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一、風に誘われて  

  草の戸も住み替はる代ぞ雛の家

 芭蕉が「おくのほそ道」の旅を思い立って、深川の芭蕉庵を去るときに詠んだ句です。
 「おくのほそ道」のなかで最も人口に膾炙されているのは、冒頭の言葉――

<月日は百代の過客にして、行きかふ年もまた旅人なり。・・・・>

「年」「月日」=時間を永遠の「旅人」と見、またすべての人生も旅そのものと受け取っています。芭蕉を幾たびも旅に駆り立てたものは何だったのでしょうか。
 彼は、<予も、いづれの年よりか、片雲の風に誘はれて、漂白の思ひやまず・・・・>と書いています。
「片雲の風」――この「風」にあたる言葉は、新約聖書のギリシャ語原語では「プネウマ」といいます。そして「プネウマ」は同時に、「息」とか「(神の)霊=聖霊」をも意味するのです。キリスト者であるわたしは、この「風」―聖霊が、芭蕉を一所に安住させず、旅に駆り立てたのだと思うのです。
 たしかに芭蕉は、イエス=キリストを直接は知りません。しかし、神が唯一絶対で、時と場所を超えてわたしたちを支配する方=普遍の方だとするなら、洗礼を受けた者だけの神ではありません。当然芭蕉の生きた元禄時代の日本にも、イエスの時代と同じ「風」が吹いていたのだと思うのです。

 その「風」は芭蕉に何をさせようとしたのでしょうか。何のために芭蕉を旅へ駆り立てたのでしょうか。
 この旅でぜひ、尊敬する西行をはじめとする歌枕――古歌に詠まれた名所・旧跡を訪ねたい、また「みちのく」という当時としては未知の世界への憧れ、あるいは、「おくのほそ道」が単なる報告文ではなく創作的であるところなどから、立派な紀行文を書きたい、という野心もあったかもしれません。
 しかし芭蕉は「おくの細道」より前、「旅」というものを、「無依(むえ)の道者の跡をしたふ」(『笈の小文』  )ことだと言っています。(つづく)
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