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第155号-10月南無アッバミサ前講話7  

そんなことを思いながら、井上神父様の新しい御本『イエスの福音にたたずむ』を読んでおりまして、一番最後のところで、具体的にわたしたちが今やることは何かなと、考えるヒントになるような所がありましたので、お読みしたいと思います。

<「南無アッバ」のお祈りは、自分をアッバにお委ねするだけではなく、心に浮かんできた多くの苦しみや淋しさの中にいる人たちをも、アッバにお任せすることなのです。

人の気持ちを大切にするということは、自分のことだけを考えることではなく、人の気持ちを大切にしようとする心の中に「おみ風さま」が訪れて、いつも付き添っていてくださるイエスさまに気づかせてくださるということだと思います。>(二二一頁)

「南無アッバ」を称えながら、自分のことだけではなく、思い浮かんだ他者の苦しみや、悲しんでいる人を思い描いて、その人たちを自分といっしょにアッバにお任せしていく。それを繰り返し繰り返し行っていく。そういうことから始めるということです。

もし何か、信仰のほかに――信仰と一体だとは思いますが、行いというものが必要だとするならば、第一にそれはわたしたちにとっては「南無アッバ」のお祈りをしていく、実際に称えていく、心の中で繰り返す、そういうことではないかと思ったわけです。

浄土真宗が一二〇〇年代にでてきて、先ほどのような妙好人が出現するまで――江戸時代ですから数百年かかっているんですね。わたしたちの「南無アッバ」のお祈りも、何世代か続けていくときに、もしかしたら南無アッバの妙好人、日本的キリスト教の妙好人といわれるような人たちが、出てくるんじゃないか。

そのときにわたしたちの続けてきたことが、捨て石ではなくて踏み石だったのだと、確証を得られるのじゃないかと思います。

そういうことで毎日心の中で――やっぱりまだなかなか身についていないと、わたしなどもすぐ「南無アッバ」と出てこないときがありますけれど、できるだけ度々、「南無アッバ」のお祈りを繰り返していきたいと思います。

南無アッバ、南無アッバ、南無アッバ。

(以上は、二〇〇八年一〇月十一日(土)四谷・ニコラバレ聖堂での小講話を編集したものです。)
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主宰著作『心の琴線に触れるイエス』(聖母文庫)、『俳句でキリスト教』(サンパウロ)他。
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本誌「余白の風」(一九九〇年創刊)は、井上洋治神父の提唱する「南無アッバ」の心を生きるため、俳句を中心として、共に道を求め、祈り合うための月刊誌です。

詳しい参加規定は、余白メールにてお問合わせください。
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