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第159号2009年3月発行  

求道俳句で南無アッバ
Copyright©2005余白平田栄一,All rights reserved.


蓮田市  平田栄一

貧しい人に福音を      ルカ4・16~30

秋草や小花咲かすも咲かさぬも

イエス、弟子を集める ルカ6・12~19

秋湿りユダも呼ばれし山の朝

イエス、弟子たちを見て ルカ6・20~26

長雨をくぐりて人の道を説く

光現れる      ルカ8・16~18

秋分や待ちくたびれし季の動く

この世の賜物 信仰の戦い  ルカ16・19~31
Ⅰテモテ6・11~16

信じ得ぬゆえの祈りか九月尽

人の子に枕する所なし  ルカ9・57~62

蛇笏忌や人情噺ちょいと落ち

立ちて行け         ルカ17・11~19

早ミサへ鉄道の日の始発乗り


作品とおたより(*主宰寸感)

東京都  外野愛子

手から砂が/こぼれ落ちるように//時間は儚く過ぎてゆく//こぼれ落ちた砂は/城をつくり/私達の過去を表す//儚く過ぎ去っていく/時間の中で/私達はけん命に生きていく//私達はあと何回/砂の城を作るのだろうか

*わたしたちの目には「儚く過ぎてゆく」ように見える「時間」を、アッバはもっと大きな「手」で受け止めてくださっているかも……。


練馬区  魚住るみ子

列福されし殉教者司祭の足跡を古文書の中に見出たりと

(福者ディオゴ結城了雪 一六三六年)

セミナリヨに学びし少年司祭とし終の探索穴吊りの刑に

殉教者はいとも尊しさりながら転びし弱さを主はみそなはす


*「転びし弱さを主はみそなはす」殉教者から学ぶことは、現代にもたくさんあるように思います。


秦野市  長谷川末子

  草月展
古流の好きな私が/草月展に急ぎます/一歩入って驚いた/一畳分に一作品/合作ですが大胆な/作品どんどん続きます/竹、松、枯木、ハゼの木も/花は百種を越えている/百合に水仙、寒椿/ばら、霞草、胡蝶蘭/白梅、紅梅、さんしゅの木/アネモネ、ジュリアン、チューリップ/どれもどっさりてんこ盛り/竹に接がれて葉が生えて/下は白砂ハワイです/手造り自転車籠二つ/真白な花に赤いばら一つ/囲いがあってリンゴが見える/ツリーのような木があって/パプリカ一杯吊ってある/星の位置にはブロッコリー/どの作品も奇抜だが/バランスとれて美しい/雄大さとあやうさと/共存していて楽しくて/抱きつきたくはないけれど/飛びつきたいと思います/二月初めの寒の内/心は桜の舞う下に


*音楽でいえば、さながらオーケストラの賑わいと絶妙なバランス。そして心は、春へ……。


名古屋市  片岡惇子

梅の香や無心にわきし命なり

白梅や煌めく命同伴者

梅の花ほろりと落ちてアッバの掌

白梅や紅梅は母に手向けたり

沈丁花仄かな光取り込みし

犬ふぐり青き真珠の瞳かな

沈黙の大きな余白椿落つ


 私の住んでる地域は、生産緑地地域になっていて、まだところどころ畑が残っていますが、農作物を作っているところは少なく、梅の木が植わっているところが多いようです。二月に入りますと、ちらほらと梅が咲き始めます。私の家の近くにも何本かの白梅が、夕闇の中にほんのりと浮かんで、仕事の疲れを癒してくれます。微かな香りも好きです。控え目な色と香りが、華やかではないけれど、重なってしっかりとその存在を感じさせてくれます。

 家から少し足を延ばすと、紅白の梅の木が何本も植えられたところが有ります。競い合っているようですが、お互いの美しさを引き立たせているように思えます。紅梅の一枝をいただいたので、父母の墓に持って行きました。カトリックの墓に入った二人。今はどこにいるのでしょうか。

*こちらも、アッバの自然に対する思いが、句文によくにじみ出ています。梅には桜とはまた違った、静かな味わいがありますね。母上父上がお喜びでしょう。


豊田市  佐藤淡丘

霾るや盆地の底を深くする

朧夜の駅音近し旅の宿

麦青む師弟こもごも一列に

陽のしずか嘗て来た径春隣

余寒かな鋸引く音の冴えてゐし


 一月の末、娘が働いている、東チモールという国に行ってきました。この国はどこにあるのか、と云いますと、インドネシアの東にあり、バリから飛行機で東に約一時間半の所です。人口は約九〇万人、四国と同じぐらいの島です。気候は赤道直下で暑いですが、バリ島より湿気がなく爽やかです。ポルトガルの植民地、旧日本軍の占領、インドネシアの侵略等々永く苦しい時代を撥ね除け、独立を勝ち得た建国七年の若い国であります。

 アジアの最貧国といわれる環境の中で、満足な食事も難しい中で、よくしゃべり、よく笑い、逞しく生きており、笑顔がとても魅力的な国民です。今回一〇日間の滞在をどう過ごすか予め考え、聖書と一冊の本を持ってゆくことにしました。一冊の本は、井上洋治神父の『イエスの福音にたたずむ』です。娘が村の保健施設で働いている時間、独りの私はこのゆったりとした時の流れの中で、思う存分緑陰タイムを楽しむことが出来たわけです。

 雨季の晴れ間は、正にガリラヤの丘を彷彿させるような、やわらかな高原のみどりに囲まれ、聖書の世界そのものでした。蚊に刺されないよう(マラリア病が多発)注意を払いながらも、時折り本から目を離し、天に顔を上げ「南無アッバ」と祈り、「おみ風さま」

に頬を撫でてもらったりしたものです。こうして、二冊の本は我ながら大成功でした。反対に、持参した俳句手帳は、季語と事象が正反対になるため、一句も出来ず失敗に終りました。神の慈しみで満ち溢れる若い句に、東チモールに平和あれと祈りつつ、小さな旅を終えました。「南無アッバ」

*「霾る」(つちふる)「大風が土砂を空に巻き上げて降らせ暗くなること」(漢語林)。小さな国で、生き生き生きていく人々の生活感に学ばされます。ダンディズムの効いた句も冴えています。お嬢様のご活躍とご健康を祈ります。


井上洋治神父の本を読む(二)お話:余白

 三月一日、日曜日、四旬節の第一主日になりました。ちょうど、季節も弥生となり、まだまだ寒い日が続きますが、早く暖かくなることを期待しまして、また、特にご病気の方の回復のためにお祈りをしながら、今日の福音を読んでいきたいと思います。

 今日は、『マルコによる福音書』一章一二節から一五節が読まれます。非常に短い福音箇所ですが、いろいろな内容が凝縮されているところです。ルカやマタイは、ここのところを敷衍しながら書いています。

 この中に、イエス様が四〇日間荒れ野に留まって、サタンから誘惑を受けられた、という話が出てきます。ここの部分を今日は、少しクローズアップして、お話してみたいと思います。この部分については、井上神父様の『イエスの福音にたたずむ』という御本の中に、三九頁から「三つの誘惑」と題して、お説教が載っております。以下、それに基づいて、お話します。

 イエス様が「感覚的な欲望」あるいは「権力欲」に関する誘惑を、サタン=悪魔から受けた、という話が出てきます。この三つの誘惑というのが、たとえば「豊かなパン」とか、「ローマ帝国からの独立」といった、政治的なメシア、政治的なキリストを待望する誘惑であったのだ、と神父様はおっしゃっています。いわゆる「聖戦」ということです。

 この聖戦への期待というものをイエス様は退けられたのです。なぜなら、アッバと呼べる神様は、善い者にも悪い者にも太陽を昇らせ、雨を降らせる方だからです。

ところが民衆の要求は、いわば、神様の顔に泥を塗っているローマ帝国=悪い者に対して罰を下す「はずだ」という考え方で進んでいる。従って、サタンの誘惑は民衆の誘惑でもあった、というわけです。そしてそれはまた、弟子たちからのイエス様に対する誘惑でもあったと、神父様はいいます。それがイエス様が十字架にかかる前のペトロに対して、「退け、サタン」という、非常に強い言葉――この言葉は悪魔の誘惑を、イエス様が拒否したときと同じなのです。そうするとここでは、サタン=ペトロという図式になってる。

そうまでしてイエス様が、なぜ、彼らの要求を拒否したか――がっかりさせたか、それは、アッバと呼べる方の御心が何であったか、ということが、イエス様にはしっかりと啓示されていたからです。

わたしたちの日常を振り返りますと、こうなら必ずこうなる「はず」――神様が必ずこうしてくれる「はず」だという、自分たちの願望を、神様に押し付けてしまいがちです。そういう危険性があります。しかし最終的にはわたしたちは神様の御旨にしたがっていくべき者です。どんなに願っても、病気や事故やいろいろな不幸から逃れられない部分があるわけです。そういうときには、わたしたちができるだけアッバの御旨を受け入れることができるように、その恵みを願っていく――

もっといいますと、一時わたしたちは、この現実の中ではがっかりすることがたくさんあるかもしれません。自分の能力、自分の苦手なことや人を避けたい、これらは人間として当然の欲求だと思います。しかし避け得ない現実の中に、何か、アッバの御心が、隠されているんだ、秘められているんだ、最終的にもっともっと大きな賜物が与えられるんだ、そういう希望をわたしたちは持って生きていきなさい――そういうふうに今日の福音、また井上神父様は語られているのではないか、そう思いました。アッバ、アッバ、南無アッバ。


本誌「余白の風」(一九九〇年創刊)は、井上洋治神父の提唱する「南無アッバ」の心を生きるため、俳句を中心として、共に道を求め、祈り合うための月刊誌です。どなたでも、賛同される方の参加をお待ちしています。(原稿採否主宰一任)
○締切=毎月末
○年会費二千円(半年千円 誌代・送料共)
お問い合わせは、メールで。
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