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わが心の春夏秋冬─心の不発弾--求道記(2)  

神父に初めて会った日の帰路、どっぷり暮れて北風が吹く駅頭で、「先生、復活とはどういうことですか?」と私はやぶからぼうに質問した。師は確か、「・・・・心だけの復活、体だけの復活というのはありえない」といった趣旨のことを言われたと記憶する。

別れ際、今度は師の方から、「あなた、お酒飲みますか?」と聞いてきた。私はまたまた戸惑った。求道中、あちこちの教会に出入りして、いろいろなキリスト者に出会ったが、自分から酒に誘うような聖職者を見たことがなかったのである。「ええ?! きらいな方ではありませんが・・・・」とやっと答えた。そんな私をにこにこしながら、「じゃあ今度一杯やりましょう」と微笑みながら誘ってくださった。安堵とうれしさで胸が熱くなった。

その後、幸いにも再就職が決まり、この少人数で自由な輪読会にしばらく通わせていただいた。老若男女、ときどき居眠りする会のメンバーであったが、そういう私たちを温かく包み込むようにして師は、日本人の心情で正直に捉えたイエスについて淡々と語り続けた。

  六月のキリストの神遊ぼうよ

輪読会には半年ほど通ったが、その間自ら洗礼を受けたいという気にはならなかった。もちろん師の方から受洗を勧めるようなことは一度もなかった。人生の師に巡り会えた、迷ったらこの方に相談すればいい、そういう気持ちで落ち着いていた。

ところが翌年6月頃突然洗礼を受けたくなった。そのときの心境を分析するのはむずかしい。新しい職場での不安もあったかもしれない。が、それだけではない。越えがたいと思っていたキリスト教の敷居、実はそんなものは最初からなかったのだ、今あるがままの自分でよいのだ、ということに私は師によって徐々に気づかされていった。

青年時代からずっと心底にあった虚無感や不安は、たしかにすぐ解決するようなものではないかもしれないが、少なくとも私以上に、ふがいなく弱いこの私のことを知っていてくださる方が確かにいるということ・・・・。そうであればまずその方を自ら受け入れること、そこからがスタートなのだ・・・・師のうしろ姿がそう語っているように思えた。

1981年8月受洗。カテドラルの庭で蝉時雨が時を満たしていた。

  不発弾眠る杜の蝉しぐれ

同年、私は結婚し、その披露宴では得意の(?)?美空ひばり?を歌って会衆をわかせる師であった。以来、度々お会いしてはお酒をご馳走になった。わが家の床の間には師の<余白の風 神の悲愛に 露草の如くに 遊ばん>の色紙が掲げてある。長男洋一の「洋」は師のお名前から一文字をいただき、これも事後承諾。

1986年、私は再度転職し、公立高校の社会科教員となった。この頃から私は求道の一環として自由律俳句を始め、その延長として近年、『今を生きることば』他のエピグラム集をまとめた。これらを今読み返してみると、井上神父との出会いがなければ生まれなかったであろ想が多々あることに気づく。感謝にたえない。

──わが青春に投下されたあの?不発弾?はどうなっているだろう。今も心に突き刺さったままかもしれない。あるいはこのまま何事もなく朽ちて、いずれ土にかえることになるのかもしれない。いずれにしろ、その不安な行く末を見つめるに、今は、?ひとりではない?という信が少しずつ芽生えてきているように思う。

  アースに触れた夕日 もう泣かない


(潮文社『わが心の春夏秋冬』第二集「心の不発弾」より)
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