「南無アッバ」を生きる ホーム » 連載「井上神父の言葉に出会う」 »第23回(4)為す愛、為さざる愛-人に石を投げない心-『風』誌第82号

日本人にわかるキリスト教を求めて

26May2012+011_convert_20120623181132_20120623222548.jpg井上洋治神父は、遠藤周作氏と共に、日本人の感性で正直に受けとめられるキリスト教を一生をかけて模索し、1986年「風の家」をはじめました。このサイトでは、「風の家」運動を引き継ぐ平田栄一が「求道俳句」ほか、日本人キリスト者の道を模索する試みを紹介していきます。お問い合わせ 略歴 著書

第23回(4)為す愛、為さざる愛-人に石を投げない心-『風』誌第82号   

さて、井上神父が、<「ファリサイ派の人と徴税人」のたとえ>から、「足もとをすくわれるような衝撃と不安」を感じたのは、神父自身がファリサイ派と同じ道を歩んでいたのではないかということに気づいたからでした。

と同時に、イエスが示し、十字架を覚悟で大切にしたものにも気づかされることになります。それはファリサイ派には「欠けていた」「人間としていちばんたいせつなもの」すなわち「悲愛の心」です。

井上神父は、
<悲愛の心、キリストの説いた愛の心とは、人に石を投げない心であり、人の弱さや哀しみや醜さを己れの尺度で切捨て審かない心です。>(同前、第七章「悲愛」一七九頁)

と説明し先に、「アガペーは相手の弱さやみじめさを己れに荷う愛」と述べたことを、具体化しています。その上で、「普通の意味での道徳的な見方だけからすれば、」たしかに立派だったファリサイ人ではなく、そのように「祈ることのできない」取税人の方がアッバに受け入れられる、と喝破したのがイエスだといっています。

わたしがここで注目したいは、右の引用に典型的にみられるように、神父が「悲愛」たるアガペーを説明するとき、「~しない」という否定詞を多用しているという点です。すなわち、井上神父の場合、「汝、~すべし」という作為・能動よりも――少なくとも、能動的である以前に、まず「~しない」という不作為にこそ、アガペーの本質を見出していると考えられるのです。

そして、他者に対して「石を投げない」「審かない」という不作為の根底にあるものがまさに、自らを省みてわきまえ、控える――これまで述べてきたケノーシス・ペタイノース的姿勢といえるのではないでしょうか。この「わきまえ」や「控え」は、謙虚に自らを省みなければできることではありません。

「取税人」が「ファリサイ人」のように立派に「祈ることができない」のは、そのように謙虚に自らを省みたからでしょう。そういう「取税人」をこそ、アッバは受け入れるのだ、とイエスは明言したわけです。

「悲愛」の基本姿勢がこのようなものだとするならば、わたしたちがアガペーというものを考えた場合、いわば〝為すアガペー〟に対して〝為さざるアガペー〟というものも考えられるのではないか、とわたしは思うのです。それはどちらもアガペーの要素ではあるけれども、井上神学の場合は後者が第一義的に重要視されている。

このことが、わたし自身の経験からも、また様々な求道を重ねた末に井上神学にたどり着いた人たちとの語らいからも、日本人求道者・信者の、いわゆるキリスト教倫理への不自然な、ぎこちない構えを、ほぐしてくれているように思います。

ここでもう一度、本稿第二部で引用した『新約聖書のイエス像』からの一節をあげておきたいと思います。

<大切なことは、私たちがいかに人を愛することから遠い至らない人間であるかを謙虚に自覚し、私たちをも受け入れて一緒に食事をしてくださるであろうイエスの前に心からそれを恥じることにあるのである。

私たちのように愛から遠い人間が、この愛の欠如の自覚もなしに、ただただ親切をしなければならないという意識で、後ろはちまきでがんばれば、下手をすると、偽善と自己満足のなんともいえない不愉快なにおいを発散して歩くことにもなりかねないことを、深く反省してみる必要もあるにちがいない。>(第七章「隣人となるということ」一二八~一二九頁)

これは、『ルカによる福音書』一〇章の「善きサマリア人のたとえ」に言及しながらの井上神父の言葉ですが、いま問題にしている「為す愛」「為さざる愛」について、神父のはっきりした見解を示しているという点で重要な発言だと思いますので、ここに再掲しました。

わたし自身、「キリスト教の愛とは何なのか」あるいは「自分にその愛は可能なのか」ということを考えるとき、たびたび思い浮かぶ箇所なのです。

category: 連載「井上神父の言葉に出会う」

thread: 聖書・キリスト教

janre: 学問・文化・芸術

tb: 0   cm: 0

コメント

コメントの投稿

Secret

トラックバック

トラックバックURL
→http://yohaku5.blog6.fc2.com/tb.php/1362-5c17bff8
この記事にトラックバックする(FC2ブログユーザー)

講座・南無アッバの集い

求道詩歌誌「余白の風」

最後の南無アッバミサ

カテゴリ

全記事表示リンク

▲ Pagetop