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第156号08年12月-カトリック俳人の短い聖書話:余白  

十一月一五日(年間第三十二土曜日)
朗読箇所:Ⅲヨハネ五~八、ルカ一八・一~八

今、仙台・松島に宿泊しています。昨日から有難いことに、文字通りの小春日よりに恵まれています。
さて、きょうの福音は、厳しい裁判官と、もめごとを訴えに出たやもめの話です。このやもめが「相手を裁いて自分を守ってくれ」と、度々恐い裁判官に訴えに来ます。

すると、この裁判官には憐れみがない、神をも畏れない、人を人とも思わない、そういった厳しい人柄が前提になっていますけれども、やもめがうさくてかなわないから裁判をしてやろうと――このように神は昼も夜も、叫び求める人たちに対して、裁きを行わないことはないのだ、という結びになっているわけです。

そうするとこの話からわたしたちが、どういうことが学べるか、ということになりますが、わたしのここでの話(ネット連載)をずっと聞いていてくださっている方がもしいれば、「昼も夜も叫び求める」――これはもう、「南無アッバ」ということしかない、ということがすぐおわかりになるかと思います。

ここにわたしの大好きな八木重吉の詩集――鈴木俊郎さんがまとめた『神を呼ぼう』(新教出版社)という詩集がります。そのなかにつぎのような詩があります(二頁、または『定本 八木重吉詩集』二六三頁)。

 さて
 あかんぼは
 なぜに あん あん あん あん なく
んだらうか
 
 ほんとに
 うるせいよ
 あん あん あんあん
 あん あん あんあん

 うるさか ないよ
 うるさか ないよ
 よんでるんだよ
 かみさまをよんでるんだよ
 みんなもよびな
 あんなに しつっこくよびな

子供が泣いている。それを最初はうるさいと思うんですが、思いなおして〝うるさか ないよ、かみさまをよんでるんだよ、みんなも、しつこくよびな〟アッバを呼びなさい、ということになる。わたしは重吉のどの詩も好きなんですが、彼の称名念仏的なキリスト教の接し方、これは井上神父様の南無アッバの奨励ということに非常に近い。

おそらく重吉の影響を受けているのではないかと思います。この詩に出てくる「しつこくよびな」というアドバイス。それは大変日本人的なものだと見ています。今日の福音箇所は、そういうことをすすめているのではないかと思います。

一方で、『マタイによる福音書』などをみますと、「わたしに向かって、『主よ、主よ』と言う者が皆、天の国に入るわけではない。わたしの天の父の御心を行う者だけが入るのである。」(七章二一節)といった、上で見たこととは反対の主旨にとれるような箇所もあるわけです。

こういう所は神父様が常々おっしゃっているように、対機説法ということを改めて考えなければならないわけですが、今日の箇所はわたしたちにとっては「南無アッバ」の奨励――「南無アッバ、南無アッバ」と「昼も夜も叫び求める」ということですね。そういうことが、単純明快に推奨されている、と解釈できる。

 そのように考えながら、さかのぼって第一朗読の方を見てみますと、〝わたしたちは兄弟を助けるべきである。そうすれば、真理のために共に働く者となる〟と、「毎日のミサ」の聖書箇所冒頭の要約文にあります。

そうすると、先ほどの「裁判官とやもめ」の話と、こちらのいわゆる行動的な愛というものを合わせて考えてみましょう。それは南無アッバの心――人の悲しみを「南無アッバ」のお祈りの中で、自分の心に写し取っていく。そのときにスプランクニゾマイ――アガペーが生まれる。

そうしてはじめて自分たちの兄弟に対してどのように助けるべきなのか、ということがわかってくる。わたしたちのなかにアッバが働いて、わからせてもらえる。そして具体的な行動に移らされる。そういう順番になってるのではないかと思います。

逆じゃないんですね。先に何か、助けなきゃいけない、ああお金を出さなきゃいけない、とにかく何かしなきゃいけない・・・・それでは結局は、自我が主体、自己満足になってしまう。そうなると、余計なお世話、押し付けということにもなりかねない。

そうではなくて、相手への愛というときには、あくまでもスプランクニゾマイする心――相手の哀しみを映す心がまず先にあって、そこから自然に出てくる善き行いということが、奨励されているのだと思います。南無アッバ、南無アッバ、南無アッバ
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主宰著作『心の琴線に触れるイエス』(聖母文庫)、『俳句でキリスト教』(サンパウロ)他。

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本誌「余白の風」(一九九〇年創刊)は、井上洋治神父の提唱する「南無アッバ」の心を生きるため、俳句を中心として、共に道を求め、祈り合うための月刊誌です。

詳しい参加規定は、余白メールにてお問合わせください。
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