教地

昔昔 学徒動員いも畑

人生の余白に生きる華の道


*<位置変る>「片付けとは捨てること」というのを聞いたことがありますが、私など根が貧乏性でけちですから、なかなか捨てられない。自嘲。<神の住居><神々の不在>に「花野」「尾張野」が対応していて面白い。


秦野市  長谷川末子

星煌々唯一条の虫の声

桜紅葉掻きつ満開を想ふ

貧し時ありて恵みの秋

神の恵隣人の愛最高の日々


*<紅葉>が「満開」を想わすのは、キリスト者が十字架から復活を想うようで、意味深長。<貧し時>は「貧しき」か。


*本誌は、井上洋治神父の提唱する「南無アッバ」の心を生きるため、俳句や短歌を中心として、共に道を求め、祈り合うための月刊誌です。
*どなたでも、賛同される方の参加をお待ちしています。(原稿採否主宰一任)
*締切=毎月末 *年会費二千円(半年千円 誌代送料共)
*連絡は、サイドバーにあるメールでお知らせください。
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