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日本人にわかるキリスト教を求めて

26May2012+011_convert_20120623181132_20120623222548.jpg井上洋治神父は、遠藤周作氏と共に、日本人の感性で正直に受けとめられるキリスト教を一生をかけて模索し、1986年「風の家」をはじめました。このサイトでは、「風の家」運動を引き継ぐ平田栄一が「求道俳句」ほか、日本人キリスト者の道を模索する試みを紹介していきます。お問い合わせ 略歴 著書

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第162号2009年6月発行   

--南無アッバを生きる余白の風--
2009年6月発行 
Copyright©2005余白平田栄一,All rights reserved.

前月号推薦句

踏絵なき世に生きてなほ信ゆらぐ  邦司

主宰近詠
蓮田市  平田栄一

入稿や逸る心に初音聞く

夫々に十字架はある冬の蝶

日に一つ小さな願い寒詣

病めばやや素直になりぬ寒鴉

皓皓と鬱焼き尽くす冬の月

芝居跳ね寒空低き帰途につく  

天辺や薄紅葉して吹かれおり  

秋雨をくぐりて暗き灯に入らん  

コスモスや町起こさんと咲き盛り

穴惑い両輪見事かわしけり

秋雨の上がりてしばし時を止め

受験子ら心ひとつに合唱祭

思いやる心を越えて秋叫ぶ

万聖節三男とみに無口なり

アバの縁あまねく結ぶ明治節

宵闇に親子の妥協点探り

だいぶ時節ずれていますが、「近詠」ではなく「近発表」句です(笑)。


作品とおたより(*主宰寸感)

豊田市  佐藤淡丘

薫風や縁側で繰る時刻表

若楓睫毛の長き少女病む

野遊びや立つ子座る子駆けくる子

古代人そっと行き交ふ水芭蕉

望郷や鉢植の麦触るるたび

 毎朝登る丘(自称・会神(かいしん)の丘)に据えた、立立看板の中身をこの程、次のように書き直しました。

 からすホイホイ
 何處へ行く
お山は高かろ
飛び越えろ
お山の向ふにや何がある
             南吉

これは、新美南吉が中学生のとき作った、「からす」という詩だそうです。何とも、とぼけて面白い作品ですね。

カール・ブッセのように、そこに「幸せ」を夢見るわけではありませんが、目の前をよぎる、からすに何故かしら親しみを覚え、声をかけたい衝動にかられました。
聖霊さま・おみ風さま・よ  南無アッバ

*御句すべてに人間の動きがあります。そして「会神の丘」でのからすとの出会い。それらを見つめる淡丘氏のやさしいまなざしが句文にあふれています。「南無アッバ」と自然に口から出る。


文京区  大木孝子

これが死の總量なりや夕ざくら

どうあがいても火の舌淋し櫻の夜

やはらかに人と神遇ふ蕗の原
(「野守」三六号より)

*一句目、桜と死のあやしい関係。二句目「火の舌」はどうしても聖霊降臨を思い浮かべる。三句目、神人の出会いは「やはらか」なのがいい。パウロのような劇的なものだけが回心ではないですね。


練馬区  魚住るみ子

母の日に代子の賜へる銀の指輪我が霊名を手づから彫りたる

*すばらしい贈り物ですね。「銀の指輪」そのものもすごいですが、時間と労力がつまってる所が愛の証。大切にしてください。


東京都  外野愛子

 幸せだから…
僕は君に言う/僕は今幸せだ君がとなりにいるから//それなのに/なぜ僕の目から/涙があふれてくるのだろう//心が満たされているのに…/自分の居場所があるのに…//なぜ切ないのか

/なぜ悲しいのか//僕には分からない/ただ僕の目から/涙があふれてくる//目の前にいる君が/あまりにも優しすぎるから//迷惑になるのではないか/重りになるのではないか/そう考えると/苦しくなってくる//君は/僕の心を読み取ったかのように〝大丈夫だよ〟と言ってくれた//

僕は君に言う/僕は今幸せだ/君が僕を受け入れてくれたから//僕の目から/涙があふれてきた//切ないわけでもなく/ただ安心して/流す涙だった

*人の優しさを素直に受け取るには時間がかかる。しかしそれが心からの「受け入れ」であったことを知ったときのうれしさ。わたしたち対イエス様にもそうありたいものです。


秦野市  長谷川末子

神様へ
妻は退院出来ぬ身に/老夫は深酒ただ一人//一国一城の主だった/夫婦は揃って団地へと/檻の中だと嘆きます/今も昔の夢に住む//息子の余命幾ばくか/老母は「死んでくれ」と云う/息

子はそっと泣くと云う//一人の愛児はダウン症/施設に通って今二十才/「一人で通える。大丈夫。」/母は近くの桜見に/ほんのり化粧が愛らしい

*集合住宅での人生の悲喜。マンションだとそうした他者も見えにくい。一見気遣いもないようですが、こちらの「団地」の方が温かみを感じます。「一人で通える。大丈夫。」が救い。


名古屋市  片岡惇子

夏菊のどこか場違いマリア様

郷愁を風呂敷に包み初夏の旅

藤房の重きに耐えず自我を出す

山藤や慎み深く緑間に

老鶯や石段百の鼓動聞く

意識はしていなかったのですが、研修仲間・高校の同窓会、職場のOB会、地域福祉を考えた方たちとの再会と、矢継ぎ早に案内が来て、全部出席することにしました。不思議なのですが、今まで都合が悪く一度も出席できなかったのに、今年は、その日、いずれもぽっかりとあいていたのです。ヘルパーの仕事も、もう少しがんばろうと新しいケースをお受けしたところでした。

私は、N大学病院の<モルモット?>に登録、種々の検査を受けています。四月に受けた心臓検査が、思いもよらず重いものと判明。専門の医師を紹介され、再検査。結果は手術が必要。恐怖はありませんが、せっかくお引き受けした方のヘルプを断ることがつらいことでした。一つ一つ出来ることを止めていかなければならない状況になりつつあるようです。寂しさが、ふっとわいて来ます。静かに、受け入れていくことかなと思います。

*行けるうちに行きたい所へ、できるうちにできることを、とはよく聞く言葉ですが、どこにも行けず、何もできなくなったときわたしたちは始めて大切なものを、実感するのかもしれません。でもそのときこそアッバが・・・・、と期待してもいいようにも。くれぐれもご無理せず。お祈りします。南無アッバ


高校倫理「キリスト教」授業録4
――前回一四五号よりつづき――(マルコ一〇・一七―三一)

六 想像しながら読む

 それで、この場面をもう一度、想像してみましょう。
 「ある人」はイエスに「走り寄って」、「ひざまずいて」、いきなり、「永遠の命を受け継ぐためには、何をすればよいのでしょうか。」といいます。

 「永遠の命」っていうのがひっかかる。
 現代のぼくたちにはちょっと違和感がある、むずかしい言葉だけど、これもいずれゆっくり見ていく(「神の国・・・・」の項)として、少なくとも、こういう質問の仕方や言葉に、ただならぬものを感じます。
 きっとこの「ある人」は、すごく真面目で一途な人だったんでしょう。

 それはこの後の一八~二〇節あたりのイエスとのやりとりからもわかります。
 人生、いかに生きるべきか、ってことを真剣に考えていたんだろうね。
 だからこそ、ともかく早くその解答を「善い先生」に教えてもらいたい、そういう気持ちが強かったんでしょう。

  「金持ちの男」は、神の掟をいっしょうけんめい守って、幸福をつかもうとしました。
 原文一九節の、「殺すな、姦淫するな、盗むな、偽証するな、奪い取るな、父母を敬え」っていうのは、「モーセの十戒」といって、キリスト教が出てくる母胎となったユダヤ教では、基本中の基本の掟です。

 ユダヤ教というのは、こういう掟=「律法」を怠りなく守ることで、救いに預かれる、って信じている宗教です。

 でもこうした掟をいくらきまじめに守ってみても、どうも今ひとついきいきした充実感がない・・・・。先祖代々の掟をしっかり守れば救われる、と言われてきたのに、どうもちがう感じがする・・・・、とても正直で、誠実な青年の気持ちです。

 でもなんでだろう?
 ここからはぼくの読み、解釈になるわけだけれど、それは根本的に、自分がいっしょうけんめい掟を守ろうとすればするほど、「おれがこの掟を守る、おれが頑張る、おれ、おれ・・・・」という「おれ」意識にがんじがらめになっちゃっていたんじゃないかと思うんです。

 まじめに人生を考えよう、もっといきいきと生きていきたい、そういう希望を持つからこそ、一生懸命頑張る。でも頑張れば頑張るほど、「おれ」が頑張ってる、自分が努力している、という意識=「おれ」意識にかたまっちゃう。まわりで人が倒れていようが、目に入らない・・・・そこに根本の問題がある。なんか哀しいけど、これがぼくたちの現実なんじゃないかな、って思う。(つづく) 


本誌(現物はA4両面刷り)は、井上洋治神父の提唱する「南無アッバ」の心を生きるため、俳句を中心として、共に道を求め、祈り合うための月刊誌です。どなたでも、賛同される方の参加をお待ちしています。(原稿採否主宰一任)

○締切=毎月末 
○年会費二千円(半年千円 誌代・送料共)
○投稿先 ブログ「南無アッバを生きる」の余白メールから。

category: 求道詩歌誌「余白の風」

thread: 求道俳句

janre: 学問・文化・芸術

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