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日本人にわかるキリスト教を求めて

26May2012+011_convert_20120623181132_20120623222548.jpg井上洋治神父は、遠藤周作氏と共に、日本人の感性で正直に受けとめられるキリスト教を一生をかけて模索し、1986年「風の家」をはじめました。このサイトでは、「風の家」運動を引き継ぐ平田栄一が「求道俳句」ほか、日本人キリスト者の道を模索する試みを紹介していきます。お問い合わせ 略歴 著書

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第161号2009年5月発行   

求道俳句で南無アッバ
Copyright©2005余白平田栄一,All rights reserved.

蓮田市  平田栄一
子を他者と思えぬ日本冬の雨
年あらた手帳はバイブルサイズとす
折合いをつけねばならぬ冬の顔
声冴ゆる早朝音読楽しかり
今日こその気も失せ仰ぐ冬の空
潔く身を引くヨハネ冬果つる



作品とおたより(*主宰寸感)

豊田市  佐藤淡丘
朝桜匂ひの距離をたしかむる
眠る子の掌よりこぼるる踊子草
白鷺の一羽となりて我に来よ
神ありと素直に想ふ山笑ふ
風呂敷に里の囀りもち帰る


 小庭の新緑の楓が折からの風に小さく揺れているのを眺めています。約四十年前、これも小さな家を建てたとき紅顔可憐とも思える、ドイツ人司祭、F神父がわざわざバイクにこの楓の苗を積んで、軽井沢の修道院から持ってきて下さいました。F神父は現在フィリピンで働いておられますが、この小さな贈り物も、今や樹高3M近くなり、お日様の影をやさしく照らしてくれています。
 多くの場合立派な人は、静かに他の人を幸福にしてゆきます。そして何年か後に「ああこの幸せはあの人のおかげだ」と気づくことがあります。黙って、さりげなく、日本での司牧を了えて遠い異国で今も働く、宣教師に幸あれと祈る今日このごろです。

*とても真似できることではありませんが、こうした神父様をみると、「神ありと素直に想ふ」のではないでしょうか。イエス様も本来は、福音書に書かれている以上に、「さりげない」方だったのかもしれません。


練馬区  魚住るみ子
手作りのふっくら干柿信濃より
賀詞述ぶる若妻ぶりもこと慣れて
白鳳のみ佛の右(め)手冬陽映ゆ
平田豊彦神父様へ
言葉選び諄々と説きたまふ教へやわれらの胸に灯をともしゆく


*正調の詠みのなかに、落ち着きと優しさがいつも感じられる句歌です。「干柿」の甘い香りや「神父様」の声音が聞こえてくるようです。


立川市  新堀邦司
美しき冬青空や新島忌
機嫌よき四温日和の羅漢かな
鬼やらひ手強きがわが身中に
踏絵なき世に生きてなほ信ゆらぐ
(「日矢」四月号)
悔い多き夕や灰の水曜日
受難節断ちたることの一つあり
(同五月号)

*典礼暦を意識しながら生活していると、季節と同じように、心にめりはりがついてきますね。時に「悔い」時に「信ゆらぐ」ことも、アッバの御手のなかでと思えば、大きな慰めが得られます。


東京都  外野愛子
  私の道
飛び立つ
未来に向かって
走り出す
私にしか引かれていないレールの上を
  
旅に出る
先の見えない大海原に

探そう
私にしか持っていないものを
取ろう
答えの見つからないものを

そして
この世に私という人間は
一人しかいないと気付いた


*アッバが「キリストの体」のいろいろな部分として、備えてくださった私たち一人ひとりの使命。うっかりすると、ついそのことを忘れてしまい、迷い子になります。アッバのまなざしを事あるごとに振り返りたいものです。


秦野市  長谷川末子
    新一年生
眠れたの親に添わるる新入生
髪飾りそして花びら新入生
遊び足りぬ児も今日からは一年生
こんなにもこんなに幼い一年生
花吹雪記念写真の一年生
お父様御護り下さい一年生


隣はベトナムから移住された。漢字が読めない。日本語の壁は厚い。しかし両親は負けじとカナ文字ひらがなを覚える。プリントを手に夕方から夜に掛けて私共の部屋に親子共に来て下さる。ランドセルに教科書・ノートも入っている。私の言葉が正しく伝わっているかお互い目を合わせる。二歳半の次女は夫とじゃれている。夫は登校時にベランダから身を乗り出して見送る。一年生の頭の良さを私に自慢する。隣の親子は私達を元気にする。

*「新入生」「一年生」春は、若者の季節、いや、若返りの季節。いっしょにいるだけで、エネルギーが伝わってくる子どもたち。少子化で子供が減っているなか、こういう光景は大切な絵になりますね。


名古屋市  片岡惇子
優しさが一つになりて花筏
散りてこそ花の真髄アバ父よ
散る花やロザリオを白く白く染め
復活祭マタイ四章の神の国
神の死の希望を聴くや復活祭
山桜沈黙の鐘鳴らしをり
葉桜や死んで生きると老木は
葉桜やパウロの光今ここに
新緑や全ての色消し命燃ゆ
柿若葉死す種有ると受け入れし


*死と復活というテーマにふさわしい連作として、味わわさせて頂きました。下のミサ前講話でも触れましたが、キリスト教では死は新たな生への入り口。「死の希望」とはもっともな表現ですね。


一宮市  西川珪子
祈る時仄かな梅の香りして
闇を抜け明るさここに復活祭
花々と人いでゆけり地の恵み
樹々の間に紅一点の桜かな
霾るや哀しきものよ山河越え


*復活祭が「梅」や「桜」と結びつく日本の風土がよく感じられます。これらの句には、華やかさの陰にある淡い「哀しみ」や優しさを秘めた情感が湛えられています。


南無アッバミサ前講話(〇九年四月十八日)
 平田栄一

みなさま、主の御復活おめでとうございます。早いもので復活祭から一週間たち、明日は復活節第二主日「神のいつくしみの主日」となっています。

 さっそくで恐縮なのですが、復活祭というおめでたいときに、ちょっと死の話をさせていただきます。日本ではおめでたい席でこういう話は不謹慎だと、わたしは小さい頃から教えられてきたのですが、キリスト教ではかえって、死と復活というのは表裏一体の関係にあると思いますので、そういう意味で言うと、けっして奇異な感じもしないと思います。そういうことにかこつけて、ちょっとお話しさせていただきます。

 と申しますのは、実は先月、わたしの父が亡くなったのです。八十九歳を目の前にしての死でした。二、三日前までは元気で、いつもどおりの日課の散歩――退職以来ずっと続けて、雨が降っても何でも一日一時間は歩いていました――をしていましたが、ちょっと体調が悪いということで、お医者さんに行って診てもらいましたら、「まあ、大きなことはないだろうけど、大事をとって入院しましょう」ということになりました。

 それでわたしも連絡を受けまして、翌日見舞いに行ったわけです。けっこう元気で、普通に日常的な会話をしまして、今考えますと最後にした話が――わたしがこういったのです、「これからお墓参りに行ってくるから」と。でこれは、別に父がもうすぐ亡くなることを前提に言ったわけじゃないんです(笑)。
 わたしは、教会やミサも好きで、ミサがない時も一人で教会に朝早く行って、だれもいない御聖堂でボーっとして、一時間くらいすぐ過ぎてしまう――趣味みたいな癖があるんです。

それと同じような感覚が、おそらくわたしにとってはお墓参りにあるんですね。そういうことを父も知っていましたので、「じゃあ、たのむよ」と気楽に、笑って答えていました。それが、今考えると最期の言葉になったのです。

それから葬儀ということで、母も高齢ですから、私が代って葬儀のご挨拶をすることになりました。それで何を話そうかと考えました。大正生まれの父ですから戦中派で、シベリアに七年以上抑留されていた話なども、小さい頃から聞いていましたので、父がいろいろ苦労した話をしようかな、とも考えました。

まあしかし、それよりもわたしが話すのなら、直接父から自分がどんなことを聞いたとか、直接の印象を語った方がいいのじゃないか、と思いまして、いろいろ考えを巡らしました。

ところが、なかなかそれが思いつかないのです。父に言われた言葉が出てこないのです。いくら考えても出てこない。逆に母から言われたことばかりが思い出されるんです。ああ、小さい頃こういうことを言われたなあ、学生の時はこういうことも言われたなあ、という具合です。

実はそれは今に始まったわけではなくて、子供がだんだん言葉がわかるようになった頃、子育ての最中に子どもを叱ったりというとき、自分で言った言葉をどこかで聞いたことがあると思ったりする。しばらくしてこれは母に自分が言われた言葉を、そのままオウム返しに自分の子供に言ってることに気づいて、愕然としたことがあります。

ところが父に言われたことが、どうしてもでてこない。それでどうしようかな、困ったなあと、お通夜の予定されていた日の朝――私もよく散歩するのですが、私のうちの近くに元荒川が流れていまして、そこの橋に行って帰ってくるということがよくあります。その橋のたもとで、どうしようかしばらく考えていました。

それでふっと気がついたのは、あ、ここに自分が今橋のたもとまで来て考えている、そういえば父もよく歩いていたなあ、もしかしたらこうやっていろんなことを考えながら、歩いてたのかなあ、と思い当たったのですね。

でその時に、私が父に似てきたというか、無意識のうちに父の癖や考え方が植えつけられてきていたのだという感覚をおぼえました。こうして無意識に父からものすごい影響を受けていたんだなあ、と思いましたら、ずっーと体の中が何となく温かくなったんですね。それまで味わったことのない感覚でした。

そうしましたら、どんどん父の面影といいますか、まなざしといいますか、後ろ姿といいますか、背中というか、そういうものがどんどん浮かんできた。あ、そうだ!小学校の時に初めて父に映画に連れて行ってもらって、加山雄三の若大将シリーズを見たんだとか、高校卒業するときも、そうだ、チャップリンを見に二人で行ったとか、旅行に行ったことも少ないですが、二回ぐらい確かあった・・・・そんなことがどんどん浮かんできました、

でも相変わらず言葉は浮かんでこないんです。父がそういう場面で何か言ってる姿は浮かんでこない。しかしまなざしとか面影だけがどんどん自分の中に広がってきたという感覚を味わいました。それをそのまま葬儀のときには、親戚や友人の方々にお話しさせてもらったわけです。

翻って今日の福音ですが、このあと井上神父様がごミサで朗読されるでしょうが、ヨハネの二十章の所ですね。有名な「トマスとイエス」の箇所が読まれます。すでに皆様はご存じだとは思いますが、ほかのお弟子たちがイエス様の復活に出会ったときに、トマスはいなかったんですよね。

それでなんとなく自分だけが置いてけぼりにされる、自分もイエス様を裏切ったけど、ほかのお弟子はゆるされてるのに、自分だけはゆるされないのかなあ、といった劣等感とかわだかまり、うしろめたさ、コンプレクス・・・・複雑な心境――井上神父様も暗い気持ちが煮詰まっていたというようなことを、御本にも書かれています。だからちょっとすねちゃった感じもあるんじゃないかと思うのです。

それでトマスが言うわけです。ここで先に福音書を読んでしまうと、神父様がやることがなくなってしまうので何なんですが(笑)、部分部分でお読みすると、

「あの方の手に釘の跡を見、この指を釘跡に入れてみなければ、また、この手をそのわき腹に入れてみなければ、わたしは決して信じない。」(二〇・二五)というわけです。そうしますとしばらくたってイエス様が出てきて、有名な言葉を言われるわけです。

「あなたの指をここに当てて、わたしの手を見なさい。また、あなたの手を伸ばし、わたしのわき腹に入れなさい。信じない者ではなく、信じる者になりなさい。」(二〇・二七)トマスの要求に、すぐ答えようとされたのでした。

ここの所をわたしも連載の方で書かせていただきましたが、一般的かどうかはわかりませんが、ここの解釈は要するに復活体が目に見えるかどうかとか、触れるとか、そういう問答の一環としてこのぺリコーペが書かれているという見方があります。

ところが井上神父様はまったくそれとは違う解釈をされています。一節ちょっとお読みします。
「トマス、あなたはわたしを信じないが、わたしはあなたが信じるようになるために、もう一度わき腹の痛みを、あなたのために耐えましょう。」――「想像を絶したイエス様のゆるしのまなざし」(『イエスの福音にたたずむ』二〇九頁)として、ここは書かれているというわけです。要するにここは、外的な史実よりも内的真実を中心に神父様は、捉えているということです。

 これはまた、わたしは学者じゃありませんし、神父でもないので、ちょっと危ない発言をするかもしれませんけれど、ほんとうにトマスにこれと同じ言葉が、イエス様が語られたような形になってたのかなあ・・・・と、まあ否定はできませんが、まあ福音書にはそう書かれている。

しかしわたしはもし、これと同じ言葉がトマスに聞こえてこなかったとしても、やはりこのまなざしの強さといいますか、「おまえは赦されているんだよ、何言ってるんだ、わたしがおまえに現れなくたって、おまえは赦されてるじゃないか。

わたしは赦してんだよ、いっしょにいるじゃないか!」そういう強いまなざしを、トマスは感じたんだと思うのです。それが表層意識に現れてきたとき、こういう言葉として書き表され、伝えられてきたと思うんです。ですから同じことばじゃなくても、それはよかったんじゃないかと、わたしは勝手に思ってるわけです。

 最終的にはそのまなざしの思いというものが、イエス様が「十字架にもう一度かかってもいいよ」と言っている。十字架は一回というのはキリスト教の基本的だと思いますけど、「おまえだけのために、もう一回十字架にかかったっていいよ」というわけです。それ程、まなざしの強さ、赦しのまなざしの強さというものを、トマスが感じていたんじゃないか、そういう話として伝えられているのじゃないか。

 ですからこのペリコーペの最後の所は、「見ないで信じる人は幸いである」(二〇・二九)と一般化して、わたしたちにも向かって言っている。イエス様というのが、そのように目に見えたり感じたりできなくても、もう赦されているんだよ、同じだよみんな、そういうふうに言ってるペリコーペとして考えられるんじゃないかと思うのです。

 ここでわたしの父のまなざしとイエス様のまなざしを比べるなどというとんでもないことはできませんけど、やっぱりわたしも父の死というものから父のまなざしを知り、そしてイエス様のまなざしを類推できた、そういう意味では父の死はわたしにとっても非常に大きなものだったのだと思います。

 これも井上神父様がいろいろな所に書かれていますが、人が死んで残すものというのは、ものすごく大きい。それはイエス様だけじゃなくて、どんな無名な人でも亡くなってから残すものは大きい、と度々神父様は語っています。

 わたしの父は一般的な日本人でしたから、仏教徒であり、かつ親戚には神主をやってたようなおじさんもおりまして、キリスト教徒になるということは最後までありませんでしたが、神父様に二回ほどお会いしてから、にわか井上ファンといいますか、ちょっと本をかじったり、テレビやラジオで神父様がお出になるときは、必ず欠かさず録音・録画して、聞いておりました。

 だからというわけではありませんが、わたしの父も今頃は、イエス様といっしょに、アッバのあたたかな懐に、抱かれているのじゃないかなと、わたしは信じております。
南無アッバ、南無アッバ、南無アッバ。


ちょっとあとがき:父の死以後、年度初めの仕事や新刊の校正など、矢継ぎ早にいろいろ重なり、本誌発行が遅れましたこと、お詫び申し上げます。

大型連休が終わった途端、一気に夏になってしまったような陽気で、若い人たちにはこの時期、明るさに満ちた希望の時でしょうが、年配の方には急激な温度差は禁物――香部屋で井上神父様のお話を聞きながら、その御苦労に思いをはせました。どうぞ皆様、お体ご自愛ください。南無アッバ

本誌「余白の風」(一九九〇年創刊)は、井上洋治神父の提唱する「南無アッバ」の心を生きるため、俳句を中心として、共に道を求め、祈り合うための月刊誌です。どなたでも、賛同される方の参加をお待ちしています。(原稿採否主宰一任)
○締切=毎月末

○年会費二千円(半年千円 誌代・送料共)
○投稿先HP「今を生きることば」、ブログ「南無アッバを生きる」の余白メールから。

category: 求道詩歌誌「余白の風」

thread: 詩・和歌(短歌・俳句・川柳)など

janre: 学問・文化・芸術

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