「南無アッバ」を生きる ホーム » 連載「井上神父の言葉に出会う」 »1.イエスの叫び-第21回ケノーシス的生き方-『風』誌第80号

1.イエスの叫び-第21回ケノーシス的生き方-『風』誌第80号  

同じく、受難物語をめぐって、この〝わたしたちの「思い」をも委ねる〟という、井上神父の主張と強く関連するとわたしには思われる発言があります。

イエスの受難物語について神父は、それが旧約聖書によって相当に脚色されていることを認めながら、次のように書いているのです。

<とすれば、よく議論の対象とされてきた、師の「エロイ、エロイ、レマ、サバクタニ」という叫びが、絶望の叫びであるのか、それとも『詩篇』二二をとなえようとされたのかというようなことは、私はあまり意味を持たないし、またそんなことを議論の対象とすること自体が師に対して失礼だと思う。

おそらく師は、一人の人間の断末魔の叫びとして大きな声をだされた。ただそれだけのことだろう。

一人の人間の死に際の叫びがどういう意図でなされたのかを推論するなどということは、たとえ誰に対してなされたことであっても、やはり失礼なことのように私には思えるからである。>
(『わが師イエスの生涯』一八四頁)

本稿では、これまで井上神学のユニークな点を浮き彫りにしようと試みてきたわけですが、右の福音箇所の解釈、というより受け取り方は、他にも増してユニークなものといえるのではないでしょうか。

たしかに、神父が指摘するように、イエスの十字架上での叫び、

「わが神、わが神、なぜわたしをお見捨てになったのですか」(『マルコによる福音書』一六章三四節)
は、古来「よく議論の対象とされてきた」ところです。

キリスト信者にとって、神の子たるイエスが、父なる神に向かって言った言葉としては、あまりに強烈な――期待はずれなものだったからでしょう。

そうした信者のつまずきを考慮してか、『ルカによる福音書』では、

「父よ、わたしの霊を御手にゆだねます。」(二三章四六節)

と、アッバへの全面信頼の言葉に置き換えたふしがうかがえます。以後の聖書学者や信者も、イエスのこの最期の叫びを、何らか「議論の対象」にしてきたとみてよいでしょう。

たとえば、いま筆者の手元に、『無信仰の信仰』(ネスコ、一九九七年)という本があります。その著者である量義治氏は、

<無信仰の信仰というのは、ナザレのイエスの信仰なのであります。イエスは『マルコによる福音書』と『マタイによる福音書』によれば、十字架上で「わが神、わが神、なぜ私をお見捨てになったのですか」と絶叫されて息絶えました。

無信仰の信仰というのは、この出来事の解釈であります。>
(「まえがき」)

と述べ以下、イエスのあの「絶叫」を軸とした「信仰」について熱く語っています。こうした点だけを見れば、あたかも井上神父と対極をなすような神学が展開されていることになります。

 ここでわたしは、右の二つの神学を比較し、その是非を云々するつもりはありませんし、またそのような力量もありません。

しかしたとえば、いま問題にしている『マルコによる福音書』一六章三四節に関して、右のような二つの視点――イエスの「叫び」を「断末魔の叫び・・・・ただそれだけ」と受け取る井上神学の視点と、この「出来事」に徹底的にこだわり、「解釈」しようとする量神学の視点とが提示されたとしましょう。

これはわたしの推測でしかないのですが、もしそれがキリスト教信者を対象とするなら、神学内容を吟味する以前に、おそらく「叫び」を重視する神学に惹かれるのではないでしょうか。

様々な神学のなかで、古来「よく議論の対象とされてきた」という史実が、それを裏付けています。何よりも、このように書いているわたし自身、正直なところ、『わが師イエスの生涯』のこの箇所を最初に読んだとき、どこか肩すかしを食ったような気がしたのでした。

 キリスト教に限らず、どんな宗教や思想でも、尊敬する教祖や提唱者の言葉であれば、一字一句聞き洩らさず、ゆるがせにしない、すべて重大な意味があるものとして受け取ろうとする、それは当然のことだと思います。

そもそも、この連載を読んでくださっている読者の方々は、おそらく井上神父の言動や著作には、そのような態度で接しておられるのではないでしょうか。

しかしそこには自ずと、その言葉が語られた状況があり、言葉間の順序があり、文脈からの軽重もある。このことは、井上神父がイエスやパウロの言葉を読むとき、あるいは新約聖書の言葉間に矛盾を感じるとき、常々強調している対機説法的読み方に類比されます。

そしてこれは先に述べた、旧約聖書による脚色の問題とは別のことです。(つづく)
関連記事


category: 連載「井上神父の言葉に出会う」

thread: 聖書・キリスト教

janre: 学問・文化・芸術

tb: 0   cm: 0

コメント

コメントの投稿

Secret

トラックバック

トラックバックURL
→http://yohaku5.blog6.fc2.com/tb.php/1252-b9ca0f1e
この記事にトラックバックする(FC2ブログユーザー)

日本人にわかるキリスト教を求めて

南無アッバの集い&平田講座

求道詩歌誌「余白の風」

最後の南無アッバミサ

全記事表示リンク

リンク

検索フォーム

▲ Pagetop