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書評:神父が書いた詩集――井上洋治著『風の薫り』を読む――(一)  

 まず、次の言葉に注目したい。

 「『神がイエスをよみがえらせ、高く挙げて主とした』という信仰宣言は、すっぽりとイエスがそのまま余白の次元に入りこみ、生かされ、余白を吹きぬける風と一体化し、生きとし生けるものの根底を吹きぬけることとなったということに他ならないのではないか。」(井上洋治著『余白の旅』-思索のあと-「余白」より)

 これは井上洋治神父が長年の思索、精神的彷徨の果てに見つけた信仰宣言クレドと言って よいものである。その内実はこれからゆっくり追っていくとして、まず注目したいのは 、この表現が大変に日本人的、文学的な文体であるということである。「余白を吹きぬける風と一体化し、生きとし生けるものの根底を吹きぬける・・・・。」

こうした表現には、どう見ても一般に考えられているキリスト教的、教義的、哲学的な印象はない。むしろ、西行や芭蕉に代表されるような日本の伝統的文化の流れを感じさせる文体である。〝ふつうの日本人〟がキリスト教に対して持つ印象はどんなものだろうか。内村鑑三以来のリゴリズム――真面目かもしれないが、どこか世間離れしていて融通がきかない。

それが固定観念となって、そうしたイメージからはみ出すようなクリスチャンを見ると一言揶揄してみたくなる――こんなところだろうか。いまだに私が酒を飲み、煙草を吸っていると、「えっ、平田さんってクリスチャンだったんですか?」などと目を見張られてしまう。困ったものだ。

 詩歌集を出すというのは、だれにとってもうれしいことである。井上洋治神父は、初めて詩集を出したのである。しかし、著者自身の、「たんに嬉しいというだけでなく、実に大きな意味を持っています。」(『風の薫り』「あとがきにかえて」189頁)との弁は、出版による神父自身 の個人的うれしさを越 えて、この詩集がわたしたち日本人とキリスト教に関して重大な 問題提起をしているということを意味しているのである。そのことを少しずつ作品を見ながら、これから明らかにしていこうと思う。

 すでに潮文社刊『わが青春の春夏秋冬』第ニ集でも書いたことだが、最初に私と井上神父との関係に簡単に触れておきたい。カトリック的に言えば、井上神父は私の霊的指導者ということになろうか。(したがって以下、井上神父を「師」と記すこともある。)今から十八年前の一九八〇年、就職浪人中だった私は故遠藤周作氏の『私のイエス』(祥伝社)と いう本に出会った。キリスト教に求道しながら、 当時の教会の雰囲気に馴染めないでい た私は、この本に大変共感した。その最後の項目「もっとキリスト教を知りたい人に」という所に次のように書いてあった。

 「さしあたって、イエスの一生について、もっと詳しく私の考え方をお知りになりたい方は、『イエスの生涯』、あるいは、井上洋治神父の『日本とイエスの顔』という本を読んでいただきたいと思います。

 とくに、この井上神父の本は、私の考えでは、戦後出たキリスト教関係の本の中で、日本人の神父が自分の歯で噛み砕いたキリスト教についての説明、もしくは体験を語ったもので、このような本はほかになかったと思います。その意味で、私は、この井上神父の本を自信を持って、高校生や大学生におすすめしたいと思うわけです。」(230頁)

 中高校生時代からずっとファンだった遠藤氏がこうまで言っているのだから間違いない・・・・私の期待は裏切られなかった。すぐに井上神父に電話、輪読会に出席。親しくなるにつれて、お酒をご馳走になったり、故渡辺一夫先生のお宅に連れていってもらったこともあった。井上師は大変私をかわいがってくれて(もちろんだれにでも親切だったのだが)、飲み代はすべて神父持ちであった。八一年受洗。結婚式には得意の美空ひばりを歌ってもくださった。あのとき出席者はおそらくだれも井上師が神父だとは思わなかったであろう。――そんなことがあって以来のお付き合いというわけである。

 さて、前置きはこのくらいにして『風の薫り』一冊を開いてみよう。パラパラめくってすぐ気づくことは、ともかくだれでも読める(小学生にはちょっと無理かな)詩集であるということだ。詩六十篇、童謡十一篇、それに師が主宰する〝風の家〟の祈りが二つ、合計七十四篇の構成になっている。

願い

 難しい神学は何一つわからないでも

 素晴らしい説教は何一つできなくても

   悲しく泣いている

     一人の魂のかたわらで

  そっと一緒に泣いてあげることのできる

  そのような

    そのような人に 私はなりたい

 冒頭の詩「願い」の第一連である。全編にわたって、氏が愛読する八木重吉を彷彿させる文体だが、この詩の六、七行目は宮沢賢治の「雨ニモマケズ」を思わせる。しかし重吉の初期の詩にありがちな張りつめた、思い詰めた雰囲気はどの詩にも感じられない。使われている言葉に限って言えば、失礼ながら、ひっくり返っていても読めるのが、強味となっている。ちなみに氏は、宮沢賢治については『まことの自分を生きる』(筑摩書房)の中で取り上げているが、次のように書いている。

 「ちょうど理性と本能とが、ときに相反しながら、しかも相即して生をかたちづくっていくべきであるように、美をどこまでも追求していく情熱にかられた主我的段階と、大自然のいのちの息吹きプネウマ(風プネウマ)に己れをまかせていく無我的段階とは、相反しながらしかも相即していくべきであるという相反相即そうはんそうそくの関係にあるのではないかと思うのである。・・・・私を魅了しつくす人物は、この相反相即を何らかの形で厳しく生きぬいていった人物のように思えるのである。」(34~35頁)

 そういう「人物」として宮沢賢治のほか、氏は芭蕉・西行・良寛を同書で取り上げ論じ、最後にイエスを紹介する形になっているのだが、このように書く氏の念頭に、おそらく現代作家としては、旧友であり日本人とキリスト教というテーマについては同志である遠藤周作氏のことも念頭にあったことは疑いない。いずれにしろこの言は、俳句に限らず何かを創作しようとする者にとって傾聴に値する。

 この作品から次の「憧れ」まで、氏が「あとがき」に「その間は私は詩というものを全くといっていいほどつくっていないのです。」と言っているように、二十七年間の「空白」がある。この「空白」が意味するものこそ、井上氏の生涯のテーマ――キリスト教の日本文化内開花インカルチュレーションへの苦闘の道 のりであった。氏は、大学在学中にカト リックに受洗、卒業後フランスのカルメル会修 道院に行く。その船にたまたま同乗したのが、留学生の遠藤周作氏であった。

 その八年あまりの修道生活のなかで氏は、「ヨーロッパが二千年の長い間につちかってきた精神風土と、私(井上)の血の中に流れているものとの間のギャップに悩まされ続け」る(『風の薫り』「あとがきにかえて」190頁)。それは、「ヨーロッパの近代に顕著な『対自然的な人間中心主義』」と「即自然的な私の自然観」との軋轢、葛藤であった。
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